カシャンッ
リアの手元から、つるりと滑ったお皿がシンクの底で割れた。
水が流れる音だけが、ひどく大きく耳に響いた。
リアは、目を見開いたまま、割れた陶器のかけらをじっと見つめる。
マリナは、ゆっくりとリアに近づき、やわらかな声で言った。
「怪我はない?」
「……はい。」
「よかったわ。リア、お手伝いしてくれて、ありがとう」
「……でも、割ってしまいました。」
「ええ、割れてしまったわね」
マリナは、優しく包み込むようにリアの手を取った。
「割れてしまったのは、リアがお皿を洗おうとしてくれたからよ。失敗するということは、挑戦したという証拠なの」
リアは黙ったまま、マリナの言葉を聞いていた。
「あなたがここに来たばかりの頃は、何も言わずに部屋の隅でただ立っているだけだったわ。あの時と比べたら、あなたはいま、こうして自分から動こうとしてくれている。私は、それだけで本当に嬉しいの」
リアの指先がわずかに震えた。
「前にパンを作った時も、うまくできなかったって言っていたわね。でも、それでも自分の手で作って、食べて、誰かと笑い合えた。それは、とてもすごいことなのよ」
マリナはそう言って、優しくリアの髪を撫でる。
「失敗を恐れる必要はないわ。割ってしまった、それが“わかった”ということは、次は気をつけられるってこと。それはもう、半分は成功していることとおなじ」
「……失敗が、成功……ですか?」
「そう。全ての経験があなたを豊かにしてくれる。人ってね、完璧じゃないの。だから、支え合って生きてるのよ」
マリナはふふ、と笑って続けた。
「だから、もし今度、私が何か失敗しちゃったら…そのときは、リアが助けてくれる?」
リアには、戸惑いながら、ちいさく、ほんの少しだけ、頷いた。
「……はい。」
「ありがとう、リア」
マリナの笑顔は、春の光のように柔らかかった。
やがて、外の雨は静かにやみ、足元の水たまりには青空がうつりこんでいる。
リアは、この春の光をそっと胸に刻むように空を仰いだ。
森では雨宿りをしていた鳥たちが羽ばたく。
「ピッ……ピッ……ピッ……ピッ……」
雨上がりの森の中に佇む、奇妙な物体。
ちょうど人が入れそうな大きさのそれは、白く光る外殻に覆われ、まるで繭のよう。
中心には淡く脈打つ青白い光が灯り、周囲を細い黒のリングが無音でゆるやかに回転している。
雨上がりの静かな森の中、
規則的な電子音とともに
一人の男の声が溶けて消えてゆく。
「もう少しだ……」
リアの胸の奥に、また、小さな光がそっと灯った。
