バターの香りに、シナモンの香り.
それに、りんごの香り。

テーブルの上には、焼きたてのパイと大きな水筒が並んでいた。




「これ、差し入れなの。イファたちにね」

マリナは、まだ湯気のたつパイを丁寧に包む。

「警備隊の人たち、今すごく忙しいでしょう? 最近のイファ、とても疲れてそうだから」

「渡しに行くんですか?」

「ええ。もしよかったら、リアにお願いできるかしら? 今日はお洗濯もないし、家にいても夕方まで時間を持て余してしまうから」

リアは一瞬だけ迷ったが、そっと頷いた。

「……わかりました。」

マリナは包みをリアに渡した。

「差し入れは“ありがとう”の形よ。だから、大丈夫。リアのまっすぐな気持ちは、ちゃんと誰かに届いて、きっと疲れを癒やしてあげられるわ」

そう言ったマリナは、いつもに増して穏やかに見えた。





詰所に着いたのは、昼を少し過ぎた頃だった。


見張り塔の影で、動き回る人たち。
木材を運び、看板を取り付ける音。

詰所の前は、まるでちいさな工事現場のような騒がしさだった。




「こんにちは……。」

声をかけると、すぐに一人の男が顔を出した。

「ん? ああ、リアちゃんか!」

汗を拭いながら、笑って近づいてくるのは、警備隊長のカイ・ロウェルだ。

「久しぶりだねぇ! こんなところまでどうした?」

「マリナさんから、差し入れを、預かってきました。みなさんでって……。」

リアは少しだけ躊躇いながら、包みと水筒を差し出した。

「おおっ、こりゃありがたい! ちょうど昼休憩を取り損ねててな。助かるよ」

キラキラした笑顔を見せたカイは、詰所の中からイファを呼び出した。

「イファー! お前んちの天使が来てくれたぞ!」

「カイさん、なんすか、その言い方!」

慌てて現れたイファの顔は赤くなっており、リアは目をぱちぱちと瞬かせていた。

「……おぉ、ありがとな、リア」

頭をぼりぼりとかくイファを横目に、カイは肩を揺らして笑っていた。

「いやぁ〜にしても、ほんと助かるよ!
 なぁ、もしリアちゃんがよければなんだけど、少し手伝ってくれないかな?」

「隊長! 何言ってるんですか!」

イファが驚いた顔を向けるが、カイはにっこりと笑って見せた。

「力仕事はイファに任せてさ! 祭りのことも、知れるだろうし、せっかくだから、どうかな?」

リアは、イファの顔をちらりと見た。
リアと目が合うと、首をブンブンと横に振り、苦笑いした。

リアは、少し考えたが、「……わたしが、お役に立てるなら。」と言って引き受けることにした。

驚くイファを横に、カイは満足気に頷いた。

「よし! そう来なくっちゃな!
 じゃあ、あの灯籠の資材を詰所の奥から出してきてくれるか? 番号札が付いてるから、書かれた順に並べておいてくれたら助かる」

「はい。」



リアは詰所の奥へとまっすぐに歩いていく。
その背中が小さくなっていくのと比例して、じわりと呆れと心配がイファの胸のどこかで混ざり合っていく。

「……カイさん……!」

「はっはっは! 心配性で自由を奪う彼氏は嫌われるぞ!」

「なっ……!」

これ以上何か言っても無駄だと察したイファは、これでもかというほどの大きなため息を吐く。

そんなイファをよそに、カイがぽつりと言った。

「……ちゃんと、何かをして“誰かの役に立ちたい”って顔してたな」

リアが資材の番号を確認している姿を見ながら、イファは小さく頷いた。

「よかったです。自分の殻に閉じこもっていたリアが、少しずつ、変わってきていて。
 ……でも最近、町で少しリアの噂が広まってるんすよ……リアも耳にして、ちょっと気にしてるみたいで……」

「でもな、イファ。町の人たちが“分からないもの”を怖がるのは当然っちゃ当然なんだよ。だからな、それを悪いとは思わない」

顎のひげを触りながらカイは続ける。

「人を守るってのは、安心を守るってことだ。誰だって、“ここにいていい”って思える居場所がほしいからな。
 俺たち警備隊の役目は、その橋渡しでもある」

「……居場所か……。リアのことも、ちゃんと、守っていきたいです」

イファは、小さな声で、でも、まっすぐに言った。
そんなイファを見て、カイは目を細める。

「お前がいるから、安心だな!」

そう言うと、軽くイファの背を叩いた。