「すごいなあ」
「春日井だって、そういうのなかった?」
「うーん……」
私は、森崎くんの手元にあるプリントを見下ろす。楽しい記憶を辿ろうにも、行き着いた先は苦い記憶で、苦笑いを浮かべるしかなかった。
「…………逆のことなら今でも覚えてるんだけど」
「逆?」
首を傾げた森崎くんに向かって、私は「うん」と困った顔で笑いながら言った。
「わからなくなった瞬間。自分が勉強で躓いたなって瞬間」
森崎くんが瞠目した。なんだかその表情が不思議で、私は笑みを崩さないまま続ける。きっと、これはある意味で森崎くんが経験したことのない話だろう。
「算数の反比例で躓いたの」
たぶん、その単元が始まってすぐはまだついていけたはずなのだ。でも、何がきっかけだったのかはわからない。私が余所見をしてしまったのか、先生の余談が入ったのか、クラスの誰かが茶々を入れたのか。
いつの間にか、その授業は、私の知らないものに形を変えていた。
「なんでそんな式になって、そんな答えになって、そのグラフになるのか全然わかんなかった。わかんないまま、先生が『じゃあ問題を問いてみましょう。グラフを書いてみましょう。終わった人は次のチャレンジ問題もやってみましょう。まとめの文の穴埋めを書きましょう。それでは次に行きます』って、気づいたら終わっちゃってた」
本当は授業が終わったら先生に聞きに行こうと思ったのだ。でも、先生は慌ただしく教室を出て行ってしまうし、仲良しだったみっちゃんに「トイレ行こ」と誘われて、私は結局、わからないをわからないまま流してしまった。
「授業が終わった後、みんな全然その話をしないから、あ、これ、わかってて当然なやつなんだって思ったら、わからない私がやばいんだって。最初のうちはみんながわかることがわからないのが嫌だったけど、わからないが増えるうちに、私の中ではわからないが普通になっちゃって、あー、もういいやって、今さら取り返しつかないやって」
わからないまま流しても、授業は進むし、新しく覚えなきゃいけないものも増えてくる。小学校高学年になると周りの子たちも塾に通い始めていて、新しく習うところも、「塾ではもうやってるよ」なんて話も聞くようになっていた。
