爽やかな風には、微かに夏の匂いが混ざりはじめ、雲はいつもより力強く浮かぶ。

少し鬱陶しいくらいの日差しの中、リアはひとり市場へ向かっていた。
マリナから頼まれたハーブの買い物。
いつもの香草を、いつもの店へ。
それは、リアにとって日常になっていた。



市場には陽気な声が飛び交っていた。
魚の並ぶ台、干し肉の店、焼き菓子の香り。
リアは、見慣れた景色と香りに包まれる。

「いらっしゃい! あら、リアちゃん、こんにちは」

明るく迎えてくれたのは、顔馴染みになったハーブ屋の店主。
ふくよかな女性は、変わらぬ笑顔でリアに声をかけてくれる。

「おつかいね? はい、ミントとバジル。今日も香り、いいでしょう?」

リアは少し口角を上げ、小さく頷き、代金を渡す。

「……ありがとうございます。」


そのとき、リアは視線を感じた。
隣にいたのは、白い買い物袋を下げた中年の女性だった。

白髪混じりの髪を触りながら、ジロジロと彼女を見ていた。

リアが軽く会釈をすると、その女性は眉を跳ね上げ、一歩大きく後ずさる。


「……あんた、この町の子じゃないわよね? イファくんのところに住んでるって聞いたけど……」

「はい。今は……イファと、マリナさんの家で、お世話になっています。」

「……へぇ……ねぇえ……あんた、どこから来たの?」

「……森の、向こうの……。」

リアが言葉に詰まると、女性の眉がぴくりと動いた。

「──森って……あの森のほうから来たの?」

リアは、黙って聞いていた。

「……あんたさぁ……なんか変なもの、持ってきたりしてないでしょうね?」

歪めて笑う唇から落ちた言葉は、ゆっくりと、リアの胸に刺さった。
リアは、小さく息を吸う。

「……いいえ。なにも……」

女性は、それ以上は言わず、「あらやだ、そろそろお肉が冷めちゃうわね」と笑って去っていった。



リアがゆっくり顔を上げると、一部始終を見ていたハーブ屋の店主は、瞬きも忘れ、薬草の小瓶を抱えたまま固まっていた。
そして、リアと目が合うと、店主は少し困ったように微笑んで言った。

「……いやぁ……最近、ちょっとねぇ……町の人の中に、不安がってる人がいるのよ」

「不安……ですか?」

「ええ。“あの森から来た子”ってだけでね。ほら! この町は小さいから、噂ってすぐにね、広がりやすいのよ!」

リアは何も言わず、ただその言葉を受け止めた。

「でも私は、リアちゃんが毎日頑張ってるの、見てるわ。だから、またいらっしゃい。遠慮なんてしないで」

店主はヘラヘラと笑って、手をヒラヒラさせた。
リアは小さく頭を下げて、足早にその場を離れた。




──わたしは、なにか“変なもの”を、持っているのだろうか?
──怖いと思われる、理由があるのだろうか?


帰り道、ふと立ち止まると、白いアネモネの花が咲いているのを見つけた。
その花は、まっすぐに陽を浴びていた。


リアはしゃがみこみ、そっと見つめる。


「……わたしは……ここにいて、いいんでしょうか。」


誰にも聞こえないような声で、ぽつりとつぶやいた。