サドルをたんたんと叩く。触れるたびに容赦のない熱が肌先から危険信号として脳へ送られる。でも、これといった解決方法も浮かばない。そもそも暑さのせいで冷静な思考そのものも溶け始めていた。
(もういいや、立ち漕ぎで帰ろう)
立って漕いでも太腿の内側は火傷を負うだろう。無傷は諦めて帰ろうとした。
――そのとき、自暴自棄に似た荒々しい声が、私の耳に降ってきた。
「あちぃ、死ぬ、ふざけんな、夏、」
泣いているような、怒っているような、悲観に満ちているような、疲れ果てているような、ただ、真っ直ぐで素直な声だった。
目深にキャップを被った背の高い男は、ふらふらと覚束ない足取りだ。戯言のように夏に喧嘩を売りながら、彼はスーパーの出入り口横にある自動販売機の前で立ち止まった。
男は自販機をしばらく睨みつけていたようだったが、手にしていたスマホを操作し始める。その光景を夏の暑さにやられた私は、ぼんやりと眺めていた。
彼がスマホを自販機にかざす。ピ、というやけに軽快な電子音が鳴る。
(え。自販機で買うの? 目と鼻の先にスーパーがあるのに?)
思考が放棄されていても、習慣として日頃から身についているものは、そう簡単には剥がれない。日々のなかで癖のように繰り返したものは、その人間を構築する核だからだ。
ゆえに、私はその言葉を口にしていた。
「もったいない」
私の声に、ボタンを押そうとしていた男の指が止まる。
キャップの下の双眸が、こちらを向く。ぎらりとした眼に反して、その表情は生気を失っていた。
「あっ」
彼が私の顔を認識する。白い肌に薄く赤を伸ばした彼の顔が、驚きの色に変わった。そうして男の変化は、まるで鏡のごとく、私の顔にも同じ変化を生じさせていた。
「もしかして、」
ボタンを押すための人差し指が、そのまま私へと向けられる。
「春日井⋯⋯?」
過疎化の進んだ田舎の、熱中症警戒アラートが毎日流れる夏に、私は最低賃金の対価として、高校二年の夏休みを、スーパーのレジ打ちに費やしていた。
「森崎くん⋯⋯?」
そんな私の前に現れたのは、隕石ではなく、元同級生だった。
