花の匂い


「スキよ……なおちゃん……なおちゃん、ン……」
 坂名(さかな)(なお)はいつものようにベッドでもつれ合っている。
「気持ち イイの……?」直が顔を上げいたずらに囁く。「うん、うん、もっと愛して!」
 万華鏡のように互いにポーズを替え、夜の海に次々と堕ちてくる星々のような感動がふたりを襲う。
「ああ! 愛してるよ、坂名!!」
 そんな風にいつもいっしょに湖の深い処の石になる。その石は何億年も前からそこに在り、淘汰されながらも輝くものだけを吸収してきた宝石だ。

「コーヒー、淹れるね」恥じらう表情で髪をかき上げつつ、坂名はベビードールにショールを羽織りキッチンへ向かった。
「うん」情熱的に坂名を愛する直は普段もの静かな男だ。たばこのいい匂いがする……坂名は直の副流煙に酔いしれている……
「だ~め! せっかくやめたんでしょタバコ」「キャハ♪」煙にではない、直を味わっているのだ。

 二人は約2年交際している。3カ月後には結婚を控えているのだ。今は互いの家を行ったり来たりしデートを重ねている。坂名はドライブを好むので、直はよく緑の多い森や、キラキラとした海に坂名を連れ出してやる。

(これからず~っとなおちゃんが帰って来てくれるだなんて夢みたい!! あたし一生分のラッキーを使い果たしちゃった感が否めないわ……ってなに言ってんのあたし! ここからがスタートじゃんね~Happyのっ)

 なおちゃんが帰ってゆく時はいつもたまらなく淋しい。ヤダヤダってだだっ子してしまう、
「坂名ぁ……? 猛烈に今の企画立て込んでるからさ、今度のデートの時は泊まれると思うよ」
まっすぐな坂名の黒髪を愛おしそうになでる直。……「はい」坂名はなおちゃんの愛情深さには敵わない。

 編集社で中堅どころの36才の直、働き盛りだ。一方の坂名31才はベテランのラウンジレディとして生計を立てている。実は、直は直の上司と連れ立った先の、坂名の勤めるラウンジ「叶ゑ(かなえ)」で坂名と出逢った。互いに一目惚れだった。
 ちなみにすでに寿退店は決まっている。ママも非常に喜んでくれている。

 初めて直のテーブルに着いた際、坂名はある事が気になった。
「あ……あのぅ、宮野(みやの)さん」宮野は直の苗字だ。
「ン? なんですか実玲(みれい)さん……」実玲は坂名の源氏名だ。
「白い、毛? 動物の毛が付いてらっしゃいます、スーツに」
 実玲こと坂名は、発言した刹那、初めてのお客様に失礼なことを言ってしまった! と思った。
「あっ、申し訳ございません……わたしったら」
「良いんですよ、ネコです!」なんとも親しみやすい笑顔で答えた直。「今朝はやけにくっついてきてアイツ。ふふふ♪くいしんぼうな坊主なんです!」
 坂名は胸を撫で下ろし、
「まあ! わたしも猫大好きです! 実家は猫屋敷でした」とニャンズの話でとっても和む初顔合わせだった。同じテーブルに居る直と親しくしている男性上司である早川(はやかわ)は嬉しそうに言った。「私は犬派だよ! 従順で可愛いからさ。ニャンコってツンとしてるじゃん?」……。
「そっこがいいんですよ――――!」「あっ」坂名と直は顔を見合わせ見つめ合った。同時に同じ言葉を発したのだった。テーブルではラウンジレディの実玲こと坂名、直、そして上司の早川で和気あいあいとした。見つめ合った時ふたりは、彗星のようなインスピレーションが坂名と直のハートをビュン! と駈けた気がした。

 早川はその日を境にラウンジ叶ゑに直を必ず連れてくるようになった。ある()ママに耳打ちする早川。
「ママ、実玲ちゃんって彼氏いるの?」ママは何を突然とキョトンとしつつも早川に合わせ小声で
「……ン~、たぶんいないわよ。聴いた事ないし、女の直感で分かっちゃう」早川は少々興奮気味に「よし! それはよかった。どうだい、ママ? お似合いだと思わない……?」
テーブルで水割りを飲みつつ談笑する坂名と直に視線を向ける早川。
「なるほど!」ママはくすっと笑い、「素敵なカップルになるかもしれないわね」だなんて言った。
 その1か月後には、なんと坂名のほうから直に猛アタックをし、直が同じ想いを胸に抱いて(いだいて)いることが判明。晴れて二人は恋人同士に。

 ふんふんふん~♪鼻歌交じりで直の大好物ハンバーグを山盛りに焼いて行く坂名。今夜はお泊まりしてくれるんだも~ん! 嬉しさが隠せない、思い出し笑いなんかしてみたり。坂名はいま絶好調のシェフだ。
 ジュージューおいしい匂いをキッチンにさせている、と携帯が鳴った。
「ン? なおちゃんかな~、また残業かしら??」
 坂名はサッと手を洗いタオルで拭きスマホを取った。相手は直ではなく早川さん。
「あ、こんばんは~早川さん! いつもなおちゃんがお世話に」さえぎるように早川さんが言った。
「実玲、いや、坂名ちゃん……! 直が死んだ」
「え……な、なに言ってるの? 早川さん、変なこと言わないで! なになんなの?!!」
「坂名ちゃん、落ち着くんだ。お願いだから……落ち着いて、くれ……」電話の向こうの早川は嗚咽し声を絞り出している。
「君の家へ……向かおうとしていたんだろうっ。高速道路での、こ、高速、交通事故に巻き込まれたんだ、ああ! なんてことだ……!!」
 坂名は目の前が真っ白になった。しばらくしぼんやりと……もう、なおちゃんがいない、なおちゃんに逢えないそんなの、そんなの……どうすればいいの! あたし……。

 ……坂名は、直の体が燃えてなくなる最後の最後まで、そばに居た。坂名は項垂れ(うなだれ)、とめどなく涙が溢れてもおとぎの国の悲しい姫のように声が出なかった。


 それから長いような、短いような歳月が過ぎた。1年半。直が居なくなってすぐに坂名はラウンジを辞め少しの間休職した。今は花屋に勤めている。大好きなお花。お花に包まれていると慰められる心地がするのだ。

 坂名は淋しくて、さみしくてたまらない気持ちを何とかしたかった。でもどうしようもない。坂名にとって直は永遠なのだ。永遠であり、現実なのだ。たとえ亡くなったとしても。
 もう誰も愛せない。
 
 フラワーショップの休日にインターネットをなんとなくみていた。
「保護ネコの里親募集!」と書かれている。
 子どものときのように、ネコが居たら幸せかもしれない。今のあたし、安らぐかもしれないな。坂名はすぐに募集サイトに電話をした。
「はい『ワンだふるだニャン』です!」明るく穏やかな声の女性が出た。ネットでみて名前を知ってはいたし気になってはいたけど……こうして直接声に出して聴かされると尚おもしろいな! ちょっぴり坂名は吹き出しそうになってしまった。

 来週のお店が休みの水曜日に、その施設に見学に行く運びとなった。
 それまでの1週間はふさぎ込んでいたこれまでとは少し違った。なんだか嬉しい。温かい心地がする。どんなネコちゃんが居るのかな~。

 そして当日、坂名は猫たちとコミュニケーションしやすいように動きやすい恰好でワンだふるだニャンへ出向いた。
「こんにちは、はじめまして!」笑顔で出迎えてくれたのは先週の電話の主であろう。
「スタッフの真中(まなか)です。ここは、猫だけじゃなく犬もいます。彼らが過ごしやすいように、もちろん住み分けさせ、1匹1匹の個性をだいじにするために、出来る限りの助成金を国から得て、人間のスタッフがたくさんおります。」丁寧な説明を聴いた。
 人見知りが激しかったり、これまで虐められ人に不信感を持ってしまい攻撃的になる子はケージに入っていたりする。
(つらいんだよね、おまえたちだって……)心の中で坂名はつぶやいた。すると
 ケージの中の雑種らしき三毛柄のネコが突然「にゃー! にゃー!」と何かを欲するように鳴き始めた。
「あ、あれはどうしたんでしょうね?」坂名は尋ねた。
 スタッフの真中さんは「どうしたのかしら、おなかはいっぱいのはずですし……具合が悪いのかしら。ケージから出し抱いてみます」ここは専門医も在中している。
「スーちゃん大丈夫? どうしたのかな~」真中さんが一生懸命声を掛ける。あ! 男の子だ! 見えちゃったので。
「真中さん、スーちゃんは三毛猫なのにオスなんですね、珍しいですね!」
 即座に答える真中さん。
「ええそうよ。それにしても、スーちゃんが鳴くなんて……」「え?」坂名はさらに聞き返した。
「スーちゃんは普段鳴かないんです。シャンプーの時に猛烈に嫌がりギャーっていう時ぐらいしか」
 他のスタッフが呼びに行った獣医師が問診を始めた。
 結果、異常なしだ。坂名は静かにその様子を見守っていた。そしてケージに返されそうになったスーちゃんを「抱かせてください」と言った。が、真中さんは「……あの、たぶん無理だと思います。この子はとっても人見知りで心をゆるさないんです。この施設にいる人間で抱けるのは私だけです。スーちゃんはね、雨の日にお寺の前で箱に入れられていました。その頃はまだ子猫で今より小さかったです、あ……スーちゃんはいま1歳ぐらい。人間でいえば17才ぐらいですよ。お寺の前でねスーちゃん、雨に随分と濡れ助かるかどうかわからないような状態を保護されここにやってきました。おそらく棄てられたんでしょうね、棄てられる寸前まで飼い主と暮らしていたはずです。思うに、辛く当たられていたのかもしれません。不自然なケガをしていました。でも、ワンだふるだニャンでどんどん元気に育って行ったのです」
「そうなんですね……」坂名は話を聴き胸が痛くなった。それと共に残念だな……連れて帰りたい、なぜだかスーちゃんに惹かれるのだ。ケージに再び戻されたスーちゃん。
「にゃー! にゃー! にゃー!」またも大声で何かを訴えているかのようだ。
 坂名は自然とケージに近寄り指を入れてしまった。すると、スーちゃんはのどを鳴らし始めた。一同ビックリである。なつかないスーちゃんが初対面の人にゴロゴロ言ってるー! とみんな大騒ぎだ。
 なんだか坂名はそのみんなの感嘆というか、歓びのどよめきをきいていると涙が出てきた。
(なんで泣くんだろ、あたし……) わからないが次には言葉が出ていた。
「この子を連れて帰っても良いですか?」
 真中さんは驚きを隠せないまま、「ええ、もちろん! スーちゃんはあなたを好いているわ……! けど、お迎えの準備はできていますか?」「はい、もちろんです」坂名はニッコリ笑った。
 にゃんこが絶対に家族になる、そんな予感がしていた。先週からすでにキャットフードに美味しい缶詰、ねこ砂やベッドに猫じゃらしなどなど、準備万端だったのだ。
 移動用のケージは施設から譲り受けた。もともとスーちゃんのためにあったものだ。

 スーちゃんが坂名の家に着いた。

 にゃ……? あ、あれ? オレ……想うことと・感じること・考えることが全部「ネコ語」に変換されるぞ??? ハテ……
 スーちゃんは女性の足元で、写真立ての中の幸せそうなカップルに目をやった。

 お!! お・お・オ! オレじゃ――――――ん!
 あ、さ……坂名!!

 な、なにこれ、どしたー……おれ~、落ち着け~オレ―。
 う! お・せ・ん・こ・う! お線香――――――!
 オレ死んじゃったの――――――!?
 で、ネコになったのー!? なにこれ物語り~ッ!??

 そ、物語りですよ! というか事実です。なおちゃん……君はネコに生まれ変わりました。

「にゃぁがごおおごごおおおぉ! にゃおぅうんんん!!」
 坂名はスーちゃんの異変に気付きすぐに優しく抱いた。
「どうしたの?! スーちゃんやっぱりご病気なのかしら? だいじょうぶ?! 動物病院へ行こうかしらね!」
 あらかじめ、病院のことも調べておいた坂名はすぐさま車でスーちゃんを診察してもらいに連れて行こうとした。

 するとスーちゃんはおなかを見せゴロンゴロンと元気な様子で甘え始めた。
「スーちゃん? だっこして欲しかったのかな?」よしよし。頬を摺り寄せおでこをなでなでする坂名。
 あゝ! オレは、オレは、ところで雄なのか? そうあってほしい、そう願いたいものだ。
 毛づくろいを始めるスーちゃん。

 あった! おとこだ。 ……。といったところで、死んじまったんなら、てか猫なら坂名と恋愛しようもないか…… 悲しい。
 でも、オレは坂名を守ってみせるぞ! なにがあったって、今度こそは。

 スーちゃんが、心なしか淋しそうだ……。
「スーちゃん。スーちゃん……おなかが空いてるのかな~」
 嗚呼……坂名って相変わらずだな。どっか天然なんだよ。そうじゃないんだなー。ま、解りっこないよな、この場合は。
 高級な缶詰めに見向きもしないスーちゃんに今度は猫じゃらしであ~そぼ! っと坂名は一生懸命棒の部分を持ち、ふにゃふにゃした部分を床に擦り付けたり振ったりしている。
 お、なんか楽しそうだぞ!! スーちゃんの体になったなおちゃんは、必死になって坂名が放り投げた猫じゃらしを探し、くわえ、また坂名の元まで持って行く。

 それにしてもなんだかな~……猫の好物『さかな』が『最愛の女の名前』だなんて。で、オレ、今は猫。笑えねーよ。

「お仕事にいってくるね、スーちゃん!」……ちょっぴり淋しいスーちゃん猫なおちゃん。
「みゃぅーん」それこそ猫なで声でしっぽをぴんと立て、玄関に立っている坂名の足元にまとわりつく。
「早く帰ってくるよ、スーちゃん」坂名はスーちゃん抱き上げほおずり。
(ぅぅう~たまらん! 坂名! 今すぐベッドで愛し合いたいよぉ)オス猫の切ない嘆きだ。そっと坂名はスーちゃんを玄関マットの上に下ろした。
「いってきまーす」笑顔の残像が猫なおにいつまでも漂う。
(坂名、がんばり屋だから無理してないかな。だいじょうぶかな…… それと、お・と・こ! 新しい彼氏なんかできちゃった日にゃあオラぁは泣くぜ?!! ライオンみたくな!)

 猫なおの一日は、坂名が用意してくれているネコ用ベッドやソファの上でだいたい眠っているが、気が向けば時には部屋の中をうろつき、うっかりものの坂名が美味しいものを仕舞い忘れていないか探してみたり、坂名のベッドへ行き枕の匂いを嗅ぎうっとりする。オレは変態か! と自身にツッコミを入れつつも辞められない癖だ。あとは爪とぎ器で爪を研いだり、う~んと思いきり伸びをしたり、なおちゃんはネコちゃんとしてそれなりに日常を満喫している。なんといったって坂名とずっと一緒だしな。
(ただ……オレ、また坂名を置いて逝ってしまうのか……順番で言えばそうだろ。可哀想だな、オレの坂名。なんとかしてやりたい)

「ただいまー、スーちゃん!」
 坂名が帰ってまっ先にすることは、ドアを開けるや否や玄関に走り寄ってくるスーちゃんを抱きしめて、鼻先にちゅっとキスすることだ。赤面するスーちゃん、でも三毛の毛に覆われているので坂名には見て取れないだろう。
 坂名ぁ、オレこんなに悦んでるぜ! わかってんのー!? 猫なおはのどをゴロゴロと鳴らす。そうして坂名が手洗いうがいをしようと、スーちゃんをおろそうとしても、爪を洋服にひっかけてまでスーちゃんは離れようとしない。
「にゃぁ!」拒否の声だ。
「あらあら、スーちゃん? うちへやって来てからずいぶんおしゃべりになったよねっ。かわいいスーちゃん」ニコニコ顔にほだされて、しかたなく猫なおは爪を引っ込める。スタッ、床に降りる。

 そうやって猫なおにとっては切なくもあるが、坂名とスーちゃんこと直にとって優しい時間が半年経った。

 坂名は「フラワーショップ・マリモ」に慣れてきた。フラワーアレンジメントの勉強も始めた。現在は、お客様へお花の配達へ出向いたり、店内ではレジや、お客様が購入するお花のアドバイスをしたりもする。

「いらっしゃいませ」明るさを最近増してきた坂名の声がマリモに響いた。
「あ、こんにちは」……毎週来られる男性客だ。彼は店長にあれこれ花言葉の意味や、今日のおすすめなどを毎回熱心に聴き、ちょっとした花束を買って帰る。
 店長が男性で話しやすいせいなのだろうか、坂名は彼にお花のことを尋ねられたことがない。
 ところが今日は異例。店長が遅れての出勤ということで、坂名が彼のことも接客することに。
「あのぅ」坂名はつい気になりお客様に向かって話しかけてしまった。
「はい、さかな……さん?」
「え! なんで私の名前をご存じで?」ビックリする坂名に向かって穏やかに微笑む彼。
「僕は橘夏己(たちばななつみ)と言います」彼はサッと名刺を差し出した。
「あ、ありがとうございます」一礼し両手で受け取る坂名。見ると『橘測量株式会社』と書いてある。
「あ、自分で立ち上げた会社で、社員は僕だけで、アルバイトが数名居るだけなんです。こちらのお花屋さんとはここ数年のお付き合いなんです、店長さんが『さかなちゃんが入ってきてくれてからというものお店が華やいだ』って」
「そ、そうなんですか」褒められて喜ぶ坂名。
「それとね」と橘さんはつづけた。
「お店の名前にピッタリの名前の子だと思ったんですって、面接のとき。店長さんは水生動物に目がないから」「あっははは!」二人は声を揃えて笑ってしまった。
 橘さんの笑い声は品があり、それでいて屈託のない性格がにじみ出ているな~と坂名は思った。

「本日はどういったお花をお求めですか?」坂名は笑顔のつづきでお客様に問うた。
 すると橘さんは、少し戸惑うような表情に変わった。がそれはほんの一瞬で再びにこやかに
「今日は彼女の誕生日なんで……お祝いのお花を部屋に飾りたいな。いつもより派手目にね!」
「まあ、おめでとうございます! 素敵な日ですね。では私が見繕ってもよろしいですか?」
「ええ! ぜひとも!」
 橘さんは安心した表情で答えた。
「今の季節は……華やかな芍薬。そしてもちろん! 愛のお花バラも入れましょうね……あとカスミソウ。それと、カンパニュラもチョイスしましょうかね」ゴージャスでボリューミーなブーケが出来上がった。
 橘さんはご満悦の様子。
「すごいな~! あの……色とか、組み合わせ方、僕には考え付かないんですよ。だからいつも店長さんにやって戴いてます」
 そこで、坂名は思い切って尋ねてみた……
「あのぉ……」
「はい」優しい雰囲気の橘さんがどうしたのという顔をしている。
「橘さんって、これまで私にお花のことを訊かれたことがないですね! なんで……かなぁーって。私、頼りないですか?」ちょっぴりうつむきがちに坂名。橘さんは即座に答えた。
「ちがうちがう! ……あのね、あのぉ……言いにくいんだけど、オレ、ぁいや、僕は、坂名さんが魅力的で恥ずかしかったんです!」
(ン……彼女いるのにナニこの人。ちょっぴり肩透かし、え、あたし何考えてんの? あたしには永遠になおちゃんが……)
 坂名の複雑な表情を見て取ってかどうかは判らぬが、橘さんはこうも言った。
「彼女はもうこの世に居ないんです」 ……!
(あ、あたしと、いっしょ……)
「彼女は3年前に大病を患った末亡くなりました。でも、ずっと大切な女性です」
(ええ……解りすぎるぐらいわかるわ)坂名は心の中でつぶやいた。
「あ! ご、御免なさい、なんか辛気臭くなっちゃいましたね。気にしないで」お店は暇だったが、坂名はブーケを作りながら、なおちゃんのことは一切橘さんに告げはしなかった。
「ほら、素敵でしょう!」と終始静かに笑みを絶やさず心を込め、花束を作った。
 坂名は橘さんを同志のように思った。元気であってほしいなと。
 それからも橘さんは、相変わらずマリモにやってくるが以前と違うことが1つある。店長ではなく、坂名に購入するお花のことを尋ねるようになったのだ。店長は変わり者・偏屈なところがあるので、別にそんなことはどこ吹く風だ。

「ただいま~! スーちゃんっ、チュ」猫なおは……なにやら前とは違うキスの感覚を坂名から感じ取っていた。坂名は物思いにふけるような表情をたまにするようになった。
 猫なおはも、もしや! おとこか?! ついに……と号泣したいような疑念に駆られている。
「にゃぁー!」大き目の声でひと鳴きし、坂名のベッドにぴょーん! とジャンプした。そうして坂名の胸の辺りに額をこすりつけた。坂名は甘えん坊スーちゃんを見てニッコリし「どーしたのぉスーちゃん。おいで!」と脇に寝かせた。
(あぁ……いつもの坂名の匂いだ、オレだけの坂名のセクシーな香りだ。離さないぞ! てか、あっそか、離さないで!)猫なおは自分が猫であることをたまに忘れる。

 坂名は、毎週フラワーショップマリモにやってくる橘さんと他愛のない談笑を度々するようになって行った。
「そうですか! 測量も肉体労働なんですね~」だとか……そんな折り、橘さんが可愛らしいメッセージカードをサッと店内で坂名に渡した。店長を気にしつつ少し小さめの声で
「坂名さん、よかったらいつかお茶でも……」
 小さなカードを見ると、丁寧な文字で『橘夏己』そのあとに携帯番号が書かれていた。ふわっと和らぐ心地とドキドキする気持ちで橘さんの目を見た。橘さんは照れ臭そうにオジギソウのように下を向いてしまった。
「ええ、喜んで」坂名は素直に正直に感じたままを答えた。

「スーちゃ~ん……!! あのね、次のお休みはあたし、お出かけしてくる。デートなのよ!」
 !! デ、デデデデ・デート――――――――!? なっぬ~~~~。
 ハー……ついにこの時が来てしまったか、と気が気ではない猫なおだ。
 ぷい! とそっぽを向き、スーちゃんはあっちへ行ってしまった。
「おトイレかな、スーちゃん」ニッコニコのごきげんな坂名。
 気に入らない気に入らない! 気に入らないったら、もーやだよぉ…… 猫なおは孤独感にさいなまれた。こんなにそばに坂名がいるのに。(オレは涙も流せない……猫だからな)
 その夜、猫なおは珍しく自分のベッド、つまり猫用ベッドで眠った。毎晩坂名の番をするかのように、坂名の足元で眠っていたが。

 ふと猫なおは何かを感じ目覚めた。坂名がベッドに居ない。どこ?! オレの坂名。
 みるとリビングに飾ってある、坂名と直が仲睦まじくくっつき写っている写真の前に座り……坂名が微動だにしない。猫なおはこっそりその様子を見ていた。しばらくすると坂名は口をひらいた。
「なおちゃん! ごめんね!」
 猫なおはまじまじと坂名の顔を見つめた。泣いている。なんて悲しそうな顔だろうか。そして坂名はふたりの写真に向かってまた語りかけた。
「なおちゃん、あたしは永遠になおちゃんをだいじに想ってます。それなのに…… それなのに」
 坂名の涙が止まらないのを見ていると、猫なおは苦しい。
「好きな人ができました!」その言葉に引っ張られるかの如く坂名の涙は一気に溢れ出た。
 猫なおは、自分の気持ちをどこに持って行けばいいのかわからなくなった。

 待ちに待ったデート当日。坂名はドレッサーの前で気合いを入れおしゃれしている。橘さんが行きつけのレトロな喫茶店へ連れて行って下さると言っていたわ。じゃあロマンチックなワンピースにしようかな。メイクをするのもランラララ~ン♪

 猫なおはじっと見ている。そして思う。ほんと坂名は坂名だな。半ば呆れるような、ほっとするような……こないだはあんなにシリアスで心配しちまったけど、楽しそうだな。
「スーちゃん、おいで~」……。仕方ないなという感じで猫なおはゆっくり坂名の元へ歩いて行った。なでなでなで、なでなでなで♪ごろニャンごろごろにゃーん! ああ、や~っぱり坂名のナデナデには負けちゃうなー、イイ気持ち!
「スーちゃん、お留守番お願いね。なるべく早く帰ってくるからね。今日は特別に缶詰め2つあけておくね! どちらも高いぶんよっ」
 坂名の声はスキップしてるみたい。

 それからというもの、お休みになると坂名は橘さんとデートをするようになって行った。
 ある休日は坂名が出かける支度をしない。おや? と猫なおは考える。
(今日はデートなしか…… 別れちゃったか? いや、それはないよな、そんな事があったら坂名はわんわん声をあげて泣くさ、オレわかってる。坂名の最愛のなおちゃんだからな! ……今日は坂名が家に居るんだ―やった~!! べったり甘えちゃうぞー)

 ピンポーン。チャイムが鳴った。
「坂名ちゃん、きたよ!」「待ってたわ! なつみ!」
 ……??!  なんだ! こいつめ、こいつが例の坂名の新しい恋人か! 猫なお大興奮。
「フ――――――」うなってやる!
 すると坂名が
「こら! スーちゃん、怖くしないの! このひとはいい人だよっ」坂名のお叱りだ。
「ニャッ」とひと鳴きし姿勢を低くし走り逃げるスーちゃん。こわいこわい! 坂名は怒ったら恐ろしいからな~。もちろん、叩くだの意地悪するだのそういった事はしない。ただ、空気が……すさまじく厳しく恐ろしいのだ。
「とっても綺麗な猫だね! 男の子かい?」「ええそうよ! なんでわかったの」「パッと見て直感だよ」そんな会話が猫なおの背中に聞こえていた。

 新しいカップルは、キッチンでいろんな話をし盛り上がってコーヒーを飲んでいる。猫なおはふてくされつつも、坂名のことが気になるから遠目に耳をそばだてリビングから見ている。
「……そう、彼女さん、幸せだったと思うわよ」「ありがとう、坂名ちゃん……」猫なおの耳がピクン! とする。なんの話だろう? 彼女? 幸せ? ん……。
「亡くなった日、出張だったからすぐ駈けつけてやれなかった」
 察しの良い猫なおは、事態をすぐに飲み込んだ……。こいつも恋人と死に別れているのか......辛いよな。

 そうこうしていると……二人が見つめ合い、なんと! くちづけを始めたではないか! わなわなし、全身の三毛が逆立つ猫なお。けど……惚れてるんだよな……。坂名が、惚れた男なんだ。猫なおは自身に言い聴かせる。
 オレは雄、おっと、男だ! ちんけな嫉妬に負けてたまるか。実際オス猫だし。それがどうした! オス猫なりに坂名を守ってやるよっ。

 夏己と坂名はベッドルームへと移動した。猫なおはついて行った。
「んも~! スーちゃん。恥ずかしいわ!」
 猫に向かって何を言うんだこの女は、と思われそうなものだが、猫なおには理解できる。坂名は可愛い女だ。
 それでも猫なおは坂名を見守ってやる気満々でベッドルームまでついて行った。

「あ、ああぁん……素敵よ、ステキ、夏己ぃもっと抱きしめて」
 ベッド上の二人の息は荒く、坂名のまっ白な素肌がまばゆく煌めいている。
 さすがに目のやり場には困る、猫なお。
「凄く、イイよ……坂名ちゃん、とっても素敵だ……坂名ちゃん! アアッよすぎるよ!!」
 二人は果て、二回戦が始まった。
 ……オレも混ぜてほしい、とちょっぴり思う猫なお。そんなことを想う自分がちょっと可笑しくなった、ギャハハ。

 ……「ううん、夏己、そこじゃないの。もうちょっと上のほうが良いわ。ううん、もっと上のほうなのあたし」それは坂名の下半身に夏己が顔をうずめている時だった。
 チラッと猫なおはベッド上を見た。あ――――そういうことか。坂名はね、そこじゃないんだな~、カンじる場所。花園より生まれたての果実のほうさ。猫なおが代わってやりたいぐらいだが、そうもいかない。
 ようやく、ツボを見つけ坂名は恍惚の表情だ。猫なおは……なぜかハッピーな気分になってきた。
 あれ? オレ、なんで?
 そうか、オレの愛は本物なんだな! そう思うぜ!? 嬉しい。坂名がこうして人生を謳歌していることも、猫なおは心から嬉しいと感じた。

「じゃあ……また来るし、俺の家にも来てね! 坂名ちゃん」「うん、夏己」
 名残惜しそうな熱々カップル。オレが人間だったら口笛吹いてしどろもどろしてるかもなー、このシーン。そんなことを考えたりする猫なお。

「スーちゃん、焼きもちを焼いたのかしら……? あたしはね、夏己とスーちゃん、同じだけ好きなのよ?」ギュ……!
 へにゃ~……坂名はオレに負けないくらい柔らかくてやっぱ魅力的だなー。猫なおの目はハートになっている。
 オレは坂名が好きだ。こんなに好きだ。
 夏己さんが居てくれるなら、オレは安心して虹の橋を渡ることができるな。ま、まだまだ坂名にゴロニャンするけどな~。何年も、何十年もさ!