リアは再び、図書館に来ていた。古い記録を見つめている。
「── 水祈の星灯……」
本のページには、夜の川に浮かぶ無数の灯籠の絵が記されていた。
──星降る道を渡って、水は空へと還り、いつの日かまた土へ。空と大地がひとつになる夜──
「……きれい」
そのとき、机の上にどさりと本を置く音がした。
リアの隣にひとりの少女が腰を下ろす。
「あら、また来ていたの? よく会うわね」
一瞬、町で流れている噂がリアの脳裏をよぎる。
背筋がピンっと伸び、目が泳いだ。
その姿をミナが覗き込む。
リアは、少し考え込んだあと、まっすぐに言った。
「ありがとうについて、少しだけ、わかったんです。」
「へぇ、進歩じゃない」
ミナは少し目を細めて笑うと、ふいにリアが読んでいた本に目を落とした。
「今度は、水祈の星灯について知りたいの?」
ミナは、隣の椅子に深く腰を下ろし、「わたしの出番ね」と口にすると、一気に話し始めた。
「昔、この町は大干ばつに襲われた年があったの。その時、人々は雨を乞い、祈りを込めて川に灯籠を流したのが、このお祭りの始まりだって言われてるわ。
でも、ただの雨乞いじゃないのよ。水が天に還り、また地に降りてきて……それが巡って、命を潤す」
リアは、静かに耳を傾けていた。
「世界が、ちゃんと循環するようにって。
祈りの儀式として、川に“星灯籠”を流すの。その灯篭を水に浮かべることで、空と地上をつなぐ“星降る道”を作る。
ロマンチックでしょ?」
自慢げに笑うミナは、目の奥をキラキラさせていた。
「……星灯籠……。お祭りは、この絵のように綺麗ですか?」
「当然よ。絵よりも、もっと綺麗だわ。町も幻想的になるの。星を模した飾りが町中に飾られて、舞台もできるのよ。神事の舞があって、特別な衣装をまとった水の巫女が踊るわ。町の人たちはみんな、白や青の伝統衣装を着るの」
文学や歴史のことをよく学んでいるミナは、いつもより早口で話してくれた。
「灯籠を流したあとはね、湖の上に花火が上がるの。……水面に映って、光が空から降ってきたみたいに見えるのよ」
想像の世界に入り込み、うっとりとしていたミナは、ふっとリアの方へ視線を戻す。
「まぁ、今は雨乞いではなく、水の精霊に感謝するお祭りとして残っているわ。だから、感謝とか、祈りの象徴で、“誰かのために願う夜”って言われてるの」
「誰かのため……」
リアはその言葉を、胸の奥で繰り返すように呟いた。
「最近はね…大切な人に、手紙を書くのが流行っているのよ」
「手紙、ですか。」
「まぁ、感謝や祈りのまつりだからね!」
そう言って、ミナは視線を落とし、小さく息をついた。
「私ね、去年……一緒に星灯籠を流した幼なじみがいて……。そのひとに、私……手紙を書いたの。でも……渡せなかった」
「……どうしてですか?」
「自分でも、よくわからないわ。
でも……壊したくないと思ったの。今の関係を。言葉ってすごい力を持っているから……伝えてしまったら、何かが変わるかもしれないでしょう? それが、ちょっと、怖かったのよ」
リアはじっとミナを見つめた。
「でも……ずっと後悔してて……。今年こそは、渡そうかなって」
ミナは、リアのほうを見て、小さく笑う。
そして、ゆっくりと瞬きをすると、その瞳には火が灯ったような輝きが宿った。
唇を噛んでニヤリと笑う。
「ねぇ! リアも書いてみてよ!」
リアは目をぱちぱちさせた。
「あなた、イファやマリナさんのお家でお世話になっているんでしょう? 町で噂になってるんだから」
「当然、わたしだって知ってるのよ」と笑うミナに、リアは言葉に詰まってしまった。
「……イファのこと、大切に思ってるんじゃないの?」
「……はい。とても、大切、だと思います。」
ふふっと笑うミナは、まるで、いたずらを企む小さな女の子のようだった。
「それなら決まりね! わたしも、彼に手紙を書くから、リアもイファに書いて!」
リアは少し戸惑いながらも、しっかりと頷いた。
「……わたしも、書いてみます。」
「じゃあ、約束ね! 二人だけの、秘密だからね!」
ミナはウインクをして、そっと、リアに小指を差し出す。
「……?」
「もう!」
ミナが無理やり、リアの小指に自分の小指を絡めた。
胸のあたりがくすぐったくて、リアは穏やかに、そして小さく、小さく微笑んだ。
少女たちは、静かな図書館の中で、大切な秘密の約束をした。
リアはその夜、小さな便箋に向かっていた。
「大切な人に、伝えたいこと……」
書こうと思った。
でも、うまく言葉にできない。
ありがとう、を伝えたい。
胸の内であたたかく、くすぐったい正体を知りたい。
──この、気持ちは……?
その夜、リアの部屋の小さな灯りが、いつもより長く灯っていた。
