それでも、この世界で、光を


次の日、朝の陽射しは静かに町を照らしていた。

図書館の扉を開けると、涼やかな空気がリアを包む。
本の香りのするこの空間は、いつもと変わらず穏やかだった。


今日、図書館に来たのは、ミナに会うため。

イファの言葉を聞いて、直接聞こうと思った。
リゼットから聞いた、手紙の本当の意味。


──ミナは、わざと言わなかったのだろうか。
──二人の秘密ではなかったのだろうか。


あの日、交わした約束は、霧がかかったようにリアの胸に違和感を残す。
そんな胸の奥にひっかかったままの言葉たちを抱えて、足を進める。

書架の間を歩いていると、見覚えのある背中が目に入った。


──ミナ。


いつもの席で、分厚い本に向き合っている。
相変わらず、真剣なまなざしだった。

リアは足を止め、しばらくその様子を見つめていた。

声をかけようかどうか、迷う。

心のなかで何度も問いかけていた感情の正体は、まだうまく言葉にならない。



──けれど、そのとき。
ミナがふと顔を上げ、リアに気づくと、いつもと変わらない笑みを浮かべて手を振った。

「リア! こっち、こっち!」

その変わらない声に、リアはふっと肩の力が抜けるのを感じた。

「……こんにちは、ミナ」

「お祭り以来ね! 今日はどうしたの?」

ミナは本を閉じて、椅子を少し引いた。

リアは迷いながらも、静かに口を開いた。

「……私、ミナとの、二人の秘密の約束を守りたくて、手紙を、イファに渡しました。けれど……」

「……?」

微かな不安が混ざる、ミナの笑顔を見て、リアは一瞬口を紡ぐ。
でも、噛んだ唇の痛さより、胸の方が痛かった。

「……リゼットから、聞きました。私たち二人の約束なのに……。」

絞り出した声は、自分のものなのになぜか遠く聞こえる気がする。

「水祈の……星灯で、手紙を渡すのは……“告白の手紙”だって……イファが、がっかりしたかもって……」

リアの真剣な瞳は、微かに揺れる。

「……イファは、嬉しかったって言ってくれたんです。でも……」

ミナはリアの瞳から目を離さなかった。
リアは胸の辺りに手を置く。

「ここ、なんだか、痛いんです……イファは、とても大切で、がっかりさせるかもしれないこと、したくなかった……ミナとの大切な二人だけの秘密の約束が、今も胸の奥でぎゅってします。」

ミナは少し目を伏せ、静かに息を吐いた。

「そう……誤解を生むようなことを言ってしまったのね。ごめんなさい、リア。」

リアは黙ってその言葉を受け止めていた。

「リアを戸惑わせて、悲しい思いをさせてしまったのね。ほんとうに……ごめんなさい」

その声はとても静かだったけれど、たしかにリアに届いた。
リアはそのとき、やっと、自分の中の感情の名を知った。



──戸惑い。悲しみ。そして、寂しさ。




「……そっか……私……知らなかっただけで……。なんだか、胸の奥がずっと不思議な感じで……うまく言葉にできなかった。ここがぎゅってなって……。こういうの、この気持ちが、悲しい、っていうんですね。」

リアの声もまた、小さく、けれどはっきりしていた。
ミナは黙って、リアを見つめていた。

「……でも、この気持ちの名前がわかって、とても嬉しいです……教えてくれて、ありがとう。ミナが……私にちゃんと伝えてくれて、胸の中でざわざわしていたものが、なくなりました」

微かに笑うリア。

ミナは、ほんの少しだけ目を細めて、やさしく言葉をつづけた。

「リア……私、本当にあなたに感謝しているの。リアと約束したから、私は彼に……ユウトに手紙を渡せたのよ。怖かったけれど……リアがいたから、勇気が出たの。本当に、ありがとう」

微笑むミナは、綺麗だった。
リアは、少し考え込むように視線を落とした。




──そうか。

誰かの背中を、そっと押すことができた。
それは、わたしのしたことだったのだ、と。

「……ミナ、ありがとうございます」

「こちらこそ、会いに来てくれて、本当の気持ちを伝えてくれて、ありがとうね、リア」

「……あの、ひとつ、教えてもらってもいいですか?」

「えぇ、もちろんよ、なにかしら?」

「白い、アネモネの、花言葉を知りたいんです。……調べたいけど、どの本がいいのかわからなくて」

ミナはきょとんと目を丸くしたが、すぐににっこりと笑った。

「リアっていつも唐突ね。花言葉ね。いいわ、一緒に調べましょう! 私もちょうどこの前、読んでいた本に出てきた花を調べたわ」

ふふっと笑うミナに案内されて、本棚の奥へ進む。

「リアはどうして、白いアネモネの花言葉が知りたいの?」

「イファから、いただいたんです。……初めての、プレゼントでした。イファに、手紙を書いていたら、自分で調べたい、意味を知りたいと思いました。」

ミナは振り返り、小さな声で「やっぱり」と言葉を落とす。

「……リアとイファって……。わたし、リアはイファのことが好きなんだと思っていたわ」

「……好き、の言葉の意味はわかります。でも、好きって気持ちは、私には、まだわかりません。」

ふーん、と口を尖らせるミナは、幼い女の子のようだった。



ミナが手に取った重厚な表紙の図鑑を開くと、繊細なアネモネの花の絵がリアの目に飛び込んできた。
そのページの隅に、リアは見つけた。




──白いアネモネ
花言葉:「希望」「真実」「あなたを信じて待つ」──




その言葉を見つめながら、リアは小さくつぶやいた。

「……綺麗な、言葉ですね」

「そうね。白いアネモネは、雪解けの季節に咲く花。寒い冬を超えて、春の光を迎える花よ」

リアはその言葉を胸に刻みながら、ページをそっと閉じた。


──わたしも、誰かにとっての光になれるだろうか。
──誰かが笑顔になる理由になれたら、いいな。


心のなかで、ぽつんと芽吹いた想いは、ゆっくりと根を伸ばし、いつか美しい花を開く準備を進めているかのようだった。