二人で家に帰ると、スープの香りが家中に充満していた。
でも、胸の奥に沈んだままの何かが、まだ言葉にならずに二人のなかに残っていた。
「おかえり。あら、二人とも一緒だったのね」
「ただいま、母さん」
「今日はイファの大好きなシチューよ。そういえば、リアが初めてこの家に来た時も、シチューだったわね」
ふふっと少女のように笑うマリナの声は、出会った時と変わらず、陽だまりのようにあたたかかった。
その笑顔が、沈黙ごと受け止めてくれる。
イファとリアは、何かが溢れそうになるのを、静かにこらえていた。
「もうすっかり三人で暮らすのが当たり前になって……こんなにありがたいことはないわね」
イファは大きく深呼吸すると、「母さん、手伝うよ」と言って、お皿を三つ、テーブルに並べた。
今は、ただリアが少しでも安らげればいい。
そう思った。
「さぁ、温かいうちに食べましょう」
リアは、かすかに震える手でスプーンを口に運ぶ。
とろりとしたスープが、じんわりと体の隅々に染みわたっていく。
初めてこの味に触れたあの日と、変わらず。
喉の奥が熱くなるのは……きっと、シチューのせい。
そう、自分に言い聞かせながら。
食事を終えたあと、イファが、リアの横顔をそっと覗き込む。
「リア? 大丈夫?」
「……うん、大丈夫」
リアは小さく微笑んでみせたが、その声には少し迷いが滲んでいた。
机の上の食器を片付けていたマリナは手を止め、静かに言葉を添えた。
「無理に話さなくていいの。でも、もし、リアが話したいと思ったら、その時ゆっくり聞かせてくれる?」
リアはしばらく迷っていたが、ゆっくりと口を開いた。
「私……自分のことを知りたいと思ってます。でも……怖いんです」
マリナもイファも真剣に、じっとリアの声に耳を傾ける。
「……もし、私が何かよくないことに関わっていたらって。もし、今までみんなが優しくしてくれたのに、それを裏切るような過去だったらって……」
イファが言葉を選ぶように応える。
「俺だって正直、不安だよ。最近の出来事やリアの過去……わからないことだらけだ。でも……それでも俺は、リアはリアだと思うから。リアが知ろうとするなら、俺も隣で知っていきたい」
その言葉は胸に染み込んでいくようだった。
二人の様子を見ていたマリナは、ぽつりと独り言のように静かに言葉を落とした。
「……そうね。人はどうしても真実を知りたくなってしまうのね。たとえ、その真実が、どんなに辛いものだとしても」
その目は寂しげに揺れ、どこか遠くを見ていた。
「私も、レオがいなくなったとき、あの人に何が起きたのか知りたくて……できることは全部、調べたわ。知りたいと思う気持ちに抗うことはできなかった」
マリナはゆっくりと顔をリアに向けた。
「リア。逃げてもいいのよ。真実から目を背けたって、私もイファもずっとあなたの味方だわ」
穏やかな微笑みの奥に、優しい強さが宿る。
「もし、これ以上、知ってしまったら、きっと心が揺れて、つらくなるかもしれない。それでも、リア……あなたは過去を、真実を知りたい?」
不安な気持ちがリアの瞳を揺らす。
ただ、それでも彼女に戸惑いはなかった。
「はい」
静かな部屋に、リアの声が響く。
マリナは、口元を綻ばせて柔く笑い、小さく息を吐いた。
「リア……あなたは本当に、強い子ね。その強さは、誰かのために歩ける優しさでもあるわ」
リアは微笑み、そっと目を伏せた。
「イファ。どんな過去があって、どんな未来が待っていても、あなたはリアのそばにいてくれる?」
イファはうなずいた。
「あなたの父親の過去とも、向き合うことになるけれど……」
イファは、深く息を吸い込み、静かに「はい」と答えた。
その瞳は、強く、揺らぐことなくマリナを見つめていた。
マリナは、思い出すように、ゆっくりと話しはじめた。
「レオはね、当時、私たちが住むアーゼル共和国の軍の情報部にいたの。ヴァストラ帝国との戦争で、この国を守るために必死に戦っていた。正義感がとても強い人だったから……そんなレオが亡くなったのは、三年前……ちょうど、このノースフィアに越してきて数ヶ月が経った頃ね。突然だったの。軍からは事故とだけ伝えられたわ。遺体も遺骨さえも、何一つ戻らなかった。まるでふっと、消えてしまったみたいにね……。だからかしら、今でもレオはどこかで生きているような気がしてしまうの……」
二人は、マリナから視線を逸らすことなく、真っ直ぐに聞いていた。
「私は、どうしてもレオの死が受け入れられなくて……。当時、この目も、視界の一部は見えなかったけど、今ほど悪くなくてね、たくさんの人を訪ねて、多くの情報を集めたわ。……その時に知ったことが、もしかしたら、今のリアのためになるかもしれない。あなたにはつらい話かもしれないけれど……」
リアは、マリナの手をぎゅっと握った。
「マリナさんにも辛いことなのに……本当にありがとうございます」
マリナは首を横に振り、呼吸を整えた。
そしてまたゆっくりと話し始める。
「私たちの故郷は、アルメリアという場所よ。ここから森を抜けて、ずっとずっと南にある町。……今は、"見捨てられた町"と、言われている……」
「見捨てられた、町……」
「えぇ。……ルクシミウムの、影響でね。今は、誰も住めなくなってしまったの……」
リアはその言葉を聞いてはっとした。
胸がきゅっと締め付けられる感覚が強くなる。
「……アルメリアよりもさらに南にある、アーゼル共和国辺境の町──ノアレ。あの町で起きた、ルクシミウムの悲劇のせいよ」
でも、胸の奥に沈んだままの何かが、まだ言葉にならずに二人のなかに残っていた。
「おかえり。あら、二人とも一緒だったのね」
「ただいま、母さん」
「今日はイファの大好きなシチューよ。そういえば、リアが初めてこの家に来た時も、シチューだったわね」
ふふっと少女のように笑うマリナの声は、出会った時と変わらず、陽だまりのようにあたたかかった。
その笑顔が、沈黙ごと受け止めてくれる。
イファとリアは、何かが溢れそうになるのを、静かにこらえていた。
「もうすっかり三人で暮らすのが当たり前になって……こんなにありがたいことはないわね」
イファは大きく深呼吸すると、「母さん、手伝うよ」と言って、お皿を三つ、テーブルに並べた。
今は、ただリアが少しでも安らげればいい。
そう思った。
「さぁ、温かいうちに食べましょう」
リアは、かすかに震える手でスプーンを口に運ぶ。
とろりとしたスープが、じんわりと体の隅々に染みわたっていく。
初めてこの味に触れたあの日と、変わらず。
喉の奥が熱くなるのは……きっと、シチューのせい。
そう、自分に言い聞かせながら。
食事を終えたあと、イファが、リアの横顔をそっと覗き込む。
「リア? 大丈夫?」
「……うん、大丈夫」
リアは小さく微笑んでみせたが、その声には少し迷いが滲んでいた。
机の上の食器を片付けていたマリナは手を止め、静かに言葉を添えた。
「無理に話さなくていいの。でも、もし、リアが話したいと思ったら、その時ゆっくり聞かせてくれる?」
リアはしばらく迷っていたが、ゆっくりと口を開いた。
「私……自分のことを知りたいと思ってます。でも……怖いんです」
マリナもイファも真剣に、じっとリアの声に耳を傾ける。
「……もし、私が何かよくないことに関わっていたらって。もし、今までみんなが優しくしてくれたのに、それを裏切るような過去だったらって……」
イファが言葉を選ぶように応える。
「俺だって正直、不安だよ。最近の出来事やリアの過去……わからないことだらけだ。でも……それでも俺は、リアはリアだと思うから。リアが知ろうとするなら、俺も隣で知っていきたい」
その言葉は胸に染み込んでいくようだった。
二人の様子を見ていたマリナは、ぽつりと独り言のように静かに言葉を落とした。
「……そうね。人はどうしても真実を知りたくなってしまうのね。たとえ、その真実が、どんなに辛いものだとしても」
その目は寂しげに揺れ、どこか遠くを見ていた。
「私も、レオがいなくなったとき、あの人に何が起きたのか知りたくて……できることは全部、調べたわ。知りたいと思う気持ちに抗うことはできなかった」
マリナはゆっくりと顔をリアに向けた。
「リア。逃げてもいいのよ。真実から目を背けたって、私もイファもずっとあなたの味方だわ」
穏やかな微笑みの奥に、優しい強さが宿る。
「もし、これ以上、知ってしまったら、きっと心が揺れて、つらくなるかもしれない。それでも、リア……あなたは過去を、真実を知りたい?」
不安な気持ちがリアの瞳を揺らす。
ただ、それでも彼女に戸惑いはなかった。
「はい」
静かな部屋に、リアの声が響く。
マリナは、口元を綻ばせて柔く笑い、小さく息を吐いた。
「リア……あなたは本当に、強い子ね。その強さは、誰かのために歩ける優しさでもあるわ」
リアは微笑み、そっと目を伏せた。
「イファ。どんな過去があって、どんな未来が待っていても、あなたはリアのそばにいてくれる?」
イファはうなずいた。
「あなたの父親の過去とも、向き合うことになるけれど……」
イファは、深く息を吸い込み、静かに「はい」と答えた。
その瞳は、強く、揺らぐことなくマリナを見つめていた。
マリナは、思い出すように、ゆっくりと話しはじめた。
「レオはね、当時、私たちが住むアーゼル共和国の軍の情報部にいたの。ヴァストラ帝国との戦争で、この国を守るために必死に戦っていた。正義感がとても強い人だったから……そんなレオが亡くなったのは、三年前……ちょうど、このノースフィアに越してきて数ヶ月が経った頃ね。突然だったの。軍からは事故とだけ伝えられたわ。遺体も遺骨さえも、何一つ戻らなかった。まるでふっと、消えてしまったみたいにね……。だからかしら、今でもレオはどこかで生きているような気がしてしまうの……」
二人は、マリナから視線を逸らすことなく、真っ直ぐに聞いていた。
「私は、どうしてもレオの死が受け入れられなくて……。当時、この目も、視界の一部は見えなかったけど、今ほど悪くなくてね、たくさんの人を訪ねて、多くの情報を集めたわ。……その時に知ったことが、もしかしたら、今のリアのためになるかもしれない。あなたにはつらい話かもしれないけれど……」
リアは、マリナの手をぎゅっと握った。
「マリナさんにも辛いことなのに……本当にありがとうございます」
マリナは首を横に振り、呼吸を整えた。
そしてまたゆっくりと話し始める。
「私たちの故郷は、アルメリアという場所よ。ここから森を抜けて、ずっとずっと南にある町。……今は、"見捨てられた町"と、言われている……」
「見捨てられた、町……」
「えぇ。……ルクシミウムの、影響でね。今は、誰も住めなくなってしまったの……」
リアはその言葉を聞いてはっとした。
胸がきゅっと締め付けられる感覚が強くなる。
「……アルメリアよりもさらに南にある、アーゼル共和国辺境の町──ノアレ。あの町で起きた、ルクシミウムの悲劇のせいよ」
