夕暮れが近づく頃、リアは自室で純白の衣装にそっと袖を通した。
青い飾り紐を腰に結ぶと、胸の奥がふわりとくすぐったくなる。
鏡に映る自分を、ほんの少しだけ息を潜めて見つめた。
慣れない装いに戸惑いながらも、胸の奥に小さな灯りのような感情が揺れる。
その名前はまだよく分からない。
けれど、たしかに温かくて柔らかな何かが胸のあたりにある気がした。
マリナからもらった髪飾りをそっと添えると、扉の向こうからマリナの足音が近づいた。
「リア、とっても素敵よ」
リアの胸の奥が温かくなる。
「ふふ……私の目には見えにくくてもね、あなたの気持ちはよくわかるの。今日はきっと、あなたの世界が、またひとつ広がる日ね」
二人きりで町へ向かって歩き出す。
イファは警備の仕事で朝から詰所へ行ってしまったからだ。
通りには、星型の灯りが浮かび、白い花があちこちに飾られていた。
灯籠の柔らかな光に照らされて、石畳の通りが淡く染まっていく。
リアはマリナの手を引いて、ゆっくりと歩いていた。
「……とっても、きれいです」
そう言ったリアの声に、マリナはにっこりと笑った。
「そうでしょう? リアに、この町の景色を見せてあげられてよかったわ」
マリナは一度、小さく息をついてから、まるで昔の景色をそっと手繰り寄せるように話し出した。
「実はね、このお祭りにちゃんと参加するのは、はじめてなのよ。
この町で暮らすのは四年目になるんだけどねぇ……三年前に引っ越してきてから、一度も来たことがなかったの」
「……どうして、ですか?」
「そうねぇ……引っ越してきた当初はね、そんな気分になれなかったの」
マリナは、そっと笑う。
まるで、寂しさや悲しさを紛らわせるように。
そして、ひとつ、呼吸をおいて、ゆっくりとリアに語りかけた。
「わたしとイファ、そしてイファのお父さん、レオと一緒にこの町に引っ越してきたのよ。……昔住んでいた町にはね、住めなくなってしまって……ふるさとを捨てなければいけないのは、とても、とても、辛かったわ」
「……そうだったんですね」
「今でも、ふるさとの景色をたくさん思い出すわ。風で花が揺れる庭先、みんなで囲む食卓、鳥たちが飛ぶ夕暮れの空……今よりも少し幼いイファと……レオと、一緒に見ていた日々を、ね」
大きく、深呼吸をする。
「彼は、優しくて、不器用なほど、まっすぐな人だった……」
マリナは、空を見上げる。遠い昔の記憶を、思い出すように。
「リア、あなたには、いま、なにが見える?」
リアは、マリナが“見ている”空を見上げた。
雲はゆっくりと流れ、淡い夕暮れが町を包む。
星飾りが揺れ、世界は淡い光でいっぱいだった。
「……空も町も、世界はとても、優しい色をしています」
「……それなら、きっと、大丈夫ね」
マリナとリアの間をあたたかな風が抜ける。
マリナは微笑んで、リアの手をそっと握る。
その手は小さくて、あたたかくて、決して揺らがないものだった。
リアは、その手のぬくもりを胸の奥でそっと包みながら、こたえた。
「……はい。わたしも、そう思います」
遠くで祭りの音がする。特別な日の夕暮れだった。
