伯爵令嬢になった世界では大切な人に囲まれ毎日が輝く2

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 教師や来場者は普段、観覧の授業で上演される演劇などを観覧することはできない。それでも学祭だけは誰もが自由に観覧することが出来る。
 芸術面に力を入れているというだけの事あって、大講堂で上演される演劇やオペラ、演奏などは例年、完成度が高く、楽しみにしている来場者も多いようだ。開演寸前になるとボックス席や一階の客席の九割以上が埋まっていた。

 舞台監督を名乗る男子学生の挨拶の後、開演ブザーが鳴り響いた。

 緞帳が開くと舞台には生徒会長であり、アンリがカリマー先輩と呼んでいた学生を初めとした平民役数名が城に収穫物や工芸品を献上しているシーンから始まる。
 そんな場面はあっという間に終わり、一度舞台は暗くなる。

 再び舞台上が明るくなると引割幕が開き、舞台上は城の内部から城内の花壇と思われる場所に変化する。
 舞台上にはカリマー演じる青年が花壇に向かって膝を折り花を眺めていて、アンリが舞台袖から登場する。

 アンリは先程まで着用していた制服からピンク色のドレスに着替えている。普段着や寝間着など、青系や白系のモノを身に付ける事の多いアンリだが、ピンク色のドレスを着るアンリは雰囲気ががらりと変わる。
 見慣れない姿だがとても良く似合っていて、可愛らしい。

「貴方、何をしているの?」

 不思議そうな表情で首を傾げるアンリの透き通った声が大講堂中に響く。
 突如姫に声を掛けられた青年は驚き、慌てて立ち上がると頭を下げる。

「申し訳ありません。つい、ここに咲いている花が綺麗だったので」
「花?」
「はい、他では見ない品種のようですね」

 愛おしそうに花を見つめる青年と対照的に、姫は花に向けて冷たい視線を向ける。

「私はここに咲いている花、嫌いよ」
「どうしてですか?」
「だってこの城の花壇に咲く花はどれも各地から取り寄せた華やかなモノばかりなんだもの。私はその場の環境に合わせて育つ、小さなお花が好きよ」
「小さいお花?」
「えぇ、だってこの花壇は庭師が毎朝手を加えて立派に育てているけど、彼らは自らの力で頑張って生きようとしている。素敵だと思わない?」
「それなら僕の家の庭には、そういった花がたくさん咲いていますよ」
「本当?」
「よろしければ今度、お持ちしましょうか」

 青年の提案に姫は瞳を輝かせ、全身で嬉しさを表現しながら勢いよく頷く。

「えぇ!見てみたい!私はお城から出る事を父上に許して貰えないから、この城に咲く花以外は見る事が出来ないと思っていたわ」
「では次にお城に入る許可が出たら、必ずお持ちします」
「そんな許可を待たずとも、私が許可証を書くわ。そうすれば貴方もいつでもここに来ることが出来るでしょう?」
「僕なんかに、良いのですか?」
「貴方もお花が好きなのでしょう?お花が好きな人に悪い人は居ないわ。それに私もお話し相手が欲しかったの」
「そういう事なら明日、またここに来ます」
「えぇ、約束よ!」

 台詞ごとに喜怒哀楽がコロコロと変わり、アンリや会長の表情も変化する。そんな彼らの台詞や表情は作られたものではなく、まるで実際に姫と青年が喋っているのではと錯覚を起こさせる。

 舞台はここで一度暗転し、再び明るくなると姫はカゴを手に持ち、足早にやって来た青年を笑顔で迎える。

「ちゃんと来てくれたのね」
「お約束していましたから」
「それで、例のモノは持ってきてくれた?」
「はい、ここにあります」

 青年は茎の部分が布で巻かれている水色の花を姫に見せる。

「これは、キュウリグサ…かしら」
「はい、そうです。もしかして目にした事がありましたか?」
「いいえ、実際に目にしたのは初めてよ。本物はこんなにも小さく、可愛らしいのね!」

 青年から花を受け取った姫は愛おしそうに花を見つめた後、満面の笑みを青年に向ける。

「ありがとう、素敵なお花を見せてくれて。貴方、これから時間はあるの?」
「はい、今日は仕事はお休みですから」
「そう、それなら一緒にピクニックしましょう。実はこっそり敷物と、クッキーを持ってきたのよ」
「いいんですか?」
「えぇもちろん!貴方さえ良ければ、私のお友達になって欲しいわ」

 姫は青年の手を引き木陰に移動すると持っていたカゴから敷物を取り出し、腰掛けると青年も遠慮がちに腰掛ける。

「僕のような平民が姫とここに居て大丈夫なんでしょうか」
「本来なら許されないかもしれないけど、ここには誰も来ないわ。それに見回りの衛兵も、まさか木陰に私が隠れているなんて思わないでしょうし」
「なんか、そう言われると余計に不安です」
「たまにはスリルも味わわないと。それに、もしもの時は私が貴方を守るわ」

 姫と青年は秘密の友人として休日になると城内の花壇で会うようになる。
 だが今後の国の発展のために国王は姫に婚約を迫る。それでも青年に心惹かれている姫は婚約の話を断る。
 しかし意地でも婚約をさせたい国王は隣国の王子との婚約を秘密裏に成立させ、自身主催のお茶会で王子と姫の婚約を大々的に宣言する。

 隣国の王子を演じるのはソアラ家の舞踏会で一度顔を合わせたキューバ・オーガスという男だ。
 王子は愛想が良く愛嬌も良いため、すぐに周囲から受け入れられる。そして自らに心を開こうとしない姫との距離を縮めようと、王子は姫の暮らしている城で生活するようになる。

 ここで第一部が終わり、一度緞帳が閉まると客席の明かりがつき休憩時間となった。
 ポケットからアンリに貰った懐中時計を取り出すと舞台が始まってから、かなりの時間が経っていた様だが、体感で言えば一瞬だった。

 いつも観覧の授業を受けている時は構わずに会話しているソアラやミンス、レジスも一言も喋ることは無かった。そして余程集中して見ていたのか、観客席の明かりがつくと体を伸ばしている。

「アンリちゃん、すごかったね~」
「あれだけの台詞を難なく覚えていたなんて、普段のアンリ様を見ている身からしたら驚きだな」
「あれだけの記憶力があればテストも難しくないんじゃ無いか?」

 その一言にその場は一瞬静まり返る。
 レジスは眼鏡を押さえると、語気を強めソアラへ忠告する。

「…クイニー、おそらくそれは禁句だ。アンリ様の前で絶対に言うんじゃないぞ」
「あ?なんでだよ」
「なんでってテスト前、どれだけ苦労していたか覚えているだろう」
「アンリちゃんの記憶力は熱中した事に対してのみ、発動するからね~」

 ソアラやミンス、レジスはアンリの演技や記憶力について感心し互いに感想を言い合っている。もちろんフレッドも想像以上の舞台に感心しているのだが、それ以上に一つ気になることがあり、脳内を働かせていた。

「フレッドくん、どうかした?さっきから何か考えているみたいだけど」
「なんだかこの舞台、既視感があるような気がして…。なんだったのか考えていたんです」

 休憩が始まるまで舞台に熱中していて、特に気にしていなかった。だが休憩が始まり、舞台のストーリーを思い返すと、突如どこかで同じようなストーリーのモノを見た気がしてならないのだ。

「バノフィーくんもか」
「もしかしてレジスさんも、ですか?」
「あぁ。アレはなんだったか…」

 フレッドと同じようにレジスも頭を悩ませると、記憶を辿る。

「なになに?二人ともどうしたの?」
「いや、どうしてもこの舞台を初めて見た気がしないんだ」
「じゃあどこかで同じ演目の舞台を見たとか?」
「いや、違うな。バノフィーくんは心当たりはあるか?」

 屋敷の火事に遭い、オーリン家に引き取られてから何度か付き添いとして舞台を見た事があるが、そこで見た演目は今回と違う演目だ。七歳までバノフィー家の子息として貴族教育を受けてきたが、さすがに幼い頃に観覧した舞台のことを覚えているわけがない。
 他に思い当たることがあるとすれば…

「おそらくですが…、書庫だったと思います」
「って事はこの舞台は一冊の本を元に作られているって事?」
「はい、そうだと思います」
「そうだ、思い出した。確かこの後は王子が…」
「ちょっとザック!僕とクイニーはその本を読んだ事が無いんだから、言わないで。ネタバレ禁止だよ」

 思い出した本の存在にレジスは勢いのまま物語のクライマックスを語りかけるが、勢いよく立ったミンスが大声で続きを話させないようにと防ぐ。

「すまない、確かに私から事の顛末を聞くよりも、実際に目にした方が楽しめる。止めてくれて助かったよ、ミンス」

 礼を告げられたミンスは胸を張り「どういたしまして~」と笑う。

 そして突如、扉を遠慮がちにノックする音が響く。
 「どなたです?」とソアラが聞けば、すぐに扉の奥に立つ人物から「フルールです。副会長の…」と返事が返ってくる。
 入室を許可すれば静かに扉が押され、今朝アンリと友人になったという副会長が顔を出す。

「どうかしましたか?」
「えっと、あの…」
「…」
「…」
「…」

 落ち着かないのかモジモジしながら口をパクパクさせた副会長は俯き、無言の沈黙が続く。昨日、一度顔を合わせた時とは印象がずいぶん違う。

 なんとも言えない空気が漂い始めた頃、立ったままで居たミンスが声を出す。

「ごめんなさい、男ばかりで居づらいですよね」
「いえ、そんな事は…。ごめんなさい、私人見知りで…」
「にしては昨日、はしゃいでいましたよね」
「それは…、カリマーも居ましたし、アンリちゃんという、とても可愛らしい天使さんが居たので…。それどころでは無かったんです」
「確かにアンリちゃんってとっても可愛いですよね」

 ミンスが満面の笑みで同調すると、人見知りだと言って怯えていた副会長は瞳を輝かせると、別人のように饒舌になる。

「はい!今朝もアンリちゃんはこんな私とお友達になってくれて、お友達になれて嬉しいとまで言ってくれたんです!」
「そうだったんですか!確かにアンリちゃん、とっても優しいですよね。でもこうしてお話しているとアンリちゃんと同じように、副会長さんも優しい方なんだろうなって伝わってきますよ」
「ふふ、ありがとうございます。さすがアンリちゃんのお友達ですね。お喋りが上手です」

 この中では誰よりもコミュニケーション能力抜群なミンスのおかげで、あんなにも強張った表情で立っていた副会長の表情は今ではすっかり和んでいる。

 だがなぜ副会長がフレッド達のボックス席を訪れたのか、本題を聞けていない。
 普段なら自然とその場が落ち着くのを待ってから本題を聞くが、今は舞台の休憩時間だ。時間が過ぎれば第二部が始まってしまう。

「あの、ちなみにご用件というのは…?」
「あっ、ごめんなさい。本当はアンリちゃんに直接言うべきかと思ったんですけど、この後も忙しいでしょうから伝言をお願いしに来たんです」
「伝言ですか?」
「今日の夜、後夜祭が行われるのはご存じですね?」

 学祭が終わり来場者が帰った後、学生や教師達だけで後夜祭が行なわれる。パンフレットに書いてあった情報でしか分からないが、キャンプファイヤーを用意して周囲に丸太のベンチを設置し、学生達がゆっくり談笑出来る場を作ったり、特設ステージを使ってクラブのパフォーマンスを披露したりするようだ。フィナーレには花火も上がるとのこと。
 数日前、屋敷でパンフレットを眺めている際、花火が上がる事を知ったアンリは瞳を輝かせていた。

「そうです。その時、アンリちゃんやアンリちゃんのお友達のみなさんには見晴らしの良い特等席にご招待したくて」
「私達を?しかも特等席って?」
「実は後夜祭の時、実行委員会を務めて下さった方々を集めてお疲れ様会を開こうかと計画していたんです。ですがそれぞれに大切な仲間や友人がいるでしょうし、そんな彼らを後夜祭まで拘束するのは違うのでは、という話しになりまして。それでせっかくなら私やカリマーの親しい人を呼んで楽しもうという事になったんです」
「なるほど…」
「あ、もちろん普段はこんな事はしませんよ?でも学祭くらい、私達も楽しい思い出を作りたかったんです。それに周囲から干渉されない為の部屋が欲しいという理由でクラブを作ったみなさんにとっても、限られた人とラウンジで過ごす方が好都合なのでは?」
「さすが副会長さん、そんな事までご存知だったんですね」
「一応、学園を管理する立場ですから。と言うことで、アンリちゃんに伝えて貰えますか?」
「はい、もちろんです」
「確かに、クイニーもその方が良いだろう?」
「あぁ、後夜祭の始まる前に帰ろうかと思ってたが、そういう事なら残っても良いかもな」

 ソアラが頷くと、副会長は安心したように息を吐く。

「ありがとうございます。ラウンジは今日一日、生徒会で貸し切っていますので、夕方からの時間はみなさんも入れるように話を通しておきますね。では伝言も伝えましたし、私は席に戻ります」

 副会長はおさげにした紙を揺らしながら丁寧にお辞儀すると、ボックス席を出て行き、ミンスも腰を下ろす。

「そう言えばアンリちゃんって舞台が終わった後、どうするんだろ」
「そりゃあ着替えやら片付けなんかもあるだろうし、すぐには戻って来ねぇだろ」
「おそらく、そのまま実行委員の仕事に移る事になるんじゃないか?」
「そっか、じゃあザックとアンリちゃんとは仕事が終わり次第、ラウンジで集合にする?」
「あぁ、そうだな」
「じゃあアンリちゃんには副会長さんに招待されたこと、秘密にしない?」
「どうして秘密にするんだ?」
「だってサプライズにした方が、アンリちゃんも喜んでくれそうじゃない?だからザックは見回りの仕事が終わったら、さり気なくアンリちゃんをラウンジに連れてきて?」
「あぁ、分かったよ」

 会話が落ち着くとタイミング良く第二部が始まるアナウンスが流れる。そして客席の明かりが落ちると、再び幕が開く。

 姫と青年が花壇でこっそりと会う日々が習慣になってきた頃、二人が敷物に並んで腰掛け、笑い合っているところを偶然その場を通り掛かった王子に目撃されてしまう。
 それまで愛想良く、常に爽やかな表情を浮かべていた王子は青年に向けて睨みを利かせた表情を向けるが、互いに見つめ合い会話に夢中になっている二人が王子の存在に気がつくことは無かった。

 暗転後、場面は姫の部屋に変化する。

 姫は今日も青年に会うのを楽しみにポットやカップ、お菓子を鼻歌交じりにカゴに詰めていると、突如部屋の扉がノックされる。
 機嫌の良い姫が扉を開けると、扉の前に立つのは笑みを向ける王子だ。

「姫、突然申し訳ありません。少々、込み入ったお話がありまして、お部屋にお邪魔してもよろしいですか?」

 突如、王の意向で婚約者となった王子を毛嫌いしていた姫だが、同じ城で暮らすうちに王子が悪い人では無いと心を許し始めていた姫は、王子を部屋の中に招き入れる。
 しかし姫が扉を閉めた事を確認すると王子は途端に浮かべていた笑みを消す。

「それで、話というのは?」

 姫の疑問に答えること無く、王子は無言で姫の元に近づくとポケットの中に隠していた布で姫の口元を押さえる。そして抵抗する暇も無く、姫は気を失い倒れこんでしまう。
 床に倒れた姫に不気味な笑みを浮かべた王子は、無抵抗な姫を抱きかかえ部屋を出ていく。

 再び暗転すると、舞台上は埃っぽくボロい最低限の家具が並ぶ部屋になる。そして床に座らされた姫は両腕を縄で固く結びつけられ、腕を組み姫を見下す王子を見上げる。

「どうして貴方がこんな事を…」
「どうしてって、姫が悪いのでしょう?平民なんかと仲良くするのだから」
「平民…?もしかして、あの方のこと?」
「えぇ、何度も見ていましたよ。貴方が花壇の前で楽しそうに平民と目を合わせ、笑い合っている姿。私の視線に一度も気づかない程、楽しんでいましたね」
「だからって貴方には何も関係が無いでしょう?」

 姫から投げられた言葉に王子は盛大な溜息を吐くと、首を振る。

「はぁ、貴方は本当に何も分かっていない。どうして私が自分を偽り、日々愛嬌が良い王子を演じて過ごしているんだと思いますか?そしてなぜ、婚約が決まってすぐ、婚姻の予定も立つ前に城に来て、共に過ごすようになったんだと思いますか?」
「そんなの知らないわよ」
「では教えてあげましょう。全て貴方を、姫を私のモノにするためですよ」
「何を言っているの…?」
 
 恐怖を感じた姫は後ずさる。

「貴方はこれまで舞踏会や茶会、どんな社交の場に出ても、誰にも興味を示さなかった。そして私はそんな貴方がどうしても欲しかった。籠の中の鳥の様に城から出されること無く、大切に育てられた貴方を。だから貴方のお父上である国王から婚約についてのお話が来た時は喜びましたよ。そして茶会で国王から婚約が公表され、貴方は私の婚約者となった。でもいざ顔を合わせると貴方は私を毛嫌いしている様だった。だから今度は貴方の逃げ場が無くなるように、私の味方を作る必要があった。だからこそ、早々に城で暮らし始め、愛嬌を振りまいていたんですよ」
「…じゃあ今まで見せていた貴方は全て作りモノの姿だったと言うの?」
「えぇ、そうですとも」
「なんでそんな面倒な事を…」

 姫の疑問に突如、人が変わった王子は語気を強め姫に迫る。

「貴方を私のモノに出来るのなら、私はなんだって出来るんですよ。なのに…、それなのにっ!貴方は爵位すら持たない平民に気を惹かれていた。何が良いと言うんですか!あんな奴の…!」
「あの方は貴方のように自らの利益の為だけに身勝手な行動をしないわ。それにそんな汚く醜い考えも持たない。貴方のような人と比べること自体が失礼だわ」
「こんな状況になってもまだ貴方はそんな事を言えるのですね。身動きすら思うように取れないと言うのに」
「貴方に屈することは無いわ」

 王子を睨み、吐き捨てるように告げた姫を嘲笑う王子は姫の前で膝を折ると姫の顔を掴み、強引に目を合わせる。

「まだ貴方は自分の立場を理解していないのですか?ここは城の外れの何十年も使われていない忘れられた塔の最上階です。もし衛兵が城中を探しても、貴方が見つかる事は無いでしょう。ですが一つだけ、貴方を解放する条件を差し上げましょう」
「条件?」
「私と正式に婚姻を結び、あの平民とは金輪際、接触しないと誓うことです。簡単な事でしょう?」
「嫌よ」
「言われた事に従順に従っている方が可愛いと言うのに。まぁでも良いでしょう。そんなに貴方が解放を望まないのなら、このまま貴方の命が尽きるまで、この塔で過ごすと良い。私だって、いつまでも反抗ばかりする姫を手中にしても嬉しくは無い」
「勝手にすれば良いわ」
「貴方が亡くなった後、私が貴方の亡骸を皆の元へ連れて行って差し上げますよ。何者かに監禁され、私が発見した時には既に姫の息は止まっていた、とでも言ってね」

 氷のような冷酷さを纏う王子は立ち上がると、扉のもとへ向かいドアノブに手を伸ばすと一度姫を振り返る。

「ここで自分の愚かさを恨むことです」

 王子は部屋を出ると鍵を閉め、足音を立てて立ち去る。

「お父様は心配してくれるかしら…。今日はあの方と美味しいクッキーを食べる約束をしていたのに、今頃どうしているかしら…」

 誰に言うでも無く、姫は宙に向かって呟く。そしてそれまで強がっていた姫が表情を歪めると一筋の涙が溢れ、堰を切ったようにポロポロと涙が溢れ出す。

 涙を拭うことも出来ずに泣き続けていると、遠くから「姫!」と呼ぶ声が聞こえる。

「まさか、あの方…?いえ、こんな場所に来られるはずが無い。きっと幻聴ね…」

 一度は首を振る姫も、どんどん近づいてくる呼び声と足音に「私はここよ!」と姫は姿も見えない相手に叫ぶ。
 ようやく扉の前までやって来た青年は床に落ちていた針金を鍵穴に入れ、閉ざされていた扉を勢いよく開けると拘束されている姫の元へ慌てて駆け寄る。

「姫!良かった、見つかって」
「どうしてここに…?」
「今日はいつもより早い時間に花壇に来ていたんです。そしたら遠目に何かを抱える王子の姿が見えて。初めは気にせずに貴方を待っていたのですが、嫌な予感がして遅れて王子を追って来たんです」
「ここに貴方が居る事がもしバレたら…」
「安心して下さい、王子が既に城の方に戻って行ったのを確認してから、塔の中に入ったので、僕がここに来た事はバレていませんよ。それより姫、腕の縄を解きます」

 青年は固く結ばれた縄に触れると少しずつ、縄を解いていく。

「ありがとう。器用なのね」
「普段から指先を使う仕事をしていますから。…解けましたよ」

 縄が解けた姫は腕が自由になると濡れている目元を拭う。

「…泣いていたんですか?涙の痕が…」
「ごめんなさい。みっともない姿を見せてしまって…」
「良かったら僕のハンカチを使って下さい」
「ありがとう。…でもダメ、貴方の顔を見たら安心してまた涙が…」

 ポケットからハンカチを出そうとする青年に姫は抱きつく。青年は困った表情を見せたものの、すぐに背中に腕を回す。

「大丈夫です。もう怖くないですよ」

 一際優しい声と柔らかい表情で青年は姫の背中を擦り続けると、ゆっくり舞台が暗くなる。

 再び明るくなると玉座には国王が座り、周囲には衛兵が並ぶ中、姫や青年は国王に事件のあらましを話していた。

「お父様、王子は私を城の外れの塔に監禁しました。そして今、私の隣に居るこの方がいなければ、私は二度と日の目を見る事無く命を落とすところでした」
「…と姫は言ってるが、何か言いたい事はあるかい?」

 国王に話を振られた王子はシラを切り、国王も姫の戯れだろうと笑う。真実を話しても理解されず、姫は俯き黙り込む。
 そして自然とこの話が終わりの方向に転びかけると、それまで黙り込んでいた青年が深く息を吸うと一歩踏み出し、声を張る。

「お待ちください、国王様。いくら姫が婚約に乗り気で無かったとはいえ、姫がそのような虚言を吐くと本当にお思いですか?姫は国王様にとって姫である前に実の娘でしょう。父が娘の話を信じず、どうするのですか」

 その言葉にそれまで偽りの笑みを浮かべていた王子は表情を歪める。

「この平民風情が、勝手な事を…。お前のような身分も弁えていないような奴が姫を独り占めするから、私がこのような事をする羽目になったのだろう!」

 勢いのままに自白した王子はすぐに言葉を換えようとするが、衛兵に拘束される。

「姫の誘拐、監禁は立派な国家反逆罪だ。お主と姫の婚約は無しだ。お主のことは一度、地下の牢に幽閉する。二度とその姿を姫の前に見せることを許さん」

 拘束されている王子は衛兵に連れられて舞台袖から去って行く。国王は玉座から立ち上がると青年に頭を下げる。

「すまなかった。確かにお主の言うとおり、私は国王である前に、その子の父親だ。最近はその事をすっかり忘れていたらしい」
「出過ぎた真似を、どうかお許しください」
「咎めたりなど、するものか。むしろ私はお主に感謝しているのだよ。孤独だった姫の友人となってくれたこと、姫を危険から救ってくれたこと。ささやかだが、お主には爵位を授けたい。さすれば姫の友人だと名乗っても、文句を言う者も出てこないだろう。そして姫、姫は私の娘だと言うのに、その言葉を信じようとせず、すまなかった。それに姫の婚約にこの国の未来を掛けるのは間違っていた。この国を守り、繁栄させるのは国王である私の仕事だ。だから姫、姫は自らの望む者と共に添い遂げると良い」
「ありがとうございます、お父様!」

 満面の笑みを浮かべると姫は青年の手を取る。

「貴方も、本当にありがとう。こんな事に巻き込んでしまったけど、これからも私と友人で居てくれる?」
「僕にとっても、姫と過ごす時間は充実したとても楽しい時間です。姫や国王様が許してくれるのなら、これからも貴方の友人でありたいです」
「貴方は私にとって、かけがえのない大切な友人よ!」

 青年は迷う事無く姫の手を包み返すと二人は見つめ合う。そんな姫と青年に国王は口角を上げると、頷く。
 そしてどこからともなくナレーションが入る。

「時は過ぎ、王子の行いは国家間を跨がる大事件として非難され、王子の生まれである隣国は責任を問われることとなった。そして姫を救い、国王に対して臆さずに進言した青年は叙爵式で爵位を与えられると共に行動を賞賛される事となり、国王公認のもと、姫と青年は婚姻を結び、結婚式は国を挙げて盛大に執り行われることとなった。姫と青年は身分という枠組みを超えて一人の人として幸せを手に入れるのだった」

 舞台の終わりを告げるように音楽のボリュームが上がると緞帳がゆっくりと閉じていくと、大講堂中からはしばらく拍手が鳴り続けるのだった。