隕石の落ちなかった夏




「え? マジで?」


森崎くんは私の言葉に、目を丸くして、顔を上げた。その純粋な驚きに満ちた顔に向かって、私は小さく首肯する。


「ないよ、一回も」


波の音も、潮の香りも、砂浜の感触も、私の身体は海に触れたことがない。

森崎くんは未だに信じられないといった様子だ。それもそのはずだ。


「このへん電車もバスもないけど、いちばん近い海なら、車で30分ぐらいで行けるだろ」


森崎くんが言った通り、私たちの暮らす町から海がある場所までは、決して遠くはない。

そのせいか、小学校の夏休み明けといえば、クラスメイトたちは皆こんがりと日焼けして「海に行った」と口をそろえて言う。それぐらい海は私達の地元では身近といえば身近なのだ。


「春日井が覚えてないだけじゃなくて?」


そう言った森崎くんに向かって、私は冗談っぽく言い返す。


「車では30分でも、徒歩だと6時間。自転車だと1時間半かかるんだよ」


さらりと時間換算して告げた私に、森崎くんは目を瞬かせた。そんな彼に向かって、私は笑みを作りながら、素早く吐いた時間計算のネタばらしをする。


「小5の夏休みに調べたの。自転車で、隣の市に入る坂でギブアップして、家に帰った。今思えば軽い熱中症になってたんだと思う」


その日も暑かったことを覚えている。自転車のかごに入れた水筒は、家を出て3回目の赤信号を待っている間に空になってしまっていた。


「そもそも子どもならもっと時間かかってただろうし、早々に諦めてよかったって今では思ってる」


急な上り坂に意気込んだのは最初だけで、坂の三分の一あたりで、頭がくらくらし始めて、最後には泣きべそをかきながら、残りの力を振り絞って家へ帰った。

それ以来、海に行こうとは一度も思わなくなった。

懐かしくも実に惨めな記憶に、私は苦笑する。森崎くんはそんな私の顔を見ても、釣られて笑顔になったりはしなかった。ただ真っ直ぐとした目で、私を見つめて言った。


「今は、海に行きたいと思わないの?」


森崎くんの躊躇いのない声は、私の表面を突き抜けて、深く柔らかな部分まで届いた。


「今?」
「うん。今」


私はその射抜くような力強い彼の眼を見つめ返した。そうして、自分だけそっと目を伏せて、力なく口元を緩めて笑った。無意識にテーブルの上で指をいじる。


「今は⋯⋯どうだろ。わかんないや」


結局は誤魔化した。森崎くんの目に映る私が、あまりにも芯がなくて、ぼんやりとしていて、思わず目を逸らしてしまった。そのことさえも誤魔化すように。