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「春日井って海苔いらん派?」
〈憩いの場〉で手作りおにぎりを食べる私に、隣で森崎くんが冷やし中華を食べながら訊いてきた。
「いつも塩おにぎり食ってるよな」
真っ白な塩むすびは海苔もなければ具もない。保冷剤にくっついていたせいで、お米が少し硬い。冷たく、味気ないそれを曖昧に咀嚼しながら、私は答える。
「いらないっていうか、なくても困らないなら、なし派」
なくても生きていけるものは、うちにはない。それだけだ。
森崎くんは冷やし中華のきゅうりをさりげなく、蓋の上に避けながら「あー、なるほどね」なんて相槌を打つ。
「ミニマリストってやつか」
私は森崎くんが繰り出したカタカナ用語を、テレビやスマホで得た知識と照合する。たぶん、いや、確実にうちのとは違う。
他の人と話すとき、否定するのがめんどくさいときは適当に笑って流す。けれど、相手が森崎くんのとき、私は否定も疑問もなるべく隠さずに表現しようとしていた。
「ミニマリスト、ではないかな」
「ではないのか」
おそらく、森崎くんは、無駄な詮索も、不必要なほどの追及もしてこないからだ。それが楽で、私は自然と自分から自分のことを話せているのだと思う。
「知ってるかもしれないけど、うち、片親だから。」
だから、今も、こうして言葉が口から飛び出していくのだ。でも、楽だからといって、怖くないわけではない。その証拠に、味気ない塩むすびの味が、さらに曖昧になっている。たぶん、身体の神経全てが、森崎くんへと集中しているせいだ。
