夏休みも終わり、十月になって後期に入ると、クラスでも部活でも文化祭の出し物について話し合いがもたれることが多い。
僕のクラスでは謎解きゲームをすることになっていて、部活ではやはり食べ物系の模擬店を出そうかという話になっている。
「去年はクレープ屋で、一昨年はたこ焼き屋。今年は何する?」
調理部の活動で作った行楽弁当の試食をしているさなか、水谷先生が文化祭の模擬店で何をやろうかと話だし、参考までに去年と一昨年の内容を確認する。
この高校の文化祭の伝統的謎ルールとして、同じフロアに同じ内容の模擬店は出せない決まりになっているのと、単純に内容被りすると競合が出来て大変なので、避けたい気持ちもある。
「たこ焼き屋は三年のどこかのクラスがやるって言ってたから、それはナシかな」
「んー……じゃあ、レトロ喫茶とかどう? いまレトロ系流行りだし」
「喫茶店だったらメイドカフェと被るとか言われない?」
「喫茶店だからいいんじゃない?」
そんな感じで今年はレトロ喫茶という方向に決まった。
念のためにと、水谷先生が文化祭実行委員に聞いて来てくれることになって席を外し、残された僕ら部員でさらに模擬店の内容を詰めていく。
「レトロ喫茶ならやっぱ硬めプリンだよね。出来るかな?」
「やわらかいプリンよりは、作るハードル低いと思うよ」
「あとはホットサンドとか?」
「ナポリタンは外せないでしょ」
「内装にも凝りたいよねー。これとかどう?」
そんな風に、スマホで検索して捜し出したレトロ喫茶の画像を見ていると、突然、ドンドン! と、どこからか何かを叩きつけるような音が聞こえてくる。音は、グランドに面した窓側からだった。
「え? なに……」
会話が途切れ辺りを見渡したその時、部員の一人が悲鳴を上げた。悲鳴はそのまま次の悲鳴を呼び、連鎖反応のように教室内はパニックになっていく。
「きゃあ! 不審者!」
「ネコ先輩、やっつけてぇ!」
僕は喫茶店の内装やメニューの画像に夢中になっていて、反応に一瞬遅れてしまった。一体何が、と顔をあげた時には周りにいた女子部員たちは、一斉に僕を置いて調理室の隅に逃げて固まっている。
「え、何どうした……の……」
互いを抱きしめ合うようにして震えあがっている女子たちが揃って指さす方を見ると、鍵が開いていたらしいグランド側の窓が開かれ、そこから全く知らない奴――一応制服は来ているから、ウチの高校の生徒なんだろう――ぼさぼさの長めの髪に顔色の悪い細い体、覇気のない表情の目元は獲物を狙う猫のように鋭く、にらまれた僕らを委縮させている。女子たちはその視線もまとう雰囲気も怖いらしく、視線で僕に「どうにかして!」と、訴えていた。
入って来たのは背のひょろりと高い男子生徒で、赤いネクタイの色からして一年生のようだ。僕よりもはるかに背の高い彼に丸腰で対峙するほどの意気地もないので、思わず近くにあった菜箸に手をかける。それでこいつをどうこうできるとは思えないけど、何もないよりはマシな気がする。
しかし、こういう時に矢面に立たされるとは……男子部員って言うより彼女らの護衛をさせられた気分だ。
「な、何しに来たんだ!」
それでもどうにか不審な生徒と二メートル弱の距離を保って向かい合い、震えそうな声で尋ねてみる。尋ねたところで、相手がまともに答えてくれるかはわからないけれど。
一歩、また一歩とそいつはよろよろと近づきつつ、ぼそぼそと何かを言っている。「……っと、見つけた」とか、「……へった」とか、うわ言のように。
じりじりと僕との距離が縮まっていく中、そいつはふと、その傍に広げられている行楽弁当に視線をうつし、じっと見入っている。
弁当が、何かあるんだろうか……と、思っていると、突然、「ぐぅぅぅ……」と、とんでもなく大きな、獣の鳴き声のような音が聞こえたのだ。
「いやー! 吠えた!」
「怖い!」
「ネコ先輩、倒しちゃって!」
部員たちは震えあがって口々にそうは言うけれど、見ている限りこいつに僕らを襲いかかるような物を感じない。それよりも何となくだけれど、行楽弁当の方に興味があるような気がする。そして、先程の轟音のような叫びのような音。これってもしかして……
「あの……もしかして、お腹減ってる?」
おずおずと僕が尋ねると、「そうだ」と答えるように「きゅおん」と彼のお腹が鳴った。そして同時に、彼もまた、自分のお腹の辺りを抑えて恥ずかしそうにうつむいている。
その途端に、なんだかこの不審な生徒である彼が妙に可哀想に見えてしまい、僕はつい、手近にあった自分が作った弁当のつめられた弁当箱を手に取り、差し出していた。
「これ、食べる?」
そう言い終わるか終わらないかの内に、彼は素早く手を伸ばしてきて飛びつき、そのまま抱え込むようにしてガツガツと音がしそうな勢いで弁当を食べ始めた。
いままで調理部の試食のおこぼれに預かりたいと、活動場所の調理室の外をうろうろしている生徒は多く見たけれど、実際に中に飛び込んできてまでお腹を空かせている生徒は初めてだった。
不審な生徒は夢中で弁当をあっという間に平らげてしまい、おにぎりも卵焼きもシャケの南蛮漬けも、インゲン豆の胡麻和えだってすべてきれいに胃袋に収めてしまったようだ。
「はぁ……美味かった……」
ようやく聞いた彼の声は、低く甘く、なんだか耳に心地いい。少しかすれ気味なのも、彼のネコのようでありながら垂れた目の甘い雰囲気に合っている気がした。
弁当を抱え込んでしゃがみ込んでいた彼は、僕らの視線に気付いてハッと我に返ったのか、慌てて立ち上がり、土下座せんばかりの勢いで頭を下げる。
「すみません! 超絶に腹が減ってて理性なくしてました!!」
先程窓から乱入してきた野生児を思わせるような雰囲気から一転、彼はどうにか僕らと同じ学校の生徒のように見えた。でも、彼は誰なんだろう?
何でここに乱入してきたのか、改めて理由を尋ねようとした時、彼は頭を下げた状態から一気にまた顔を勢い良く上げ、大きな声で尋ねてきた。
「俺、犬井大晴って言います! あの、この弁当作ったのは、誰っすか?」
「あ、えっと……僕、だけど……」
急に弁当の制作者を尋ねられ、おずおずと右手を上げつつ答えると、犬井くんは僕を見るなり大きく目を見開き、それから手をつかんでぐっと距離を縮めて近づいてくる。鼻先まであと数センチ、というぐらいの至近距離で見つめる犬井くんの顔は、先程の恐ろしい雰囲気など欠片も感じさせないほどきれいに整っていた。
まるで王子様みたいだな……なんて考えていると、犬井くんはこの至近距離で「ああ……やっと、見つけた」なんて言うのだ。
見つけた? 何を? それが僕だって言うの? そう、聞きたいことが溢れそうになるのを押し留めるように、更に彼はこうも言った。まるで、宣言するように。
「この弁当超美味かった! あなたが好きです!」
小さい頃から料理は好きだけれど、そのたびに一部からは女の子ならと嘆かれることもあった。世の中には料理のプロである男性も多いのに、なんで僕だけ。そんなモヤモヤした気持ちを抱えつつ、それでも料理を作ることはやめられなかった。僕は僕のままで料理を作り続けたい、ただそれを美味しいって言って欲しい――そう、思ってきたけれど……
だからって、なんでいまここで告白なんてされなきゃなんだ?
「……は? なんで?」
「俺、美味い料理作れる人探してたんで!」
いや、理由になってないんだが? と、問いただすよりも先に、この突然の告白に背後の女子たちが色めき立った。先ほどまでとは違う悲鳴が上がり、手を取り合うようにしてこちらを何か期待する目で見つめている。
「ガチ告白とか初めて見た!」
「しかも相手犬井くんとかビジュが良すぎる!」
「もしかしてあの、運命ってやつじゃない?」
どうやら彼はビジュが良いことで有名らしい。でもなんだって腹を空かせて突撃してきたんだろうか? って言うか、運命って何のこと?
とにかくいまここにツッコミ役がいない。その上僕はまだ犬井くんに手を握りしめられていて、なんだか振りほどくのも許されないくらいに熱く見つめられている。猫の様な目をしているのに、彼はなんだか大型犬みたいに背後で尻尾を振っているように見えた。
「ネコ先輩って言うんすね。かわいいっすね!」
「きゃー! 口説いてるぅ!」
「あまーい!」
面と向かってかわいいと言われ、手を繋がれ、挙げ句告白までされている僕の気持ちを、君らは考えたことがあるのか? というほどに、外野はますます騒ぎ立て、なんだか突っぱねることさえできなくなってきた。
「ねえ、犬井くんも部員にならない? そしたらネコ先輩とずっと一緒にいられるよ」
どこからかそんなとんでもない提案をされ、犬井くんの顔がぱぁっと輝いていく。待ってくれ、なんか僕が入部する時よりもハードルがかなり低くなってないか?
腑に落ちない気分でいる僕とは対照的に、「ずっと一緒、かぁ……」なんてうっとりした口調で言い、さらにまたこんなことを平然と口にしてくる。
「俺、先輩の専属試食係でいいなら、入部したいっす」
「せ、専属?!」
またもや女子たちを刺激するような犬井くんの言葉で、調理室は黄色い悲鳴が響き渡り、これはもう僕が犬井くんの入部を承諾しないと収拾がつかない感じじゃないか。
(どうしよう……断れる雰囲気じゃない……)
垂れ眼の甘い眼差しを一身に受けながら、僕は苦笑いすらできずに途方に暮れる。僕に残された選択肢は、これしかないのだ。
「……わ、わかった、犬井くんの入部を一応許可します」
「あざっす! やっぱ愛ですね!」
「そ、そうじゃなくて、犬井くんは試食係じゃなくて、仮入部としての入部だから。調理も一応やってもらうからね」
「了解です! ありがとうございます!!」
手を握ったまま放さない犬井くんの圧力に負けそうになりながらも、どうにか平静を装い続けることはできた。
でも、僕の承諾を何と聞き間違えたのか、またしても女子たちからは悲鳴が上がり、「告白OKしてるぅ!」なんて声まで上がる。流石にそれは聞き捨てならなくてにらみ付けてしまったのだけれど。
なんだか妙なことになってしまったな……と、ため息をつきかける僕に、犬井くんはにこりと微笑みかけて囁いた。
「よろしくお願いします、ネコ先輩」
語尾にハートマークがついていそうな甘い声に、ついドキリとしてしまって、しばらくの間僕は自己嫌悪に陥るのだった。
僕のクラスでは謎解きゲームをすることになっていて、部活ではやはり食べ物系の模擬店を出そうかという話になっている。
「去年はクレープ屋で、一昨年はたこ焼き屋。今年は何する?」
調理部の活動で作った行楽弁当の試食をしているさなか、水谷先生が文化祭の模擬店で何をやろうかと話だし、参考までに去年と一昨年の内容を確認する。
この高校の文化祭の伝統的謎ルールとして、同じフロアに同じ内容の模擬店は出せない決まりになっているのと、単純に内容被りすると競合が出来て大変なので、避けたい気持ちもある。
「たこ焼き屋は三年のどこかのクラスがやるって言ってたから、それはナシかな」
「んー……じゃあ、レトロ喫茶とかどう? いまレトロ系流行りだし」
「喫茶店だったらメイドカフェと被るとか言われない?」
「喫茶店だからいいんじゃない?」
そんな感じで今年はレトロ喫茶という方向に決まった。
念のためにと、水谷先生が文化祭実行委員に聞いて来てくれることになって席を外し、残された僕ら部員でさらに模擬店の内容を詰めていく。
「レトロ喫茶ならやっぱ硬めプリンだよね。出来るかな?」
「やわらかいプリンよりは、作るハードル低いと思うよ」
「あとはホットサンドとか?」
「ナポリタンは外せないでしょ」
「内装にも凝りたいよねー。これとかどう?」
そんな風に、スマホで検索して捜し出したレトロ喫茶の画像を見ていると、突然、ドンドン! と、どこからか何かを叩きつけるような音が聞こえてくる。音は、グランドに面した窓側からだった。
「え? なに……」
会話が途切れ辺りを見渡したその時、部員の一人が悲鳴を上げた。悲鳴はそのまま次の悲鳴を呼び、連鎖反応のように教室内はパニックになっていく。
「きゃあ! 不審者!」
「ネコ先輩、やっつけてぇ!」
僕は喫茶店の内装やメニューの画像に夢中になっていて、反応に一瞬遅れてしまった。一体何が、と顔をあげた時には周りにいた女子部員たちは、一斉に僕を置いて調理室の隅に逃げて固まっている。
「え、何どうした……の……」
互いを抱きしめ合うようにして震えあがっている女子たちが揃って指さす方を見ると、鍵が開いていたらしいグランド側の窓が開かれ、そこから全く知らない奴――一応制服は来ているから、ウチの高校の生徒なんだろう――ぼさぼさの長めの髪に顔色の悪い細い体、覇気のない表情の目元は獲物を狙う猫のように鋭く、にらまれた僕らを委縮させている。女子たちはその視線もまとう雰囲気も怖いらしく、視線で僕に「どうにかして!」と、訴えていた。
入って来たのは背のひょろりと高い男子生徒で、赤いネクタイの色からして一年生のようだ。僕よりもはるかに背の高い彼に丸腰で対峙するほどの意気地もないので、思わず近くにあった菜箸に手をかける。それでこいつをどうこうできるとは思えないけど、何もないよりはマシな気がする。
しかし、こういう時に矢面に立たされるとは……男子部員って言うより彼女らの護衛をさせられた気分だ。
「な、何しに来たんだ!」
それでもどうにか不審な生徒と二メートル弱の距離を保って向かい合い、震えそうな声で尋ねてみる。尋ねたところで、相手がまともに答えてくれるかはわからないけれど。
一歩、また一歩とそいつはよろよろと近づきつつ、ぼそぼそと何かを言っている。「……っと、見つけた」とか、「……へった」とか、うわ言のように。
じりじりと僕との距離が縮まっていく中、そいつはふと、その傍に広げられている行楽弁当に視線をうつし、じっと見入っている。
弁当が、何かあるんだろうか……と、思っていると、突然、「ぐぅぅぅ……」と、とんでもなく大きな、獣の鳴き声のような音が聞こえたのだ。
「いやー! 吠えた!」
「怖い!」
「ネコ先輩、倒しちゃって!」
部員たちは震えあがって口々にそうは言うけれど、見ている限りこいつに僕らを襲いかかるような物を感じない。それよりも何となくだけれど、行楽弁当の方に興味があるような気がする。そして、先程の轟音のような叫びのような音。これってもしかして……
「あの……もしかして、お腹減ってる?」
おずおずと僕が尋ねると、「そうだ」と答えるように「きゅおん」と彼のお腹が鳴った。そして同時に、彼もまた、自分のお腹の辺りを抑えて恥ずかしそうにうつむいている。
その途端に、なんだかこの不審な生徒である彼が妙に可哀想に見えてしまい、僕はつい、手近にあった自分が作った弁当のつめられた弁当箱を手に取り、差し出していた。
「これ、食べる?」
そう言い終わるか終わらないかの内に、彼は素早く手を伸ばしてきて飛びつき、そのまま抱え込むようにしてガツガツと音がしそうな勢いで弁当を食べ始めた。
いままで調理部の試食のおこぼれに預かりたいと、活動場所の調理室の外をうろうろしている生徒は多く見たけれど、実際に中に飛び込んできてまでお腹を空かせている生徒は初めてだった。
不審な生徒は夢中で弁当をあっという間に平らげてしまい、おにぎりも卵焼きもシャケの南蛮漬けも、インゲン豆の胡麻和えだってすべてきれいに胃袋に収めてしまったようだ。
「はぁ……美味かった……」
ようやく聞いた彼の声は、低く甘く、なんだか耳に心地いい。少しかすれ気味なのも、彼のネコのようでありながら垂れた目の甘い雰囲気に合っている気がした。
弁当を抱え込んでしゃがみ込んでいた彼は、僕らの視線に気付いてハッと我に返ったのか、慌てて立ち上がり、土下座せんばかりの勢いで頭を下げる。
「すみません! 超絶に腹が減ってて理性なくしてました!!」
先程窓から乱入してきた野生児を思わせるような雰囲気から一転、彼はどうにか僕らと同じ学校の生徒のように見えた。でも、彼は誰なんだろう?
何でここに乱入してきたのか、改めて理由を尋ねようとした時、彼は頭を下げた状態から一気にまた顔を勢い良く上げ、大きな声で尋ねてきた。
「俺、犬井大晴って言います! あの、この弁当作ったのは、誰っすか?」
「あ、えっと……僕、だけど……」
急に弁当の制作者を尋ねられ、おずおずと右手を上げつつ答えると、犬井くんは僕を見るなり大きく目を見開き、それから手をつかんでぐっと距離を縮めて近づいてくる。鼻先まであと数センチ、というぐらいの至近距離で見つめる犬井くんの顔は、先程の恐ろしい雰囲気など欠片も感じさせないほどきれいに整っていた。
まるで王子様みたいだな……なんて考えていると、犬井くんはこの至近距離で「ああ……やっと、見つけた」なんて言うのだ。
見つけた? 何を? それが僕だって言うの? そう、聞きたいことが溢れそうになるのを押し留めるように、更に彼はこうも言った。まるで、宣言するように。
「この弁当超美味かった! あなたが好きです!」
小さい頃から料理は好きだけれど、そのたびに一部からは女の子ならと嘆かれることもあった。世の中には料理のプロである男性も多いのに、なんで僕だけ。そんなモヤモヤした気持ちを抱えつつ、それでも料理を作ることはやめられなかった。僕は僕のままで料理を作り続けたい、ただそれを美味しいって言って欲しい――そう、思ってきたけれど……
だからって、なんでいまここで告白なんてされなきゃなんだ?
「……は? なんで?」
「俺、美味い料理作れる人探してたんで!」
いや、理由になってないんだが? と、問いただすよりも先に、この突然の告白に背後の女子たちが色めき立った。先ほどまでとは違う悲鳴が上がり、手を取り合うようにしてこちらを何か期待する目で見つめている。
「ガチ告白とか初めて見た!」
「しかも相手犬井くんとかビジュが良すぎる!」
「もしかしてあの、運命ってやつじゃない?」
どうやら彼はビジュが良いことで有名らしい。でもなんだって腹を空かせて突撃してきたんだろうか? って言うか、運命って何のこと?
とにかくいまここにツッコミ役がいない。その上僕はまだ犬井くんに手を握りしめられていて、なんだか振りほどくのも許されないくらいに熱く見つめられている。猫の様な目をしているのに、彼はなんだか大型犬みたいに背後で尻尾を振っているように見えた。
「ネコ先輩って言うんすね。かわいいっすね!」
「きゃー! 口説いてるぅ!」
「あまーい!」
面と向かってかわいいと言われ、手を繋がれ、挙げ句告白までされている僕の気持ちを、君らは考えたことがあるのか? というほどに、外野はますます騒ぎ立て、なんだか突っぱねることさえできなくなってきた。
「ねえ、犬井くんも部員にならない? そしたらネコ先輩とずっと一緒にいられるよ」
どこからかそんなとんでもない提案をされ、犬井くんの顔がぱぁっと輝いていく。待ってくれ、なんか僕が入部する時よりもハードルがかなり低くなってないか?
腑に落ちない気分でいる僕とは対照的に、「ずっと一緒、かぁ……」なんてうっとりした口調で言い、さらにまたこんなことを平然と口にしてくる。
「俺、先輩の専属試食係でいいなら、入部したいっす」
「せ、専属?!」
またもや女子たちを刺激するような犬井くんの言葉で、調理室は黄色い悲鳴が響き渡り、これはもう僕が犬井くんの入部を承諾しないと収拾がつかない感じじゃないか。
(どうしよう……断れる雰囲気じゃない……)
垂れ眼の甘い眼差しを一身に受けながら、僕は苦笑いすらできずに途方に暮れる。僕に残された選択肢は、これしかないのだ。
「……わ、わかった、犬井くんの入部を一応許可します」
「あざっす! やっぱ愛ですね!」
「そ、そうじゃなくて、犬井くんは試食係じゃなくて、仮入部としての入部だから。調理も一応やってもらうからね」
「了解です! ありがとうございます!!」
手を握ったまま放さない犬井くんの圧力に負けそうになりながらも、どうにか平静を装い続けることはできた。
でも、僕の承諾を何と聞き間違えたのか、またしても女子たちからは悲鳴が上がり、「告白OKしてるぅ!」なんて声まで上がる。流石にそれは聞き捨てならなくてにらみ付けてしまったのだけれど。
なんだか妙なことになってしまったな……と、ため息をつきかける僕に、犬井くんはにこりと微笑みかけて囁いた。
「よろしくお願いします、ネコ先輩」
語尾にハートマークがついていそうな甘い声に、ついドキリとしてしまって、しばらくの間僕は自己嫌悪に陥るのだった。



