伯爵令嬢になった世界では大切な人に囲まれ毎日が輝く2

 いつもより早い時間に屋敷を出たため、いつもより街中も人通りが少なく、アンリ達の作った看板が吊り下げられた校門をくぐった先にも学生はほとんど居ない。
 広大な学園の敷地には様々な模擬店のテントが並び、学祭が始まるのを今か今かと待ち構えている。

 アンリがこんなにも早い時間に登校してきたのには訳がある。色々な事に気を取られてすっかり忘れていたが、朝一番に実行委員の集まりがある。
 そしてそんなアンリに合わせてフレッドも早い時間に登校してきたのだ。

 こんなにも静かな学園は初めてな上に、学祭に向けて準備のされている学園はいつも通っている場所と違う場所のようで不思議とソワソワする。

「そういえばアンリの居た世界にも学祭ってあったの?」
「うん、あったよ。でも一緒に回るような友達も居なかったし、ちゃんと参加するのは初めてなんだ」
「そうだったんだ。じゃあ今日はたくさん楽しもう」
「うん!」

 本館に囲まれる様な場所にある中央広場。そこには噴水やベンチ、パラソル付きのテーブルなんかが設置され、学生達にとっての憩いの場だ。
 そんな中央広場の噴水前にあるベンチでザックは足を組み、本を片手にアンリを待っていた。

「ザックくん、おはよう」
「おはようございます」
「お、二人ともおはよう。バノフィーくんも一緒に来たんだね」
「はい、一緒に来てしまえば馬車を二度も出さずに済みますから」
「確かにそれもそうだ。じゃあ私達が集まりに出ている間は暇になるだろうから、クラブに居ると良い。きっと、しばらくしたら二人も来るだろう」
「はい、そうします」
「じゃあアンリ様、行こうか」

 ザックは持っていた本を鞄にしまうと立ち上がり、歩き出す。

「フレッド、また後でね」
 
 フレッドに手を振ると、アンリはザックと並んで本館へ入る。物音一つ立たない本館は、二人分の足音がよく響く。

 学園に入学したばかりの頃、元々方向音痴だった事もあり広い学園の中を移動する時はいつも同じく方向音痴であるミンスと道に迷っていた。
 一年以上が経ち、さすがに学園内で道に迷う事は無くなったものの、一度も行ったことの無い教室に向かう時はザックが隣に居ると心強い。

「当日の朝に集まりがあるなんて、すっかり忘れていたな」
「だね。昨日先輩達も特に何も言ってなかったよね」
「きっと会長達も忙しくて気が回らなかったんだろう。私もプリントを見て、ようやく思い出したくらいだ」
「昨日は本当にありがとう」

 昨夜、夕食を食べ終え両親やフレッドと談笑していると、メイドから訪問者の訪れを告げられた。そして玄関へ向かうと立っていたのはザックとレジス家の使用人だと言う男だった。

 急な訪問に何事かと話を聞くと、学祭当日の朝、実行委員の集まりがあった事を屋敷に帰った後に思い出したらしく、アンリも忘れているかもしれないと思ったザックはわざわざ馬車を走らせ知らせに来てくれたのだ。
 案の定、当日の集まりをすっかり忘れていたアンリはザックのおかげで集まりがある事を思い出し、急遽今朝は早い時間に登校する事になったのだ。

 集合場所になっている教室に入ると、そこに居るのはカリマーとフルールだけだ。二人はプリントをまとめたりと忙しそうだが、カリマーはアンリ達の足音に気がつくとホッと息をつく。

「アンリさん、レジスさん、おはようございます。すいません、実行委員の方には担当ごとのリーダーである生徒会から本日の集まりについて改めて周知するように言っていたのですが、僕がお二人にお伝えするのを忘れてしまっていて。お二人が今朝の集まりを覚えていてくれて良かったです」
「アンリちゃん、おはようございます」
「おはようございます。えっと、他の方達は?」
「集合時間には早いですし、まだ誰も来ていません。ちゃんと揃ってくれると良いんですけど…」

 不安そうに眉を下げるカリマーと対照的に、フルールはまとめていたプリントを机の上に置くと、アンリの元へ小走りでやって来る。そして正面に立つと、アンリよりも身長の低いフルールは眼鏡の奥の瞳をキラキラと輝かせながらアンリを呼ぶ。

「アンリちゃん、抱きついても良いですか?」
「え?」
「ほら、昨日私がアンリちゃんにいきなり抱きついたらカリマーに叱られたでしょう?だからアンリちゃんから許可を貰えたら良いのかなって考えたんです」
「僕はそういう意味で言ったんじゃないよ」

 フルールは眼鏡の奥の瞳を一段と輝かせる。そんなフルールはアンリよりも年上だが、上目遣いで見つめてくる表情や仕草はとても可愛らしい。
 そんなフルールからのお願いを断れるわけも無く、ゆっくり頷くとフルールはまるで飛びつくようにアンリに抱きつく。

「はぁ、本当にアンリちゃんって可愛いです。私の癒やしなのです」
「私よりフルール先輩の方がとっても可愛いですよ」
「そんな風に言ってくれるのはアンリちゃんだけです。それにこんな風に抱きしめさせてくれるのも、アンリちゃんだけなのです」
「そうなんですか?」
「カリマーは人前で抱きつくと恥ずかしがって嫌がるし、他の女の子達はウザがるんです」
「アンリさんだって、断れないだけかもしれないよ」

 カリマーが手を動かしながら言うと、真に受けたフルールは瞳を潤ませ、アンリを見上げる。

「アンリちゃん、そうだったんですか?」
「確かに昨日は驚きましたけど、でもフルール先輩とこうしていると、なんだか心がポカポカして幸せです」

 これはアンリの本心だ。昨日突然抱きしめられた時は何事かと驚いたが、だからといって嫌な気持ちにはならなかった。むしろ小さな体、全身を使って感情を表現するフルールが可愛く、そしてアンリ達の間で癒やし担当になっているミンスに似ているなとも感じていた。

「わぁ、なんて良い子なんでしょう。出会ったばかりですが、私アンリちゃんのことが大好きです。これから仲良くして下さいね」
「もちろんです」

 こうしてアンリにとって初めての女の子の友達が出来た。フレッドやクイニーを初めとして男の子の友達は居たが、やはり同性の女の子の友達が出来るのは特別な嬉しさがある。
 フルールとはもっと仲良くなりたいし、色々な事を今度ゆっくり話してみたい。
 
 しばらくフルールはアンリに抱きついたが、カリマーに仕事に戻るように言われると名残惜しそうに離れると、机に戻る。
 カリマーやフルールの前には書類の束やバインダーが積み上げられている。アンリとザックは目を見合わせると二人の元へ向かう。

「先輩、私達も手伝います」
「ありがとうございます、とても助かります。ではプリントを三種類分けたので、一枚ずつ取ったら、このバインダーに挟んで貰えますか?」
「分かりました」

 プリントには確認項目やチェックリストが書かれ、どうやら学祭の見回りをする際に使うモノのようだ。
 カリマー曰く、本当は昨日看板の取り付け作業を終えた後、この作業をするはずだったが、コピーする機械の調子が悪く急ぎで修理を手配したりと余計な仕事が増え、作業が出来なかったらしい。そしてコピーが出来なかった事で他にも滞ってしまった仕事は他の生徒会メンバーが生徒会室で急いで片付けているらしい。

 初めて生徒会室に顔を出すまで、生徒会の存在を大して気にしたことが無かった。それこそ記憶にある事と言えば、入学式で前任の生徒会長が挨拶している姿くらいだ。
 だが実際は学生達に見えていなかっただけで学園や学生の生活を支えている縁の下の力持ちだ。

 時間が経ち、徐々に実行委員が集まりだした頃、プリントをまとめてバインダーに挟む作業も終わり、カリマーは安心したように一息吐く。

「アンリさん、レジスさん、ご協力本当にありがとうございました。おかげでなんとか間に合うことが出来ました」
「少しでも先輩達の力になれたのなら良かったです」

 アンリとザックが席を移動し、実行委員が揃ったことを確認するとカリマーやフルールは真剣な眼差しで学生達の前に立つ。

「みなさん、朝早くから集まって下さりありがとうございます。それぞれの担当のリーダーを担っている生徒会から皆さんの活動の報告は受けています。お忙しい中、時間を取って作業して下さりありがとうございました。学祭当日を無事に迎えられたのは、みなさんのおかげです。本日は担当時間に学内の見回りを行い、問題が起きていないかなどの確認をお願いします。そしてイベントの運営や進行などの仕事が控えている人は改めてよろしくお願いします」

 フルールは担当ごとに集まって座っている学生達のもとへ向かい、先程プリントを挟んだバインダーを配っていく。装飾担当はアンリとザックの二人だけのため、見回り作業も二人で回る事になる。人間関係を広げるのが苦手なタイプのアンリやザックからすれば、万々歳だ。

 そしてカリマーは質問が無い事を確認すると、この場を閉じるのだった。

 教室を出る際、カリマーやフルールに挨拶をしようかと思ったが、他の学生達に声を掛けられている。特別用事があったわけでも無いしと、アンリとザックはその場を後にした。

「ついに始まるんだね」
「アンリ様は舞台に立つ以外の時間は私達と一緒に居られるんだろう?」
「舞台の始まる前に準備があるから早めに大講堂に行かないといけないんだけど、それ以外は一緒に居られるよ」
「そうか、それなら見回りは夕方の時間だし、午前中はゆっくり出来そうだな」

 本館を出て別館へ向かう途中、まだ学祭が始まるまで時間があるにも関わらず、多くの学生が登校して来ていて活気があり、アンリ達が登校して来た時の静けさが嘘みたいだ。

 食べ物を売るテントの中では学生達が調理の下準備をしたり、模擬店によってはビラを配ったり、今のうちからアピールしている。
 ビラ配りをする女学生は一軍に属するタイプ、男子学生は体育会系や明るくノリが良いタイプがほとんどだ。そんな彼らに共通する事と言えば、誰彼構わずに話し掛けてくること。アンリやザックも例外では無い。

「そこのお二人さん、これ俺らの模擬店」
「ってあれ、オーリン様じゃん。今日俺らと一緒に回ろうよ」
「レジスくん、私達と一緒に行きましょう」

 アンリとザックは誘いを断りながら進むが、イベントを前に気が高ぶっているのだろう。アンリ達が断っても、「そっかそっか、まぁ仕方ないか」と男女問わず彼らは諦めよく去って行く。

 別館に入り三階に上がる。クラブの扉を開けるとクイニーやミンスも既に登校してきている。だが、クイニーから漂う空気が悪い。
 挨拶をしながら部屋へ入ったアンリとザックの元にミンスが駆け寄って来ると、小声で事情を教えてくれる。

「あのね、朝から色々な人に声を掛けられたらクイニー、すっごく機嫌が悪いの」
「まぁ想像通りだな」
「いつもの事って言ったらそうなんだけど、最近は絡まれることも少なかったでしょう?余計に機嫌が悪くなったみたい」
「じゃあほら、癒し担当はミンスなんだから、どうにかしてくれ。あんな仏頂面で居られたら、こっちが気を遣う」
「えぇ、僕?癒やし担当って言っても出来る事と出来ない事があるんだからね?…まぁやってみるけど、上手くいかなくても文句言わないでね」

 ミンスは考える素振りを見せると、何かを思いついたのか小走りでクイニーのもとへ向かう。

「ねぇクイニー!見てみて」
「…何してんだ?」
「ウサギさんだよ。可愛いでしょう」
「どうしたらそれがウサギに見えるんだよ」

 ミンスが考えた末に見せたのは両手で作ったウサギだ。ただ、一目で見てウサギと分かるモノではなく、影絵として見ればウサギに見えるモノだ。そのため明るい部屋で見せられても、イマイチ伝わらないだろう。
 当然、影絵と縁の無さそうなクイニーは分かっていないし、ザックは溜息を吐きながら頭を押さえ、フレッドでさえ苦笑いだ。

「お前、機嫌の取り方が下手なんだよ。どうしてそのよく分からないモノを見て俺が和むと思うんだ」
「えぇ?だってウサギさんだよ?」

 未だに手でウサギを作っているミンスは首を傾げる。ザックと共に部屋に入ったアンリはミンスの横に立つと声を掛ける。

「ミンスくん、それって影絵だよね。この場でやってもウサギって伝わらないんじゃ…」

 やはり気がついていなかったようで、ミンスは「あっ」と間抜けに口を開く。
 そもそも影絵として成立しウサギを見せられていたとして、ミンスは本当にクイニーの機嫌が落ち着くと思ったのだろうか。
 クイニーはそんなミンスに呆れたように笑う。

「お前、本当に時々抜けてるよな」
「でもクイニーも少しは機嫌良くなったでしょう?って事で、成功~」
「無理やり持っていったな」
「せっかくのイベントなんだから、怒っていたら損だよ」
「せっかくもなにも、ただ面倒なだけだろ」
「もぉそんな事言わないの」
「だってどうせアンリの舞台の時間以外はここに居るんだろ?」
「え?」
「へ?」

 クイニーと話していたミンスだけで無くアンリまで拍子抜けして間抜けな声を出す。
 だっててっきり今日は学祭を回るモノだと思っていた。まさか本当にここで一日過ごすつもりなのだろうか。

「行かないの?」
「どうして自らあんな人混みに行かないといけねぇんだよ」
「だってせっかくの学祭だよ?」
「そうだよ、去年は参加しなかったんだし、その分も今回は…」
「去年はお前らも行かなくて良いって言ってただろ」
「そうだけど。でもここまで来たんだし、楽しみたいじゃん」

 アンリとミンスが必死に説得しようとしても、頑固なクイニーはいつまでも意思を曲げようとしない。このままでは本当に学祭の雰囲気すら楽しむことが出来ずに終わってしまうかもしれない。
 アンリが肩を落とし視線を下げると、ミンスはアンリを引き寄せ頭を撫でる。

「ほら、アンリちゃんが落ち込んじゃったじゃん」

 アンリの事を撫でるミンスもシュンとした表情で、犬耳や尻尾が生えていたら、下がりきっているのだろう。

 一連の流れを見ていたフレッドは遠慮したように「あの…」と間に割って入る。

「全員で行かなくても、行きたい人だけで行けば良いんじゃないですか?無理に行く必要も無いわけですし」
「確かに!フレッドくん天才」
「もちろん私とミンスくんは行くよね?」
「もちろん!フレッドくんとザックは?」
「僕は元々アンリと回るつもりだったので、一緒に行きます」
「そうだな、せっかくここまで来ているんだし、時間もある。私もついて行こう」

 揃って首を縦に振るフレッドとザックに、クイニーは途端に慌て出す。

「おい、お前ら本気か?」
「本気だけど、どうしたの?やっぱり一人でお留守番はクイニーでも寂しいの?」
「は?んな訳ないだろ」
「良いのか、クイニー。私達が出ている間、ずっと一人なんだぞ。それに私達が戻ってきたとしても、一人だけ話題に入れないまま…」
「分かったよ!一緒に行けば良いんだろ」
「最初から大人しくそう言えば良いものを…」

 相変わらずザックは誰よりクイニーの扱いが上手く、掌で転がす。とてもじゃないが、アンリとミンスには出来ない芸当を当たり前の様にやってのけてしまうから、羨ましい。

「わ~い、じゃあみんなで行こう」

 満面の笑みで喜ぶミンスとは対照的に、クイニーは一人でブツブツと呟いている。だがそんなクイニーの事は放っておくとして、アンリやミンスもそれぞれ座ると、フレッドの淹れてくれた紅茶を飲みながら学祭の始まる時間をひたすら待つ。

 しばらくして学祭の始まりを告げる放送が流れると、アンリ達は揃ってクラブを出る。

 別館から外に出ると賑やかだ。呼び込みに励む学生、学生達の家族なのか小さな子ども達がはしゃぐ姿、どこからか陽気な音楽も聞こえる。

「わぁ、すごい賑やかだね」
「今朝、あんなに閑散としていたのが嘘みたいだな」
「はぁ、どうして俺がわざわざ…」
「行きたい人だけで行こうってなったのに、一緒に来るって言ったのはクイニーでしょ?」
「クイニー、心配せずとも模擬店や特設ステージに夢中で、学生達は特に私達の事なんて気にしていないみたいだ」

 ザックに言われ周囲の学生に目を向ければ、確かにアンリやクイニー達に目を向けている学生は一人も居ない。模擬店のテントの中では学生が接客に励み、友人と歩いている学生達もどこへ行こうかと会話に夢中だ。別館から少し離れた場所に設置された特設ステージでは実行委員の考案担当の考えたイベントを進行担当の学生が盛り上げている。

 心地良い風が頬を撫でると共に、何か美味しそうな香りがアンリの鼻腔をくすぐる。

「なんか良い匂いがする!」
「確か教室では展示や体験型の模擬店が多く出店していて、外では飲食物の販売がメインらしい」
「見た事のない食べ物も売ってるみたいだよ」
「飲食系の模擬店の大半は労働者階級の学生が出しているから見慣れない料理も多いのかも」
「そうなの?」

 アンリが首を傾げると、フレッドが答える。

「ベーシックレベルとアドバンスレベルで学ぶ貴族階級の学生が模擬店を出すとしたら大抵、クラブ単位とか友人同士で出すでしょう?それと違ってエントリーレベルは必ず数人ずつのグループで模擬店を出さないといけないって決まりがあるんだ」
「そうなの?」
「そういう決まりが無いと労働者階級の学生にとってイベントは参加しづらいモノになっちゃうからね。それに彼らはクラブを作れないし、学生同士で何かをするって事自体が少ないから、学園に共に通っている友人同士で何かを出来る場として学祭を有効活用できないかって事で、理事長であるオーリン伯爵が考えたんだよ」
「そうだったんだ」
「バノフィーくんは相変わらずなんでも知っているんだな」

 エントリーレベルの学生は全員、模擬店を出さなければいけないという決まりがあるというのは初耳だ。
 でも確かにこの世界、何をするにも貴族が優先される世界でそういった決まりが無ければ、学祭のようなイベントに彼らが参加するのは困難だろう。
 そしてそんなルールを決めたのがお父様だと聞くと、なんだか嬉しい気持ちになる。

「じゃあ今日の学祭は彼らが居てくれるからこそ、成立するんだね」

 アンリが思った事をそのまま口に出すと笑みを浮かべたフレッドは「そうだね」と頷き、今まで話を聞いていたクイニーは溜息をこぼす。

「相変わらずお前ら二人はアイツらをそんな風に見ているんだな」
「だって私達が毎日不自由なくご飯を食べられるのも、当たり前の様に服を着たり馬車に乗れるのも彼らが居てくれるからだもん」
「まぁいい。こういう話題でお前らに反論しても、そもそもの考えが違うのは分かってる」

 クイニーは未だに階級を重要視するが、それはこの世界、階級制度の存在するフェマリー国で生まれ育った者なら当たり前とされる考え方だ。クイニーだけが敏感に気にしているわけじゃ無い。
 それでもクイニーがアンリの労働者階級の人達に対する接し方や捉え方を真っ向から否定する事は無くなったし、言い合いになる事も無くなった。
 溜息をこぼし、一見すれば冷たく見える反応も去年を思い返せば、かなり丸くなった方だろう。

 途端にそれまで周囲を眺めていたミンスが手を上げる。

「はいはーい!話も良いけど、僕お腹空いちゃった」
「あ、私も今朝は早かったしお腹空いたかも」
「じゃあ何か食べるか」
「うん!」

 テントの方に再び目を向けると遠目だが、チーズやナッツの盛り合わせやポテトフライなどの軽食はもちろん、ハンバーガーやサンドイッチ、パスタやパエリアといったガッツリとした食事の模擬店もあれば、ドーナツやパイやチュロスといった甘いモノまで幅広く売っているのが分かる。

「うーん、甘いモノも気になるけど、しょっぱい系も捨てがたいなぁ…」
「こんなに選び放題だと迷っちゃうね」

 ミンスの言う様にスイーツ系も気になるが、ハンバーガーなどの懐かしい食事も目を引くし、食べたことの無いモノも気になる。
 頭を悩ませるアンリとミンスにフレッドは微笑む。

「それなら少しずつ買って、分け合うのはどうですか?」
「あ、確かに!」
「じゃあ甘い系担当としょっぱい系担当で二手に分かれない?」
「わざわざ分ける必要あるのか?」
「まぁここはミンスとアンリ様に任せよう」
「じゃあアンリちゃんは甘い系、選んできてくれる?」
「うん!任せて!」
「じゃあ僕と一緒にクイニーの事も連れて行って良い?フレッドくんはアンリちゃんと一緒の方が良いだろうし」
「おい、なんで俺なんだよ。いつもみたいにザックを連れていけば良いだろ」
「私は別にミンスの保護者じゃないよ」
「ほとんど同じようなモノだろ」
「だってクイニーを連れて行けば、何かと頼りになりそうなんだもん」
「お前は優柔不断だし、熱中すると周りが見えなくなるから面倒なんだよ」

 ミンスがザックでは無くクイニーを連れて行くと言うのは、確かに珍しい。だが優柔不断でフラフラするミンスの事をリードするならクイニーが適任だろう。

「ほら行くよ、クイニー。じゃあアンリちゃん、また後でね」
「うん!またね」

 ミンスはクイニーの腕を掴むと振り返ること無く模擬店の方へ歩いて行く。スキップをしそうな勢いで歩いて行くミンスにクイニーは溜息を落とす。だがそれでも抵抗しようとすれば振り払える腕を振り払わずにミンスについて行くところがクイニーの良い所だ。

 残されたアンリやフレッド、ザックは顔を見合わせ微笑むと、ミンスやクイニーの向かっていた方向とは別方向へ歩いて行く。

「アンリは何が食べたい?」
「うーん、やっぱり悩むなぁ」

 甘いモノをミンスからは任されたが、それでも種類は数知れない。模擬店が並ぶ中を歩いていると、余計に悩んでしまう。
 キョロキョロと周囲を見渡すアンリに優しい眼差しを向けるフレッドにザックは声を掛ける。

「そう言うバノフィーくんは何か気になるモノは無いのかい?」
「僕ですか?うーん、改めて聞かれると困りますね」
「そうか。それなら途中でなにかあれば遠慮せずに言うんだよ」

 自分の事は二の次でアンリばかりを気に掛けるフレッドにザックは声を掛ける。そんな姿がまるで兄弟のようだ。
 ザックはミンスと一緒に居るとまるで兄弟の様だと前々から思っていたが、それはザック自身が面倒見が良く、お兄ちゃん気質なのかもしれない。

 二人に挟まれるようにして歩くアンリはいつも通り、何気ない会話をしているだけだが、お祭りモードに気分が上がっているのか、自然と口角が上がり続ける。

 アンリ達は悩みに悩んだあげく、抱えきれる限界まで買い物をする。ドーナツにチュロス、エッグタルトにマカロン。これらはアンリがどれにするのか選びきれずに買ったモノだ。
 そんなアンリに初めは「買いすぎでは…」と言っていたザックも途中からは「せっかくの機会だし、まぁ良いか」と笑っていた。

 そして最後、再びザックに声を掛けられたフレッドが遠慮がちにリクエストしてくれたチーズタルトを買うと、アンリ達は買い物を終えるのだった。

「そう言えば集合場所、決めてなかったね」
「あ、すっかり忘れてた」
「大丈夫だ。探さなくても、二人ならあそこに居る」
「え?あ、本当だ!」

 アンリと同じように、たくさんの食べ物を抱えるミンスやクイニーと合流すると、中央広場に移動する。普段なら学生達の憩いの場である中央広場には学生達が多く集まっているが、今日はいつもより人気が少ない。
 アンリ達はパラソル付きのテーブルに陣取ると買ったモノをそれぞれ広げる。そして改めて買いすぎていた事に驚く。
 ミンスは途中でクイニーから止められたようだが、それでもチキンやサンドイッチの詰め合わせ、ポテトの詰め合わせ、ナッツの類いを買っている。

「これは…、買い過ぎじゃねぇか?」
「だって選びきれなかったんだもん」
「まぁ食べられるんなら良いが、気をつけろよ?」
「え?何を?」
「この後、舞台立つんだろ?食べ過ぎたら衣装が着られなくなるぞ」
「もう!クイニーは失礼なんだから」
「冗談だ。それにアンリはもう少し食った方が良い」
「それを言うならみんなだって痩せてるじゃん」

 改めて買ってきたモノを眺める。どれも学生達の作ったモノだが、クオリティーが高い。
 普段屋敷で食べる食事はもちろん美味しいが、様々な種類のモノを自分達で買ってきて食べるのも惹かれる。

「じゃあ僕はチキンから食べようかな」

 各々食べたいモノに手を伸ばす。アンリもハムやチーズ、レタスの挟まれたサンドイッチを手に取ると、口に運ぶ。もちろん作られた食事が美味しいというのは見た目から分かっていたが、それ以上に青空の下でみんなで食べるご飯は本当に美味しい。

「アンリは本当に美味しそうに食べるよね」
「そうかな?」
「アンリが幸せそうに食べている姿を見ていると、なんだか僕まで嬉しくなるよ」
 
 そう言うフレッドに美味しそうにチキンを頬張っていたミンスが大きく頷く。

「あ、確かに。僕もアンリちゃんが美味しそうにご飯食べてると、いつもよりご飯が美味しく感じるかも。それにそれだけ幸せそうに食べてくれるなら、僕の分まで食べてって言いたくなるもん」
「えへへ」

 改めて本当に幸せだと感じる。こうしてみんなとご飯を食べられること、笑い合えること。
 
 今では遠い記憶だが、沢木暗璃として暮らしていた頃は食事に美味しさなんてモノは求めていなかった。一緒に食卓に座る母や妹の機嫌を崩さないように、叱られないようにと、そんな事ばかりに気を回していた。でも今は違う。こうして誰かと共に食べるご飯が本当に美味しくて、楽しくて仕方ないのだ。