その数日後、町外れの坂道をリアは、イファとカイと並んで歩いていた。
朝から続いた曇り空は少しずつ薄くなり、時おり雲間から光がこぼれてくる。
あの日以来、家に閉じこもっていたリアは、久しぶりに外の空気を吸った。
「……少しだけ、空気が冷たくなった気がします」
リアがぽつりと呟いた。
イファは横で小さく微笑む。
「そうだね。もうすぐ秋だ。そしたらまた一緒に森に行こう。紅葉が綺麗なんだよ」
ふわりと微笑むリアの表情は、ほんのわずかに柔らいで見えた。
その時だった。
「──ようやく、見つけた」
声が背後から静かに響いた。
振り返ると、そこに立っていたのは、カイより少し年上に見える一人の男だった。
艶のある白銀の髪にヘーゼルの瞳。
整った端正な顔立ち。
背筋を伸ばし、まるでこの場に最初からいたかのように自然に佇んでいる。
「リア……ずいぶん探したんだよ。無事でいてくれて、本当に良かった」
穏やかで優しい声。
その声を聞くだけでリアは胸が苦しくなった。
イファは彼女の前に一歩出て問いかける。
「……誰、ですか?」
カイもわずかに身構えた。
「おっと、失礼を。嬉しくてつい、自己紹介が遅れてしまったね」
男は、柔らかく微笑んだまま、手を胸に添えた。
「私は長年、サンティス博士とともに研究をしていた。セリオ・ヴァイスという」
その名を聞いた瞬間、リアの胸の奥に、ふわりと波紋が広がる。
だが、カイの眉は、わずかに動いた。
「……あの、サンティス博士か?」
「ええ。もう随分前になるが……サンティス博士は、全てをかけて、君の命を救った」
セリオは静かに続ける。
「リア、君は博士のこと……そして、私のこと、記憶にないかな?」
リアは困惑したように首を横に振る。
「……わかりません……」
「そうだろうな。無理もない。色々なことがあったからね……君がここに辿り着くまでに」
「ここに辿り着くって……リアがどうしてここにいるのか知っているんですか?」
セリオは、リアの方へ視線を向け、心配そうに言葉を重ねる。
「……私は、この子の過去を全て知っている。本人が知らない、忘れてしまった過去をね」
唇の端で笑う男の姿を見て、カイは目を細めた。
その様子を見てセリオは、大袈裟に両手を上げる
「安心してくれ、君たちに危害を加えるつもりはないんだ。ただ……リアの身が心配でね。この子は特別なんだ」
リアを見て微笑んだその男は、ゆっくりと続けた。
「君たちの方こそ、記憶がない彼女をそばに置いておくなんて不安じゃないのかい? 過去にこの子が何を見てきたのかも知らずに」
低く、静かな声が、わずかに空気を冷やした。
カイが答える。
「今の発言……脅しか?」
セリオはふっと笑い、言葉を続ける。
「いや、とんでもない。ただ、現実の厳しさを伝えているだけさ。リアは本来、こんな場所にいていい存在じゃない。その特別さゆえに、彼女を追う者たちも動き始めている。……君たちの知らないところでね」
イファは胸がざわめくのを抑えようと、息を大きく吐いた。
セリオはさらに一歩、距離を詰める。
その所作は優雅で、美しい。
だが、どこか底知れぬ圧が漂っていた
「リア……。私なら君を守れる。君の力になりたいんだ。ただそれだけだよ」
リアの揺れる瞳の奥で、一瞬青白い光が走った。
それを見て、セリオはニヤリと笑う。
「……それでは、今日はこれで失礼しよう」
男は、穏やかに一礼をすると、踵を返す。
「また近いうちに訪ねるよ」
その背中は、霧のように静かに町外れの森の奥へと消えていった。
その場に残された空気が、重く揺れていた。
カイが低く呟く。
「……セリオ・ヴァイス」
その名が、頭の中でこだまする。
リアの手は微かに震えていた。
イファはその手に自分の手を重ね、強く、握りしめた。
「リア……」
イファの心配そうな顔に、リアは微笑んで言った。
「大丈夫。でも、何も覚えていないの……本当に自分のことなのかもわからない」
イファは手を握ったまま、何も言わなかった。
深緑の瞳がわずかに揺れ、リアをじっと見つめる。
彼の優しさが痛いほどに胸に刺さり、リアは視線を合わせることができなかった。
宙を泳ぐように逸らした目の奥で、言葉にならない不安と戸惑いが渦巻いていく。
吹き抜ける風はひやりと3人の頬をかすめていった。
