伯爵令嬢になった世界では大切な人に囲まれ毎日が輝く2

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 舞台袖についてもまだ開演まで時間がある。緞帳が開く前には舞台監督の挨拶があり、その後開演ブザーが鳴り舞台が始まる。緞帳が閉じているため、客席の様子を伺うことは出来ないが、客席から薄らと観客達の話し声や足音が聞こえる。

 本来、選択科目である演劇や演奏、オペラなんかは観覧の授業で披露するため、貴族階級の学生しか見る事が出来ない。だが文化祭では学生だけで無く、学生の家族や先生達も観客として見る事が出来るのだ。

 アンリと共に舞台袖に居るのはキューバだ。カリマーは既に立ち位置についている。

「キューバ先輩って初めて舞台に立ったのはいつだったんですか?」
「ん?急にどうしたの?」
「さっきカリマー先輩とも話していたんです。それで気になっちゃって」
「実はね、アンリちゃんも知っての通り、女学生に比べて男子学生は少ないから、二年生の時からほとんどセリフのない役とかモブ役を演じる事はあったんだけど、準主役ってメインキャラに就いたのは初めてなんだ」
「そうだったんですか?!初めてだったなんて信じられないです」
 
 アンリが目を見開いて驚くと、キューバは声を上げて笑う。

「それアンリちゃんが言っちゃう?アンリちゃんこそ正真正銘の初舞台、しかも主役でしょ?」
「あ、えっと、確かに…」
「でもアンリちゃんもすごいけど、カリマー先輩も本当にすごいよ。普段は極力誰とも喋ろうとしないのに、練習になった途端、別人みたいに変わるんだもん。去年、初めて先輩の練習を見るまでカリマー先輩と関わる事なんて無かったけど、そんな豹変ぶりが面白くてちょっかい出す様になったんだよね」
「そんな理由で…」

 キューバはカリマーと顔を合わせると暇さえあればカリマーを揶揄ったり、ちょっかいを出す。カリマーにばかり構うキューバを時々不思議に思うことがあったが、まさかそんな理由だったなんて。
 苦笑いを隠せないアンリを気にすることの無いキューバは「そう言えば…」と突如話を変える。

「そう言えばアンリちゃんに一つ、確認しておきたいことがあったんだ」
「なんですか?」
「舞台の終盤に王子が姫を抱えるシーンがあるでしょう?昨日の通し練習の時、痛くなかった?」

 舞台の終盤に眠っている姫を王子が抱きかかえて歩いて行くシーンがある。役柄的にも強引に抱き寄せるのだが、そのシーンの事を聞いているのだろう。

「大丈夫でしたよ」
「そっか、良かった。普段女の子を抱きかかえる機会も無いし、不安になっちゃって」
「先輩こそ、慣れていないのに大丈夫だったんですか?」
「大丈夫だよ、アンリちゃんは軽いから」
「それなら良いんですけど、怪我はしないで下さいよ?」
「ありがとう、アンリちゃんは優しいね」

 いつの間にか時間は過ぎていたようで突如、舞台監督の挨拶が耳に入る。
 挨拶では舞台のあらすじや情景、これまでの練習風景が話される。普段舞台監督は先生の隣で共に指導する側に回っているだけの事あって、この挨拶だけで舞台監督がどれだけアンリ達の練習を事細かに見ていたのかが伝わってくる。

「いよいよですね」
「さすがに緊張してる?」
「いえ、それよりも楽しみです」
「そっか。やっぱり見に来てくれている人の事を考えるのも大切だけど、なによりアンリちゃん自身が楽しむのが一番大切だね。アンリちゃんの感情はきっと共演者にも観客にも伝わるから。それにもしもの事があっても、私達がアンリちゃんをサポートするからね」
「…先輩ってそんな真面目な事も言うんですね」

 アンリが笑って答えれば、先輩は拗ねた表情で溜息を吐く。

「はぁ、一体アンリちゃんの中で私はどんなイメージになっているんだか…」
「どうって…」

 初対面のキューバは集会室で一人、内心ではソワソワしていたアンリに丁寧な挨拶で声を掛けてきた紳士だった。だが本性は冗談を言ってみたり、カリマーを揶揄ってみたり、第一印象とはずいぶん違う人だった。これを正直に言えばキューバは余計に拗ねるだろうが、そんなキューバが居てくれたからこそ、アンリが演劇の授業で独りぼっちにならなくて済んだのも事実だ。

「アンリちゃん、この話はお終い。挨拶が終わったみたいだよ」

 舞台監督の挨拶が終わると客席では拍手が響く。そして拍手が鳴り止んだ事を確認すると開演ブザーが鳴る。
 ブザーが鳴り終えると客席の照明が落ち、フェードインで音楽が流れるとベルベッド生地のワインレッドの緞帳が中央からゆっくり割れて左右斜め上に向かって開く。

 舞台袖から見える舞台上ではカリマーを始め、数人の平民役が城へ作物や工芸品なんかを献上するシーンから始まる。舞台上は今、城の内部をイメージしているが、この後の暗転で引割幕が開き舞台上は花壇へと変わる。そしてついにアンリの出番だ。