「なんか最近、妙に、俺に優しくない?」

 放課後の図書室。机を挟んで正面に座る、一つ歳下の幼なじみ、佐久間 蓮(さくま れん)に問いかけてみた。ここ1週間ぐらい、ずっと心の中に引かかっていた疑問だ。
 顔にかかったサラサラの黒髪を邪魔そうに払いながら、蓮がこちらに視線を向ける。

「そう?例えば、どんなところ?」

 そこらの芸能人よりずっと整った顔の蓮が、切れ長の目を細めて愉快そうに聞いてきた。笑顔が眩し過ぎて、思わず目を逸らしたくなる。王子様オーラがハンパない。

「⋯⋯今日だって、全然、怒らないで、すごく優しく英語を教えてくれてるし。
いつもなら『おまえ3年なのに、こんな問題も解けないでどうすんだよ。 歳下に教わって恥ずかしくないのかよ!!』とか、すごく怖い顔してさんざん怒るじゃん」
「そうだっけ? 強いて言えば、作戦を変更したからかな」

 まったく、意味がわからないんですけど。それに俺に優しく微笑みかけるなんて、どう考えても蓮らしくない。
 俺、青野 遥斗(あおの はると)と蓮は、家が同じマンションのお隣どうし。小さい頃から一緒に育ってきた。でも、容姿と中身は、おもしろいぐらい共通項がない。
 スラっとした180超の高身長に、端正過ぎる顔立ちの蓮。それに対して、170センチと平均的な身長に、やや茶色っぽいクセ毛で、親しみやすいと言われる平凡な顔の俺。
 性格だって全く違う。努力家で成績も運動もできて、誰(ただし、俺を除く)に対しても優しい蓮は、校内の有名人だ。周囲に流されやすい、頼りない性格の地味な俺とは大違い。
 ちなみに俺の成績はというと、来週に迫った5月の中間テストの追試を回避すべく、こうして2年生の蓮に勉強を教えてもらってるわけで。

「作戦って、なんのこと?」
「教えない。 遥斗が気づかないんじゃ、意味ないから。 それより、集中力が切れたなら帰ろうよ」

 そう言って蓮は、俺の返事も待たずに、机の上に広げてあったノートや参考書を片付け始めた。俺に対しては、蓮はちょっとオレ様だ。いつも通りの蓮の調子にほっとしながら、図書室から出て行く、幼なじみのあとを慌てて追いかける。
 水泳でほどよく筋肉のついた男らしい蓮の背中。幼稚園ぐらいまでは、蓮が俺の後ろを追っかけていたのに。気付けば、俺が蓮の背中を追うようになっていた。
 でも、あと10カ月もすれば卒業だ。こうして蓮のそばで、背中を見つめることも、追いかけることができるのも、あと少し。そう思うと、すり傷を負ったように胸がヒリヒリする。この時間がずっと続けばいいのに。

「遥斗、疲れたの?」

 靴に履き替えながら蓮が、ちょっとだけ心配そうに尋ねてくる。慌てて頭をブンブン振って、余計な思いを追いだす。

「うんん、そんなこと無いよ。気のせいだよ」
「そんなら、アイスクリーム食べたいんだけど。 食べて帰ろうぜ」

 決定事項のように告げる蓮に、コクリと頷き返す。
 蓮は大人っぽい雰囲気に反して、アイスクリームが大好きだ。アイスクリームスタンドに行くと、絶対にチョコミントを注文する。
 それでも他の味も試しみたいようで、いつも新作のフレーバーを食べる俺の手を掴んでは、自分の口元に引き寄せて一口だけパクリと味見をして「うまい」「好みじゃない」とか呟く。しかも一口じゃ足りないのか、俺のほっぺたについたアイスクリームを見つけては指で拭って、そのまま舐めたりもする。
 そんな子供っぽい蓮を見れるのは、幼なじみの特典だ。ただ気をつけないと、キュンとして心臓をもってかれそうになる。
 
+++

「チョコミントのシングルをひとつ」
「新作のフレーバーのやつ⋯どっちにしよう。迷うけど、みたらし団子あじの方を、シングルで」

 アイスクリームを受けとって、店の隅っこのスツールに移動する蓮を、他の高校の制服を着た女子達の視線が追う。
 蓮と一緒いると、日常的な光景だ。
 この前なんか「A高の佐久間くんですよね?」「写真撮らせて下さい」って、ちょっとした騒ぎになっていたっけ。お店の迷惑になるからって彼女達を外に連れ出して、アイドルさながら神対応する蓮は、本当すごいと思った。だって、周囲にそこまで気配りできる奴なんて、他には知らないから。
 そんなチート高校生の蓮と、平凡な俺。はっきりいって、他の人から見たら、一緒にいて釣り合わない組み合わせだってわかってる。幼なじみってだけで一緒にいて、ちょっとだけ蓮にすまない気分になった。

「やっぱチョコミント、最強。 遥斗、食べないと溶けるよ」
「ごめん、ちょっとボーっとしちゃった」

 急いでアイスにかぶりつく。甘いはずのアイスクリームが、ちょっとだけほろ苦く感じるのは気のせいか。

「そう言えば、遥斗、文化祭のミスターコンに出んの?」
「あー、すっかり忘れてた。 虎太郎に返事まだしてないや」

 うちの高校は中間テストが終わると、その2週間後に文化祭という、慌ただしいスケジュールが組まれている。そのメインイベントであるミスターコンテストの出場を、虎太郎が俺に頼んできたのは、1週間前のこと。しかも実行委員の推薦枠で。
 蓮の態度が、おかしくなったのもその頃だ。蓮のことが気になるあまり、そっちは頭から抜け落ちていた。

「そろそろ、返事しないと虎太郎が困るんじゃない?あいつ、文化祭の実行委員長じゃなかったっけ?」
「だよな⋯⋯」

 虎太郎(こたろう)も俺たちと同じマンションに住む幼なじみで、俺のクラスメートでもある。名前の通りのガタイがよく、明るくて調子がいい奴だ。
 虎太郎は、頼まれたら断われない俺の性格をわかってて、頭数を揃えるのに、声をかけてきたと睨んでいる。だって去年の優勝者は蓮で、他の候補者もハイレベルだった。そんなコンテストに、俺を推薦する人がいるはずがない。

「明日、ちゃんと断わらないとな」
「そうか、遥斗は出ないことにしたんだ」

 蓮はなぜか安心したように、小さく息を吐いた。
 そりゃ、当たりまえか。蓮は態度とは裏腹に優しいから、俺が笑い者にならないか、恥をかかないかって心配してくれてたに違いない。
 くすぐったいような気分で、アイスクリームに一口、二口かぶりつく。そこで、はっと気付いた。

「ねぇ、蓮。今日は新作フレーバーの味見しなくていいの?そろそろ、食べ終わっちゃうけど」
「いいの?」

 俺の物は蓮のモノ、蓮の物は蓮のモノ。そんなオレ様な蓮が、聞いてくるなんて、やっぱりおかしい。
 俺が頷くのを確認してから、俺の手を蓮の口元に引き寄せて、アイスにかぶりつく。

「この新作のフレーバー、好きな味かも」
 とろけるような蓮の笑顔に、ちょっとだけドキドキする。
「ねぇ、遥斗も味見してみない?」

 蓮から差し出されたチョコミントのアイスクリームを一口ほおばった。爽やかなミントの味と、チョコレートのガリっとした食感が口に広がる。
 チョコミントのアイスって、こんな味なんだ。初めて食べたかも。って、蓮からアイスクリームを食べさせてもらったのが初めてだ。
 やっぱり、今日も幼なじみが優し過ぎる。なんかモヤモヤする。


+++
 次の日の昼休み。
 机の上に弁当箱を開く虎太郎に、意を決して聞いてみた。

「ねぇ、ここ1週間ぐらい蓮の様子がおかしいんだけど。なんか知らない?」
「おかしいって、どんなふうに?」
「なんか、俺にいつもより微妙に優しいっていうか⋯⋯」
「あぁ、あいつも焦ってるのかもな。 遥斗がミスターコンに出場するから」

 卵焼きを口の中に放りこみながら、虎太郎がまったく興味なさそうに答えた。

「そもそもミスターコンに出場するって言ってないけど。 それに俺の出場と蓮の態度とどう関係してくんの? わかるように説明してよ」
「そういう鈍いところが、おまえの良いところだ思う」

 全然、褒められてない気がする。それに残念な生き物を見るような目で、俺を見るのをやめて欲しい。

「ほら、今日は蓮と昼メシ一緒に食べるんじゃないのかよ。 早く行かないと購買のパン売り切れるぞ」
「いや、今日は一緒に食べる約束してないけど」

 虎太郎の視線の先追うと、教室の入口で女子達に囲まれて笑顔を振りまく蓮の姿があった。
 さっきから騒がしいわけだ。つい最近も「青野くん、同じクラスになってくれてありがとう。おかげで、遊びにくる蓮くんを近くで見れて幸せ過ぎる」って女子達に感謝された。
 蓮は目が合うと談笑を止めて、俺と虎太郎のほうに向かって歩いてくる。他のクラスの教室に入らないっていう不文律があるのに、どこのクラスにいっても歓迎されるのは蓮ぐらいだ。

「俺も今日、一緒に食べていい?」

 断わられることを知らない蓮は、もう空いてるイスに腰をおろしている。

「いいけど、これから購買に行くから、あんまりいいパン残ってないかも。 残ってるもん買ってくるよ」

 購買派の俺と蓮が一緒に食べるときは、俺が2人ぶん買いに行くのがルーティンだ。

「それなら大丈夫だよ。購買で遥斗の分も買ってきたから」

 パンやおにぎりが詰まった白いビニール袋を、蓮が目の前で揺らす。やっぱり今日も蓮が優しすぎる。

「そう言えば、ミスターコンのこと遥斗は、虎太郎にちゃんと伝えたの?」
「あぁ、そのことなら⋯⋯」

 口を開きかけた途端、蓮との会話に聞き耳を立てていたクラスメート達が一斉に集まってきた。 

「青野、ミスターコンでんの!?俺、絶対、応援するから。 この前の調理実習のニンジンの恩、返させてくれ」

 ニンジン忘れて落ち込んでるタナカに、他の班で余ったニンジンを集めて渡しただけですけど。

「彼女と別れたとき、何も言わずカラオケつき合ってくれた恩、俺も返すわ。 絶対、優勝しような」

 朝から隣の席で泣いてるヤマダを、ほっとけないでしょ。フツー。

「青野くん、出なよ。 プリント回収してくれたり、日直代わってくれたり親切だから、いい線いくと思うな」

 スズキさん、俺は便利屋じゃないよ。

「実行委員あてに推薦も来てるんだぞ。 もう出場するしかねぇよ。なあ、遥斗。」

 クラス中の期待に満ちた視線を味方につけた虎太郎が、俺の肩をがしりと掴む。この状況、本当に断わりづらい。

「う⋯ん。 考えておくよ」

 ちょっとだけ教室に渦巻く、ざわざわとした熱気みたいなものが上昇した気がする。はっきりと断われない優柔不断な性格が、自分でも恨めしい。
 ちらりと横を見ると、蓮が眉根を寄せて整った顔を雲らせていた。

「遥斗、本当に出んの?」

 決して大きな声ではないのに、蓮の呟くような低い声が教室に響く。教室の温度が確実に2、3℃下がったような気がする。その空気を察したのか、蓮が慌てたように王子様スマイルを浮かべた。

 「すみません。 余計なこと言っちゃて。 こういうことは本人の意思が大切かなって思って。 つい熱くなっちゃいました。3年生だし、高校生活の思い出にミスターコン、いいですよね」

 氷りかけてた教室の空気が一気に緩む。

「遥斗、今日は天気いいし、たまには外で食べよう」

 蓮に強引に腕を引っ張っられて、校舎裏に連れていかれた。木に周りを囲まれて、静かで俺達のお気に入りの場所だ。
 コンクリートの地べたに座った蓮は、不機嫌そうにパンをかじり始めた。そのたびに上下するゴツゴツした喉元が、なんか艶かしい。って、この状況でなに見惚れてるんだよ。しっかりしなきゃ。
 きっと蓮はハッキリ断われない俺に、相当、呆れている。蓮が不機嫌なのは、そのせいだ。シュルシュルと空気が抜けてく風船のように、気持ちがしぼんでいく。

「ほら、遥斗も早く食べろよ。 昼休み終わっちゃうぞ」

 頷いて、手渡されたビニール袋を覗く。コロッケパンとクリームパン、ツナおにぎり。俺の好きなラインナップが揃ってる。

「蓮、ありがとう。コロッケパン、よく買えたね。争奪戦、かなり熾烈だったでしょ」
「そんなことないよ。3時間目の休み時間に購買に行って、おばちゃんに取り置き頼んどいた。 遥斗、コロッケパンが好きでしょ」

 うちの購買に、取り置きなんてシステムはない。購買のおばちゃん、蓮だけ贔屓してずりぃ。でも俺のために頼んでくれたと思うと、さっきまでの萎んでた気持ちがグングンあがってくる。
 腹が膨れたせいか、蓮の機嫌も治ってきたようだ。コロッケパンに齧りつく俺を、ペットを見守るような優しげな目で見つめてくる。なんか照れくさい。
 顔面偏差値が異常に高い蓮に、にっこり微笑まれて、とろけるみんなの気持ちがよくわかる。
 ⋯⋯ん、待てよ。蓮の態度の変化の理由が、わかった気がした。
 蓮は誰(ただし俺を除く)に対しても優しい。でも、その優しい態度で、相手に気付かれないように線を引いてるところがある。その線の内側には、立ち入らせないように。
 俺に対しても優しくなったのは、おまえも「みんな」と同じだよ、線の内側に入ってくんな、っていうメッセージなのかもしれない。
 頼りない俺と幼なじみでいるのが嫌になって、距離を置こうとしているんだ。
 風を受けて気持ち良さそうに目を細める蓮が、急に遠い存在に感じた。