翌朝、ノースフィアの空は薄曇りだった。
雨上がりの匂いが漂う街路を、リアはイファと並んで歩いていた。
詰所へ向かう道を、ゆっくりと、でも確かな足取りで。
「……リア、無理はしないでね。カイさんもいるし……少し話を聞いてほしいだけだから」
イファは歩きながら、何度も何度も声をかける。
リアは小さく頷く。
「……大丈夫です」
彼女の表情は少しの不安と決意が入り交じっていた。
詰所に入ると、カイが待っていた。
普段と変わらない笑みを浮かべながらも、その眼差しはどこか慎重だった。
「来てくれてありがとう、リアちゃん。体調は大丈夫か?」
「……はい」
リアは緊張気味に答える。
カイは隣の椅子を引き、コーヒーを差し出した。
「イファから聞いているかな?」
「はい。私に聞いてほしい話があるって……」
「うん。じゃあ、少しだけ話をしよう。難しいことは言わない。リアちゃんが困らない範囲で、ね」
リアは静かに腰掛ける。
その手は膝の上で小さく組まれていた。
「この前、森で、こんなものを見つけたんだ」
カイは机の上に、あの探査機の残骸を置いた。
リアはそれを見つめた瞬間、なぜだか胸の奥が微かにざわめく感覚を覚えた。
「これは…?」
「探査機だと思う。今はもう壊れているし、誰のものなのかもわからないんだが……」
カイは慎重に、言葉を選ぶ。
「これに記録されていた映像の中に……リアちゃん、君が映っていた」
「……わたし、が……?」
コーヒーに映る自分の姿が、わずかに揺れる。
イファはカイとリアのやりとりをじっと見守っていた。
カイは、ゆっくりと続ける。
「炎の中から出てきたリアちゃんが……ほんの一瞬、青白く光っていたんだ。その光を、探査機は捉えていた」
リアは思わず自分の胸元に手を当てた。
脈打つ光。
──自分の“中”にあるもの。
「カイさん……」
リアはかすれた声で問いかけた。
「……それは……この探査機が、私の記憶に何か関係があるということですか?」
カイはリアの目をまっすぐに見つめたまま、静かに頷いた。
「正直に言うと、まだ全てはわからない。だが、“ルクシミウム”という物質が関わっている可能性がある」
「ルク……シミウム……」
病院でも聞いた言葉だ。
知らないはずなのに、その言葉を聞くたび、胸の奥がざわめく。
「リア、大丈夫?」
イファがリアの異変に気づき、すぐに声をかけた。
「……平気……です」
呼吸がうまく、できない。
リアの様子を見て、カイは優しい口調で言う。
「焦らなくていい。すぐに全部を思い出す必要はないんだ。……ただ、君の身に、そして君の周りで何かが起き始めているのは確かだと思う。誰かが……この探査機を使って君を探している可能性が高いんだ」
カイは、「だから──」と言葉を続ける。
「もし何か異変が起きたり、何か思い出したりしたら教えてほしいんだ。小さなことでもいい。俺たちもしっかり準備しておきたい」
──誰かが、私を?
リアは拳をそっと握りしめ、深く呼吸をした。
イファはリアをじっと見つめて、心配そうに言う。
「リアの負担にならない範囲で、ゆっくりでいいんだ。無理はしなくていいからさ」
リアは顔を上げた。
不安はまだ消えない。
でも、そばにあるたしかな優しさが、少しだけ勇気をくれた。
「……わかりました。何か、思い出したら、お伝えします」
その一言に、イファはそっと微笑んだ。
「ありがとう」
リアがコーヒーを飲み終えると、イファはカイに「リアを家まで送ってきます」と静かに告げた。
カイは軽く頷き、ふたりを見送った。
リアは口を閉じたまま。イファもただ、隣で歩くだけ。
先ほど聞かされた話が、まだリアの胸の内で渦を巻いていた。
──誰かが、私を探している。
──ルクシミウム。
隣を歩くイファをちらりと見上げると、その横顔は、静かで、優しくて、少しだけ頼もしく見えた。
「……イファ……私、大丈夫かな」
その声は、弱音ではなく、静かな不安の吐露だった。
イファは立ち止まり、リアの方をしっかりと見つめる。
そして、ほんのわずかな間をおいて、はっきりと言葉にした。
「大丈夫だよ」
二人の間を、優しい風が走る。
雲間から陽の光が二人を照らし、銀色の髪は柔く煌めく。
「リア、もし何かがあっても……大丈夫。俺が守る」
リアはイファを見つめ返した。
彼の決意を宿した深緑の瞳は、揺らぐことなく輝いていた。
少しの沈黙のあと、リアは小さく微笑んだ。
「……ありがとう」
そして、ふたりはまた歩き出した。
それぞれの胸に、静かで確かな想いを抱えながら──
