その時、誰にも気づかれぬまま、空の高みに何かが漂っていた。
薄い雲の切れ間に、無音の探査機が浮かぶ。
小さな黒い金属塊。
その中心では、淡く脈打つ光が揺れていた。
リアの反応──感情の振れ幅、心拍、体温、発汗。
すべてが、静かに記録されてゆく。
名もなき誰かの元へと、
静かに。
無慈悲に。
セリオはなおも続ける。
「リア……私は、君に選んでほしい。世界を救う未来を。だが、そのためには、まず、真実を知らなければならない」
声の調子が、ほんのわずかに強まる。
「君が何者で、なぜここにいるのか。その答えは、君の故郷……ノアレにある」
──ノアレ。
聞いたばかりのその町の名が、胸の奥で疼いた。
「あの町には、サンティスの残した研究所がある。そこに君の全てが眠っているはずなんだ」
頭がガンガンする。
思考がうまくまとまらない。
立っているのがやっとだった。
「私と一緒に来てほしい。逃げずに、向き合ってほしい。それでしか、未来は選べない。共に行こう。ノアレのシェルハイム研究所へ」
リアは、その言葉に唇を噛んだ。
「……でも……」
迷いが、声の端に滲む。
「もちろん、今すぐ答えを出せとは言わない」
セリオは静かに微笑む。
「だが、一つだけ伝えておきたい」
一拍置くと、その声が少しだけ低くなった。
「君の存在を危険視する勢力が、既に動き始めている。軍の一部、あるいは、それ以上の存在かもしれない。彼らは君を利用しようとするだろう。君がここに留まれば、遅かれ早かれ巻き込まれていく。危険が迫っているんだ。……君にとっても、君の大切な人にとってもね」
リアは息を呑んだ。
「そんな……」
「君は特別な存在なんだ。君には、ノアレで真実を知る権利がある。もし君が私と共にノアレへくることを選んでくれたら、私が君を、そしてこの町で暮らす君の大切な人たちの身を保証しよう」
その言葉にリアは強く揺れた。
だが、今すぐには返事ができなかった。
すると、セリオはゆっくりと、リアに告げた。
「焦らなくていい。だが、準備ができたら、西の森の入り口へ来てくれ。私はいつでも君を待っている」
リアは答えを見つけられず、ただ小さく俯いた。
「……少し、考えさせてください」
「もちろんだよ。君の心が決めるべきことだからね」
セリオは柔らかく微笑んだまま、一礼をすると、その場を離れていった。
静かに消えていく背中。
遠く、雲の上の探査機だけが、無音のまま回転を続けていた。
──私は誰なの?
──私の過去に、何があるの?
残されたリアは、小さく震えながら立ち尽くしていた。
見えない鎖が、自分をゆっくり締め上げていくようだった。
心も身体も、自分の意思では動かせない気がした。
「リア!」
その声が届いた瞬間、胸の奥に張りつめていたものが、一気にほどけた。
震えていた足から力が抜け、リアはその場に崩れ落ちそうになる。
すぐさま駆け寄ったイファが、倒れそうなリアの身体をそっと支えた。
「イファ……ごめんなさい、大丈夫……」
そう言いながらも、リアの声は震えていた。
「こんな時間に、こんなところで……何かあった?」
イファの問いに、リアは小さく首を振る。
説明できるほど、言葉はまだ形になっていなかった。
リアは、重力に身を委ねるように、静かにイファの胸元に顔をうずめた。
イファは、何も言わず、そっと寄り添ってくれる。
しばらくして、リアの乱れていた呼吸が、少しずつ穏やかになっていく。
「イファ……」
ようやくリアが小さく声を発した。
イファは静かに顔を覗き込み、耳を傾ける。
「私……イファに話したいことがあるの」
イファは無理に急かさず、静かにうなずいた。
リアは深く息を吸い込むと、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「私……自分のこと、ちゃんと知りたい。ちゃんと、向き合ってみたいの。……怖いけど、でも逃げたくない。たとえどんなことがわかっても…」
その言葉を最後まで聞き終えたあと、イファはゆっくりと微笑み、リアの手をそっと包み込むように握った。
「わかった。リアがそう思えたなら、俺はいつだって隣にいるよ。どんなときでも」
その言葉が、まるで灯火のように胸に染み込んでいく。
リアの胸の奥で、またひとつ、小さな光が優しく灯った。
そしてその光は、今までよりもほんの少しだけ、強く、温かく揺れていた。
