その日の帰り、待ち合わせ場所の校舎脇に現れた和也は、大きな紙袋を両手に持っていた。
 ああ、なんだな。言われなくても分かる。チョコレートだ。
 なんか今朝よりもめちゃくちゃ増えてる。
 和也が俺を見つけて、嬉しそうに逞しい口元を緩めて微笑んだ。
 がさがさと紙袋を鳴らしながら駆け寄って来る和也に、俺はため息しか出なかった。
 「先輩?」
 目の前に立った和也は、困ったように首を傾けている。
 「……お前さ、いくらなんでも貰いすぎじゃね?」
 つい文句を言うような口調になってしまう。
 「いや、まあ、いいんだけどさ」
 取り繕うように頭を掻いた。
 「先輩がくれた人に申し訳ないって言ってたし。俺もそう思ったから」
 「うん。分かってる」
 「でも、先輩が嫌だって言うなら」
 「嫌だって言ってないだろ」
 「でも……」
 「いいって」
 そんな小競り合いをしていると、俺の背後からパタパタと足音が聞こえた。
 振り返った先、校舎の角から顔を出したのは、小柄な女子生徒だった。
 「和也」
 親し気に和也の名前を呼んで、まっすぐに和也に向かって歩いてくる。
 和也が顔を上げて俺の肩越しにその子を見た。しかし、すぐに俺に視線を戻す。
 その和也の動作でその子はやっと俺の存在に気が付いたようだった。
 「あ、お話し中?」
 その子の少し高めの声が俺の耳に届く。
 「うん」
 和也が当たり前のように応えている。
 「ごめんなさい。あの、ちょっと、いい?」
 「なに?」
 そっけない物言いに、俺の方が不安になる。
 「あの、えっと……」
 そう言って、その子が俺を横目で見る。
 あ、俺、邪魔ね。
 「和也、ちょっと、先に行ってるわ」
 俺は和也に声をかけた。
 「え?待ってください」
 和也が焦ったような声を出す。
 「ほら、なんか話があるみたいだから」
 俺がそう言うと、女の子がホッとしたように小さく微笑んだ。瞳がウルウルしている。うわ、可愛いわ。
 和也はその子を見て、次に俺に視線を戻して、ぎゅっと唇を結んでから口を開いた。
 「先輩、すぐに行くんで、校門のところで待っててください」
 絞り出すようにそう言った。

 俺は二人に背を向けると、肩越しに右手をひらひらと振って歩き出した。
 てくてくと歩いて、校門にたどりつく。
 門の横にある柱に寄りかかると、息を大きく吐き出した。
 --今頃、告白されてるんだろうな。可愛かったな、あの子。
 前に、一年にすごく可愛い子がいるって話題になった子だよな、たしか。
 そんな子にチョコ貰って「好きです。付き合ってください」とか言われたら、どうするんだろう。あいつ。
 フルフルと頭を振った。

 しばらくして、和也が息を切らしてやってきた。
 「せ、せんぱい」
 和也の揺れる大きな瞳。オドオドしてるように見えるのは気のせいか。
 「おつかれ」
 そんな和也の様子に、なんだか変に余裕な声が出た。
 「先輩?」
 困惑したような和也の声。
 「帰ろう」
 俺はそう言って歩き出した。
 和也が相変わらず紙袋をがさがさ言わせながらついてくる。
 その袋には、あの子のからのチョコも入っているのだろうか。それとも、もしかして、通学かばんの中に入ってるのかもしれないな。
 「先輩、公園よっていきませんか」
 「ああ、うん」
 駅までの道を逸れて、少し歩くと公園がある。遊具がほとんど無い自然公園のせいか、いつも人影はまばらだった。
 俺たちはよく、学校の帰りにその公園のベンチで過ごした。
 高台にある公園のベンチからは、遠くに市街の様子を望むことができる。
 二人して、いつものベンチに座る。
 今日は部活がなかったから、それほど遅い時間ではない。それでも、そこから眺める二月の空は、すでに淡い暗赤色に滲んでいた。

 和也が若干面倒くさそうに大きな二つの紙袋を俺とは反対側の自分の脇に置いた。
 どうしても、その袋に目が行ってしまう。
 「――いくら何でもモテすぎだろ」
 自分でも思いがけず低い声が出ていた。
 「え?」
 「あ、いや」
 ガシガシと自分の頭を掻く。その手に、何か温かいものがかぶさる感覚。
 和也が髪をかき上げる俺の手を上から押さえるようにしていた。
 「――?」
 そのまま俺の手を持ち上げると自分の胸の前で握りこんだ。
 「先輩の髪って、サラサラで綺麗ですよね」
 少し瞳を細めて俺のつむじ辺りを見ている。
 って、てか、手、離せよ。
 思わず手に力が入る。それを力づくで抑え込むように、和也が俺の手をさらにぎゅっと握った。
 「――和也っ」
 手を振り払おうにも、和也の右手がてことして動かない。
 俺が必死に奮闘しているのに、こころもち目尻に皺を寄せている和也。――面白がってないか?
 「先輩。俺ちょっと嬉しいです」
 「は?」
 「先輩、ヤキモチ焼いてくれてます?」
 「は?違うし」
 「違うんですか?」
 「そうだよ」
 どさくさにまぎれて、繋がれている手を振り払った。
 振り払われた和也の肘が、例のチョコレート満載の紙袋に当たる。
 ベンチの上でバタンッと倒れた紙袋。中から、いくつかの包みがこぼれ出た。
 綺麗に包装されているけれど、明らかに手作りと分かる物もちらほら。
 一番最初に目がいったのは、光沢のある白い包装紙に金色のリボン。可愛い小さい犬のぬいぐるみが付いていた。
 「――かわいいな」
 思わず、そう呟いてしまった。
 「え?」
 和也が聞きとがめる。
 「その、ぬいぐるみ付きのやつ」
 「ああ、これ、さっきの子が……」
 ああ、あの可愛い子か。やることも可愛いんだな。
 「そっか」
 「先輩?」
 「俺は、まあ、チョコってか、あげるもんないしな」
 なんか、拗ねた口調になっていたかもしれない。
 「先輩?それだったら、俺も先輩に用意してないです」
 「うん」
 まあ、そうだよな。俺ら男だし。
 でも、まあ、しようがないだろ。気になるよ。だって、めちゃくちゃ可愛い子だったし。性格も良さそうだった。
 「可愛い子だったよな」
 「どういう意味ですか?」
 「だってさ、色白で目も大きくて、きらきらしてて」
 「先輩?」
 「でさ、その子に……告白……とか……されたんだ?」
 耐えきれなくなって、聞いてしまった。
 俺、痛い男だよな。ごまかすように言葉を重ねる。
 「――いや、てか、いいんだよ。いいんだ。ごめん、変なこと聞いた」
 慌てて俺は和也から顔を背けるようにして、下を向いた。
 「良くないですよ」
 「だから、いいって」
 「何がいいんですか?」
 「俺、ほら、気にしてるわけじゃないし」
 ぎゅっと歯を食いしばった。自分が情けない。なんでこんな。いつもの俺は堂々としていて、しっかりとしていて、二年も後輩のこいつのことなんか顎で使ってやってるんだから。
 居たたまれなくなっていると、ぐっと両手で両肩を掴まれた。
 うわっ――でも、まっすぐに和也の顔見られない。
 「告白されましたよ」
 俯いた俺の頭上で和也の声が響く。
 ああ、やっぱり――。
 「もちろん、断りました」
 しばしの沈黙。しんとした冷たい冬の空気が心身に染みる。
 「そ、そうか」
 かろうじて、声を出した。
 いや、まあ、和也が受けるはずはないって分かってはいたけど。
 和也に掴まれている肩の力が自然に抜けていく。溜め息のように息を吐き出していると、和也がこわばった声で聴いてきた。
 「先輩は誰かに告白されましたか?」
 意表を突かれた。慌てて答える。
 「さ、されてねえよ」
 「本当に?」
 「あたりまえだろ」
 和也がじっと俺を見据えるようにして、視線を合わせようとする。
 「な、なんだよ」
 「だって、先輩は誰よりも可愛いし。綺麗な切れ長の瞳だって、長いまつげだって……」
 「いや、何言ってんだよおまえ」
 必死に言い募る和也を遮った。それ、男の中の男の団長に対する誉め言葉じゃないし。変に照れくさいからやめてくれ。
 「先輩。俺、先輩にチョコをあげた奴らに負けないくらいのチョコ、持ってきますから」
 「え?」
 「待っててください。明日か、明後日には」
 「いや、いいって」
 「俺が絶対、一番先輩のこと好きですから」
 いや、ほら。恥ずかしげもなくそういうこと言うなって。
 でもって、チョコの凄さで勝ち負け決まんないし。
 ああ、もう、顔が熱い。
 まあ、でも、すでに夕日も沈み辺りは薄暗くなってきている。俺の顔色なんてはっきりと見えないはずだ。
 「本当に、いいよ。チョコくれなくて」
 「でも」
 「かわりに、さ」
 俺は少し長めの前髪の間から、上目遣いに和也を見た。
 和也は俺の肩に手を掛けたまま、少し首を傾けて不思議そうな顔で次の言葉を待っているようだ。
 なんっだよ。こんなときばっかり、察しが悪いな。
 少し目を伏せて、もう一度、和也の顔を見たけど、和也はボウっとしたような表情で俺の顔を見返しているだけだ。
 俺は俺の肩を掴んでいる和也の二の腕に手を置いて、ちょっと背筋を伸ばす。
 ふっと、和也の唇に自分の唇を軽く合わせた。
 和也がびっくりして、目をぱちくりとしている。
 おお、してやったりか?
 「ほら、俺からのチョコ。これでどうだ?」
 俺もやるときはやるんだよ。
 「あ、」
 なんか、和也が変な声を出した。次の瞬間には、すごい力で抱き締められていた。
 「うわって、まて。苦しい、痛い、ちょっとまて」
 「先輩」
 「和也、離せ。痛い」
 和也の右手が背中から頭にまわる。ぐしゃっと髪を乱しながら、後頭部を鷲づかみにされていた。
 強制的に上を向かされて、ぶつかるように唇がふさがれる。
 「んくっ」
 ちょっと痛い。文字通り、むさぼるようなキスってやつ。
 角度を変えて、かみつくように押し付けてくる。
 いや、ちょっと待て。
 憑かれたように俺の唇を求めてくる和也にちょっと怖くなる。
 ――待てって、和也。
 バシバシと和也の背中を懸命に叩いた。

 ふっと我に返ったのか、和也の腕の力が緩んで、やっと唇が離れた。
 「――っ」
 和也が声にならない声を出して、申し訳なさそうに眉間に皺をよせて俺を見た。
 一方俺は、なんか知らんが、涙目になってる自信がある。
 息が苦しくて、思わず和也の胸に寄りかかってしまった。
 「せ、先輩。すみません」
 自分のしでかしたことに、自分で驚いているかのように肩を落としている。
 「いいよ。俺が先にけしかけたんだし」
 「俺、すごく、嬉しかったです。先輩からの……」
 ぐっと無理やり感情を押し殺したような声。
 はいはいそうですか。恥ずかしいからあんまり蒸し返さないでくれ。
 和也の胸に頭を預けて、和也の太腿の辺り見ていた。
 和也が俺の肩を優しく抱いている。
 顔を上げると、夕日が沈んだ後の名残りのように薄明るい空に、青い街並みがシルエットのように浮かび上がっていた。
 しばらくして、和也が口を開く。
 「先輩、もう一度、もらっていいですか?」
 こらえきれないような、和也の切羽詰まった声。
 「は、何を?」
 「先輩のチョコ」
 「――今、たっぷりやっただろ」
 「あれは俺からのチョコです。先輩からのチョコ、全然足りません」
 和也が俺の顎に手を添えて上をむかせる。
 俺が動くのをじっと待っている。
 無理して紳士たろうとしている年下の和也がちょっと可愛い。
 しようがないな。もう少し、甘めのチョコをあげることにするか。
 俺はゆっくりと和也の首に両腕をまわした。

 まあ、モテすぎる俺の彼氏は俺に夢中のようだ。