振り返ると、胸元に栞を差した厚い本を抱えた少女が立っていた。

艶のある長い黒い髪は、彼女の知的な雰囲気を際立たせる。
綺麗な顔立ちにはまだどことなく幼さが残り、リアよりも少し年下に見えた。

「……ありがとう。」

リアは反射的に言った。

そして、その言葉に自分で「はっ」とした。
少女はリアをじっと見て、唇の端だけで笑う。

「どういたしまして。……あなた、名前は?」

「リア、です。……あなたは?」

「ミナ・クローデル。ここの常連みたいなものよ。見ない顔だと思った」

リアは、ミナが差し出してくれた辞書を手に取る。

「“ありがとう”って、なんですか?」

「ありがとう?……ずいぶん、根本からきたわね」

ミナは興味深そうにつぶやく。

「辞書的には、“感謝の意を伝える言葉”だけど……たぶん、あなたが知りたいのは、それ以上の意味よね」


リアは黙って頷いた。
ミナは唇を噛み、少し考えてから、静かに言った。

「ありがとうって、簡単な言葉だけど、実はすごく深いのよ。“有り難い”──つまり、あるのが難しいほど貴重なことに心を動かされて、それを伝える言葉」

「……貴重なこと、ですか。」

「えぇ。誰かがしてくれた小さなことでも、それに気づいて、感謝できるって、思考や感情が豊かな人間だからこそよね」

リアはその言葉をゆっくりと飲み込んだ。

「……ありがとう、って言われたら、どうしたらいいんでしょうか?」

ミナはくすっと笑った。

「気になるなら、ありがとうってあなたに言う本人に聞いてみたら? 素直に、どうしてありがとうって言ってくれるのか、聞いてみるの。あなたの疑問って、きっとその人にとっても大事な問いだと思うから」

リアは、微かに首を傾げた。

「……直接、聞いてもいいのですか?」

「もちろんよ」

しばらく考え込んだリアは隣で本棚をじっと吟味するミナに向き直る。

「ミナさん。」

「なに?」

「……教えてくれて、ありがとう、ございます。」

ミナはふふっと笑った。

「どういたしまして、リア。言葉ってね、生きるための道具よ。人を傷つけもするけど、人をつなぐこともできる。生きるってつまり、誰かと関わることだもの。“ありがとう”は、その最初の一歩かもしれないわね」

ミナはまた、唇の端だけで笑う。