図書館を出たとき、空はさらに青さを増していた。
それはまるで、“知ること”がリアの世界を少しだけ鮮やかに変えてくれたようだった。
家に戻ると、マリナは木のロッキングチェアに座っていた。
お気に入りの椅子だ。
「戻りました。」
「おかえりなさい。今日はとても天気がいいわね」
「……マリナさんは、どうして、いつも私に“ありがとう”と言うのですか?」
マリナはロッキングチェアから身体を起こし、やさしく笑った。
「そうね……たとえば、リアが何かをしてくれたとき、私の心が“嬉しい”って思ったの。それを伝えたくて、“ありがとう”って言うのよ」
「……嬉しい?」
「ええ。リアが朝のお皿を運んでくれること、自分から洗い物をしてくれること。それだけで、私は一日のはじまりが、もっと幸せなものになるの」
「……でも、わたしは……特別なことをしたわけではないのです。」
マリナは春のやわらかな光の中にいた。
「大切なのは、特別かどうかじゃないの。気持ちがあるかどうか。ありがとうっていうのは、あなたのしたことが、私にとって大切だったって伝える魔法の言葉なのよ」
マリナは笑う。リアは、じっとその顔を見つめた。
「……では、ありがとうと言われた時は、どうしたらいいのでしょうか。」
マリナは、手を顎にそっと添えて微笑んだ。
「どういたしましてって返すのが素敵かしら…でも、言葉に迷ったら、こう思って。私は、誰かの役に立てたんだって。そう思えるだけで、心があたたかくなるわ。そしたら、自然と言葉も浮かんでくるかもしれない」
リアは、しばらく黙ったまま、ふと自分の胸に手を当てた。
「……はい。……わたしも、そう思えるように、なりたいです。」
マリナは、そっとリアの肩に手を添えた。
「それでいいの。少しずつ、覚えていけばいいのよ」
リアは、手に入れた言葉のかけらを大切に胸にしまった。
ありがとう。
言葉がすっと胸に落ちてくる。
瑠璃色の瞳がキラキラと輝く。
でも、
今はまだ、
少しだけ。
