「犬井っすか? 犬井なら迷路のゴールのとこだと思いますよ」
犬井くんのクラス一年C組が大迷路を作っているという中庭に辿り着きはしたものの、肝心の本人はゴール付近にいるという。
呼んできます? と、クラスの男子は一応気を遣ってくれたけれど、そこまでしてもらうのはなんだか悪い気がしたのと、ちゃんと自分の力で辿り着いて彼と向かい合いたかったから、僕は一人迷路に挑むことにした。
迷路は一六五センチの僕の肩ぐらいの高さの壁が段ボールで作られている。装飾のペイントをされている壁やビニールテープの垂れ幕をくぐり、いくつもの角を曲がっていく。思っていたより難易度が高いな……と、思っていたら、不意に『ゴールまであと少し』の看板が目に入って来る。
あ、着いた……と、思った途端に、ゴールと思われる旗が立っている所で見覚えのある後ろ姿が見えた。犬井くんがいると認識してしまうと、心臓がやたらとドキドキしてきて、なんだか落ち着かない。手に握ったままのタッパーのプリンを見つめたりしてそわそわしていると、「そう言えば犬井、調理部は行かなくていいのか?」と、誰かが尋ねている声が聞こえた。
「あー……まあ、うん……」
「って言うかさ、やっと運命の人って見つかったんだ?」
「え、マジで? 入学式の言葉聞いて面白がったヤツらに、ウソ情報つかまされまくって全然見つからなかったやつだろ?」
「高校見学の時ってことは年上だよな? 写真とかある?」
クラスメイトらしい男子たちから肩を組まれるように声を掛けられている犬井くんは、いまどんな顔をしているんだろう。さっきからずっと振り返らないせいで、いま彼がどんな気持ちでいるのかがわからない。
(なんか浮かない返事してるし……やっぱりまだ、怒ってるのかな……)
怒っていて当然だろう。好きだって言っている相手から、それが嘘だなんて言われてしまったんだから。そんなこと、逆の立場になって考えれば、どれだけ悲しいことかいやでもわかることなのに。
自分の“好き”を否定されることがどれだけつらいのか、悲しいのか、僕は誰よりも知っているはずなのに……なんで、あんなこと言っちゃったんだろう。一番、言っちゃいけない言葉だ。
「運命の人だったけど……あっちはそうじゃなかったみたいだから」
ようやく犬井くんが答えた言葉が、後ろで聞いてしまっている僕の胸に突き刺さる。自分で彼のことを信じなくて否定したのに、僕まで傷ついてるってすごく身勝手だよなと思う……わかっているのに、悲しくて悔しくて仕方ない。だって僕は、犬井くんを傷つけてようやく、彼が好きだって気づけたんだから。
口惜しさと悲しさが入り混じって胸が痛くて苦しくて、その想いを吐き出すかのように、僕は一歩踏み出すように彼らの方に近づいていた。
「そうじゃないよ、犬井くん」
まさか背後に人がいるなんて思わなかったのか、犬井くん達はぎょっとした顔でこちらを振り返る。そして、犬井くんはひと際バツが悪そうな顔をし、目を逸らす。
あんなに、尻尾を振るように僕を慕っていてくれたのが嘘みたいに、もう目も合わせてくれない。懐っこい声で僕を呼んでくれていたことも、周りの目も気にしないで好きだって、運命だって言ってくれていたのに。やっぱり、もう遅すぎたんだろうか。
それでも僕は、どうして犬井くんが僕を探していたのか、運命の人だと思ってくれているのかを聞きたいし、知りたい。たとえもうすべて取り返しがつかないのだとしても、僕自身が犬井くんを好きであることに変わりはないから。
「……何でここにいるんすか、ネコ先輩。俺はもう、調理部じゃ……」
「僕は退部届をもらってないし、先生だって許可をしてないはずだから、まだ犬井くんは部員だよ。だから、呼びに来た」
「……そっすか。じゃあ、あとで顔出して、退部届を……」
「それと、僕は犬井くんに聞きたいことがあって、来たんだ」
聞きたいこと、という言葉に目を伏せていた犬井くんと視線がかち合う。驚いたような、次の言葉を乞うような眼差しに、僕は少し緊張気味に息を吸い、言葉を続ける。彼がこの高校にいる、本当の理由を知るために。
「犬井くんって、去年の調理部のクレープ屋に来た? それで僕に、クレープが美味しいって言ってくれて、この高校に入るから待っててくれって言ったりした? 一緒に、クレープとか作りたい、って」
犬井くんの目が見ひらかれていて、段々と耳の端まで赤く染まっていく。人懐っこそうな垂れた目がやさしくほどけていき、あの時に会った中学生の表情を彷彿とさせる。
ああ、やっぱり彼だったんだ――随分と高くなった目線を追うように見上げ、「犬井くん」と呼ぶと、彼は一歩僕の方に歩み寄って来た。
「僕はね、本当はあの時、部活辞めちゃおうかって思ってたんだ」
「え……? なんで……」
「男子で調理部だって言うと何かとネタにされてね。それをイジって女子の気を惹こうとするやついたから。だからその……犬井くんのことも、すっかり誤解しちゃってて……本当に、ごめん」
「先輩、俺はそんなつもりじゃ……」
「うん……犬井くんにあんなこと言っちゃってから、そうじゃないんだ、ってやっと気づけた。だからひどいことを言ってしまって、すごく後悔した。君のお陰で、僕は僕のままで、いま僕は調理部を続けてられているのにね」
本当に、ごめん。そう、もう一度頭を下げ、僕は手にしていたタッパーを差し出す。うっかり持ってきてしまった、プリンの試作だ。犬井くんはそれをそっと手に取ってくれた。
「試作のプリン。トッピングはできてないけど、犬井くん、食べたいって言ってたから」
「俺に? なんでですか?」
もう部員じゃないのに、試食なら他にもいるのに、とでも言いだしそうな犬井くんの方を見つめながら、僕は緊張で心臓が飛び出しそうにも指先が震えそうにもなりながら、胸に迫っている想いのそのままを彼に伝えることにした。一世一代の勇気を振り絞って。
「僕にとっても、犬井くんは運命の人なんだと思う。だから、僕の専属の試食係になって欲し……」
「それって、俺のこと好きって思っていいってことっすか!?」
告白のつもりで告げていた言葉に食い気味に返されて、面食らっていると、さっきまでよりもずっと近くに犬井くんがいた。うわ、近い……と、思った時には、僕は彼の腕の中に捕らわれていた。
たくましい腕で包み込むようにそっと抱きしめられるのは、たとえ彼のクラスメイトの前だったとしても、気にならなくなるくらい嬉しくて、心地よくて、自然と涙があふれていく。
「ネコ先輩、好きです」
ちょうど僕の耳元にあたる犬井くんの胸元から、すごく早い鼓動が聞こえる。そしてそれを包むように、彼の声も。ようやく伝え切れた想いが嬉しくて、胸がいっぱいになっていく。
「うん……僕も、好きだよ」
「あー……マジで先輩は運命の人だ……こうしてるのめっちゃしっくりくる」
そんな言葉に一層顔を熱くしていると、どこからともなく拍手が聞こえてきた。その音で我に返ったんだけれど、ここは犬井くんのクラスの迷路のゴール地点で、僕らの他にも生徒がそれなりにいたはずだったのをいまになって思い出す。
そうなると一気に恥ずかしさが湧いてくるのだけれど、さすが入学式の言葉で堂々と運命の人探しを言っちゃえるような犬井くんは全く動じた様子がない。寧ろ、嬉しそうに腕の力を強めていく。
「犬井ー! おめでとうー!」
「やっと運命の人見つけられたんだな」
「犬井くーん、よかったねぇ!」
さっき犬井くんと一緒にいたメンツだけじゃないクラスメイト達もいつの間にか見ていたらしく、僕はより一層恥ずかしくてどうかなってしまいそうだ。みんな口々に祝福の言葉を言い、拍手してくれているのが、どうにもむず痒い。
(でも――全然いやじゃないのは、どうしてなんだろう。寧ろ、嬉しい……)
中庭の騒ぎは校舎内に響いたのか、それは次第に大きくなっていき、祝福の言葉や拍手が雨のように柔らかく降り注いでくる。僕らはそんな祝福の雨を浴びようにしながら抱き合い、照れたように笑った。
そうして僕らは、お互いをお互いの運命の人として想いを伝え合えたことで想いを実らせることができたのだった。
犬井くんのクラス一年C組が大迷路を作っているという中庭に辿り着きはしたものの、肝心の本人はゴール付近にいるという。
呼んできます? と、クラスの男子は一応気を遣ってくれたけれど、そこまでしてもらうのはなんだか悪い気がしたのと、ちゃんと自分の力で辿り着いて彼と向かい合いたかったから、僕は一人迷路に挑むことにした。
迷路は一六五センチの僕の肩ぐらいの高さの壁が段ボールで作られている。装飾のペイントをされている壁やビニールテープの垂れ幕をくぐり、いくつもの角を曲がっていく。思っていたより難易度が高いな……と、思っていたら、不意に『ゴールまであと少し』の看板が目に入って来る。
あ、着いた……と、思った途端に、ゴールと思われる旗が立っている所で見覚えのある後ろ姿が見えた。犬井くんがいると認識してしまうと、心臓がやたらとドキドキしてきて、なんだか落ち着かない。手に握ったままのタッパーのプリンを見つめたりしてそわそわしていると、「そう言えば犬井、調理部は行かなくていいのか?」と、誰かが尋ねている声が聞こえた。
「あー……まあ、うん……」
「って言うかさ、やっと運命の人って見つかったんだ?」
「え、マジで? 入学式の言葉聞いて面白がったヤツらに、ウソ情報つかまされまくって全然見つからなかったやつだろ?」
「高校見学の時ってことは年上だよな? 写真とかある?」
クラスメイトらしい男子たちから肩を組まれるように声を掛けられている犬井くんは、いまどんな顔をしているんだろう。さっきからずっと振り返らないせいで、いま彼がどんな気持ちでいるのかがわからない。
(なんか浮かない返事してるし……やっぱりまだ、怒ってるのかな……)
怒っていて当然だろう。好きだって言っている相手から、それが嘘だなんて言われてしまったんだから。そんなこと、逆の立場になって考えれば、どれだけ悲しいことかいやでもわかることなのに。
自分の“好き”を否定されることがどれだけつらいのか、悲しいのか、僕は誰よりも知っているはずなのに……なんで、あんなこと言っちゃったんだろう。一番、言っちゃいけない言葉だ。
「運命の人だったけど……あっちはそうじゃなかったみたいだから」
ようやく犬井くんが答えた言葉が、後ろで聞いてしまっている僕の胸に突き刺さる。自分で彼のことを信じなくて否定したのに、僕まで傷ついてるってすごく身勝手だよなと思う……わかっているのに、悲しくて悔しくて仕方ない。だって僕は、犬井くんを傷つけてようやく、彼が好きだって気づけたんだから。
口惜しさと悲しさが入り混じって胸が痛くて苦しくて、その想いを吐き出すかのように、僕は一歩踏み出すように彼らの方に近づいていた。
「そうじゃないよ、犬井くん」
まさか背後に人がいるなんて思わなかったのか、犬井くん達はぎょっとした顔でこちらを振り返る。そして、犬井くんはひと際バツが悪そうな顔をし、目を逸らす。
あんなに、尻尾を振るように僕を慕っていてくれたのが嘘みたいに、もう目も合わせてくれない。懐っこい声で僕を呼んでくれていたことも、周りの目も気にしないで好きだって、運命だって言ってくれていたのに。やっぱり、もう遅すぎたんだろうか。
それでも僕は、どうして犬井くんが僕を探していたのか、運命の人だと思ってくれているのかを聞きたいし、知りたい。たとえもうすべて取り返しがつかないのだとしても、僕自身が犬井くんを好きであることに変わりはないから。
「……何でここにいるんすか、ネコ先輩。俺はもう、調理部じゃ……」
「僕は退部届をもらってないし、先生だって許可をしてないはずだから、まだ犬井くんは部員だよ。だから、呼びに来た」
「……そっすか。じゃあ、あとで顔出して、退部届を……」
「それと、僕は犬井くんに聞きたいことがあって、来たんだ」
聞きたいこと、という言葉に目を伏せていた犬井くんと視線がかち合う。驚いたような、次の言葉を乞うような眼差しに、僕は少し緊張気味に息を吸い、言葉を続ける。彼がこの高校にいる、本当の理由を知るために。
「犬井くんって、去年の調理部のクレープ屋に来た? それで僕に、クレープが美味しいって言ってくれて、この高校に入るから待っててくれって言ったりした? 一緒に、クレープとか作りたい、って」
犬井くんの目が見ひらかれていて、段々と耳の端まで赤く染まっていく。人懐っこそうな垂れた目がやさしくほどけていき、あの時に会った中学生の表情を彷彿とさせる。
ああ、やっぱり彼だったんだ――随分と高くなった目線を追うように見上げ、「犬井くん」と呼ぶと、彼は一歩僕の方に歩み寄って来た。
「僕はね、本当はあの時、部活辞めちゃおうかって思ってたんだ」
「え……? なんで……」
「男子で調理部だって言うと何かとネタにされてね。それをイジって女子の気を惹こうとするやついたから。だからその……犬井くんのことも、すっかり誤解しちゃってて……本当に、ごめん」
「先輩、俺はそんなつもりじゃ……」
「うん……犬井くんにあんなこと言っちゃってから、そうじゃないんだ、ってやっと気づけた。だからひどいことを言ってしまって、すごく後悔した。君のお陰で、僕は僕のままで、いま僕は調理部を続けてられているのにね」
本当に、ごめん。そう、もう一度頭を下げ、僕は手にしていたタッパーを差し出す。うっかり持ってきてしまった、プリンの試作だ。犬井くんはそれをそっと手に取ってくれた。
「試作のプリン。トッピングはできてないけど、犬井くん、食べたいって言ってたから」
「俺に? なんでですか?」
もう部員じゃないのに、試食なら他にもいるのに、とでも言いだしそうな犬井くんの方を見つめながら、僕は緊張で心臓が飛び出しそうにも指先が震えそうにもなりながら、胸に迫っている想いのそのままを彼に伝えることにした。一世一代の勇気を振り絞って。
「僕にとっても、犬井くんは運命の人なんだと思う。だから、僕の専属の試食係になって欲し……」
「それって、俺のこと好きって思っていいってことっすか!?」
告白のつもりで告げていた言葉に食い気味に返されて、面食らっていると、さっきまでよりもずっと近くに犬井くんがいた。うわ、近い……と、思った時には、僕は彼の腕の中に捕らわれていた。
たくましい腕で包み込むようにそっと抱きしめられるのは、たとえ彼のクラスメイトの前だったとしても、気にならなくなるくらい嬉しくて、心地よくて、自然と涙があふれていく。
「ネコ先輩、好きです」
ちょうど僕の耳元にあたる犬井くんの胸元から、すごく早い鼓動が聞こえる。そしてそれを包むように、彼の声も。ようやく伝え切れた想いが嬉しくて、胸がいっぱいになっていく。
「うん……僕も、好きだよ」
「あー……マジで先輩は運命の人だ……こうしてるのめっちゃしっくりくる」
そんな言葉に一層顔を熱くしていると、どこからともなく拍手が聞こえてきた。その音で我に返ったんだけれど、ここは犬井くんのクラスの迷路のゴール地点で、僕らの他にも生徒がそれなりにいたはずだったのをいまになって思い出す。
そうなると一気に恥ずかしさが湧いてくるのだけれど、さすが入学式の言葉で堂々と運命の人探しを言っちゃえるような犬井くんは全く動じた様子がない。寧ろ、嬉しそうに腕の力を強めていく。
「犬井ー! おめでとうー!」
「やっと運命の人見つけられたんだな」
「犬井くーん、よかったねぇ!」
さっき犬井くんと一緒にいたメンツだけじゃないクラスメイト達もいつの間にか見ていたらしく、僕はより一層恥ずかしくてどうかなってしまいそうだ。みんな口々に祝福の言葉を言い、拍手してくれているのが、どうにもむず痒い。
(でも――全然いやじゃないのは、どうしてなんだろう。寧ろ、嬉しい……)
中庭の騒ぎは校舎内に響いたのか、それは次第に大きくなっていき、祝福の言葉や拍手が雨のように柔らかく降り注いでくる。僕らはそんな祝福の雨を浴びようにしながら抱き合い、照れたように笑った。
そうして僕らは、お互いをお互いの運命の人として想いを伝え合えたことで想いを実らせることができたのだった。



