満里奈の母を説得するのは、思いのほかあっさりと済んだ。
「良子がそばにいてくれるなら心配はいらない」とでも言いたげなその態度に、決意を固めていた二人は思わず顔を見合わせてしまった。
彼女はまるでこれまでの二人を見守ってきたかのように、良子に深い信頼を寄せていた。それはきっと、満里奈が以前のように父親の影に怯えることなく、今は生き生きとしているからに違いなかった。
感謝の言葉こそなかったが、二人を送り出す姿に、その想いははっきりと表れていた。
車いすに座りながら満里奈の手を握り、良子に向けて「この娘を頼みます」と告げた一言には、深い信頼がにじんでいた。
旅立ちの時、満里奈の目には小さな涙が滲んでいた。だが、その奥には確かな決意が宿っていた。
「……お姉ちゃん、行こう!」
こうして二人は旅立ちの第一歩を踏み出す。目指すのは北──まずは隣町の病院、伊藤静香の拠点だ。完成したワクチンを報告し、それを彼女に託すためである。
静香の父は、このパンデミックが始まる前、政府の研究チームでゾンビウイルスの解析に携わっていたという。
いまは消息不明だが、もしどこかで生きているのなら、良子が作ったワクチンを国中に行き渡らせてくれるだろう。
「遂に完成させたのね……貴女なら、きっとやり遂げると思ってた」
久しぶりに再会した静香は、すっかりこの病院のリーダー的な存在になっていた。白衣を纏い、数人の仲間を従えて颯爽と現れたその姿は、堂々として頼もしい。
娘を人質に取られ、恐怖に怯えていた頃の面影は、もはやどこにもなかった。
「ああ……詳細はレシーバーで話した通りだ。お前には、このワクチンを一人でも多くの人に行き渡らせてほしい」
良子は、以前渡した短波無線機で静香と頻繁に連絡を取り合っていた。ワクチン完成の第一報を入れたのも、真っ先に静香のもとだった。
病院という性質上、感染者は必ずここを頼る。だからこそ、ワクチンが完成した今、最初に医療現場へ浸透させることが何よりも重要だった。
「わかった……でも、感染してすぐの人間は助けられても、ゾンビ化した人間はどうするの? あいつら、人を襲ってくるのよ」
「そこが大きな課題なんだ。ゾンビ化した人間に意志はない。ウイルスを拡散させようと、手当たり次第に人を襲う……。今のところ、奴らを一体ずつ拘束し、個別に接種する以外に方法はない」
あまりにも強気に言い切る良子の発言に、静香は思わず息を呑んだ。
「……みんなが貴女のように冷静沈着じゃないのよ! 噛まれてゾンビになったらどうするつもり!?」
その言葉には苛立ちが滲んでいた。良子の落ち着き払った態度は、まるで接種を行う者の危険を完全に無視しているように思えたのだ。
「だが、このワクチンを最初から接種しておけば、噛まれても感染することはない」
表情一つ変えず、誇らしげに言い放つ良子。その態度が、逆に静香の神経を逆撫でしていた。
「だ・か・らぁ~~!」
思わず声を荒げたその瞬間、背後からひょこっと満里奈が顔を出した。訝しげに良子を見上げるその姿に、静香は思わず度肝を抜かれる。
「お姉ちゃん、みんながお姉ちゃんみたいに何でもできるわけじゃないんだから……少し黙りなさい!」
幼い少女が良子を窘める光景に、静香はさらに唖然とした。その年頃は、自分の娘と同じくらいにしか見えない。
しかも、それを言われた良子は分が悪そうにしかめっ面をして、口をつぐんでしまう。──初めて目にした良子の人間らしい一面に、静香は思わずホッと息を漏らした。
「しかしだなぁ……」
困ったように言いかける良子を、満里奈はぴしゃりと遮る。
「黙りなさい! 普通の人はゾンビに襲われたら怖いんだよ!」
小さな少女に叱られ、しょんぼり黙り込む良子。まるで立場が逆転しているような光景に、静香は思わず吹き出した。
「ハハハ……なるほど。もしかして、この子が前に言っていた“大切な子供”ってわけね?」
涙を拭いながら爆笑する静香をよそに、良子は顔色ひとつ変えずポカンとしている。
──いったい何がそんなにおかしいのか。途方に暮れるその様子に、静香の仲間たちまでつられて笑い始めた。
「ああ……そうだ。可愛いだろう?」
落ち着き払った声音で、当たり前のように告げる良子。
その真剣な表情と台詞のギャップに、周囲はさらに大爆笑となった。
感情の無いロボットのように見えていた女に、こんな一面があるとは思いもしなかったのだ。
「ちょっと待って。“お姉ちゃん”って……妹ってこと?」
静香が首をかしげると、良子とは対照的に満里奈はぺこりと丁寧にお辞儀した。
「静香さん、初めまして。満里奈と申します。お姉ちゃんとは血の繋がりはありません。ですが──本当の姉妹以上に、強い絆で結ばれています」
小学校に上がったばかりにしか見えない少女の言葉とは思えなかった。その大人びた口調と落ち着いた態度に、静香も仲間たちも思わずたじろぐ。
年齢不相応な口調は、同年代と話しているのではなく、むしろ対等の“仲間”と向き合っているようにさえ感じられた。
しかし、その空気をぶち壊すように、良子がぶっきらぼうに言った。
「まあ……私が満里奈の命の恩人ってやつだ」
得意げに言い放ったその一言に、その場の全員の心の中で同じ声が響いた。
──どっちがだよ!
どう見ても、保護者的な役割を果たしているのは満里奈の方だ。
しっかり者の妹と、ちょっと間の抜けた姉──まるで良子の方が命を救われてきたかのようにしか見えない。
「……あんたって、こんな人だったっけ?」
静香は呆気に取られた顔で良子を見つめる。だが、当の本人は皮肉すら理解せず、真顔でぶっきらぼうに言った。
「何がだ? 私は目立たないように、いつも大人しくしてるだけだぞ」
その自信満々な言葉に、静香は思わず頭を抱える。
──やっぱりズレてる。
仕方なく話題を逸らそうと、静香は無理に真顔を作った。
「ワクチンの話に戻すけど……ゾンビに接種するなんて、やっぱり無理があると思うわ」
静香の言葉に良子が咄嗟に反論しようとした瞬間、満里奈が静かに口を開いた。
「ゾンビ化した人間は、肉体のリミッターが外れているので、人間の数倍の力を持ちます。凶暴性も増しているため、普通の人は恐怖で近づくこともできないでしょう。
ですが──彼らは音と動き、そして血の匂いに敏感に反応します。つまり、注意を引く方法さえ工夫すれば、拘束すること自体は可能なんです」
落ち着いた声音で説明するその姿は、まるで会議で意見を述べる大人のようだった。
周囲の者たちは、年端もいかない少女から理路整然とした言葉が出ることに思わず目を丸くする。
しかも、その対話術は良子から学んだはずなのに、肝心の良子は相変わらず人の心情を顧みない。
「なるほど……ゾンビの性質を利用して、人を囮に使うわけね」
静香は思わず呟いていた。年端もいかぬ少女がここまで冷静に状況を分析するとは想像もしていなかったのだ。
──どんな経験を積めば、子供がここまで博識になるのだろう?
しかも満里奈の語り口には、知識をひけらかすような気負いがない。淡々と、ただ真実を伝えているだけ。それゆえに言葉は説得力を増し、その場の大人たちすら彼女の話に引き込まれていた。
「囮と言っても、危険を冒す必要はありません」
満里奈は周囲を見渡しながら、穏やかに続ける。
「ここのバリケードの外にいるゾンビたちは、音と動き、そして血の匂いに反応して、中にいる人間を襲おうとしています。けれど、それを破ることはできない。つまり──外から注意を引くだけで十分なんです」
その言葉が終わると、そこにいた大人たちから思わず「ほぉ……」という小さな感嘆が漏れた。満里奈が一呼吸置かずに次を続けるのを見て、良子は得意げに口元を緩めたが、満里奈自身は気に留めない様子で冷静に話を続けた。
「そこで、敷地内に迷路状のバリケードを設け、一体ずつ誘導する形にしてはどうでしょうか。人間のいる方向にしか寄ってこない性質を利用して、群れを分断すれば、個々は脅威になりません。外からわざと音や血の匂いで誘導して、侵入を受ける前に確保する──簡単な仕組みで被害を抑えられます」
「そうかぁ……誘導した所に罠を設置しておけば、人が力尽くで拘束する必要がないのね」
満里奈は軽く頷き、説明を続けた。
「罠は鋭い仕掛けでなくてもいいんです。網やロープを折り重ねた簡易の‘落とし穴’や、バネで閉じる捕獲ネットを使えば十分。要は“動きを止める”こと。音や匂いで寄せて、通路で足を取らせて動けなくするんです。人が力ずくで押さえつけなくても、被害はぐっと減ります」
「なるほど……でも、注射はどうするの? 近づいたら噛まれる危険があるでしょ」
静香の不安に、満里奈は少し微笑んで良子の方を向いた。良子は白衣のポケットから細長い器具を取り出し、淡々と説明した。
「注射は長めのカニューレ(注入管)を使う。捕獲ネットの上からでも血管に刺せる長さがあれば、安全な距離を保てる。それに、麻酔薬を含ませたダート(矢弾)で一時的に動きを鈍らせる手もある。完全に元に戻すには血管内注入が確実だが、捕獲→固定→注入の手順で接触時間を最小化できる」
静香は目を細め、考え込むように唇を噛んだ。
「資材は手に入るかしら。バネや網、麻酔なんて……」
「簡単な網やロープは集められる。麻酔薬も病院の在庫から分けられるはずだし、なければ少量でも効果のある代替薬を薄めて使う手もある。大切なのは手順と連携だ。役割を決め、誰が誘導するか、誰が捕獲するか、誰が注入するかを徹底すれば──被害はかなり抑えられる」
その言葉に、場にいた皆の表情が少しずつ和らいだ。静香は深く息を吐き、決意を固めた顔で頷く。
「よし……やってみましょう。まずは訓練と試作をして、手順を確認しましょう。被害を出さないようにするのが先決よ」
満里奈はくるりと振り向き、小さな声で付け加えた。
「それと、匂い対策も忘れないでください。血の匂いを遮るために布に薬草や消臭剤を浸して持っていけば、誘導の精度が上がります」
良子は満足げに頷き、静香に向けて静かに言った。
「準備が整ったら、すぐに動け。元の日常を取り戻したいなら、やる価値はあるだろう」
そう言って良子は何事も無かったように、クルリと後ろを向いた。
相変わらずの言葉不足だが、彼女が世界を救おうとしてるのは間違いない。感謝はすれど、その言葉に異議を唱える者など誰もいなかった。
「貴女はこれからどうするの?」
去っていく二人を見て、静香が静かに問いかける。
「まずは北へ向かう。一人でも多くの人を救う為に」
そう言って前を向く良子の背中は、何故か寂し気に感じた。その後を追いかけるように、満里奈が後を小走りで続く。
何かを決意した二人の後姿には迷いがない。夕日に沈む太陽を浴びて、消えていくその姿を静香たちはいつまでも見送っていた。
~To be continued~
「良子がそばにいてくれるなら心配はいらない」とでも言いたげなその態度に、決意を固めていた二人は思わず顔を見合わせてしまった。
彼女はまるでこれまでの二人を見守ってきたかのように、良子に深い信頼を寄せていた。それはきっと、満里奈が以前のように父親の影に怯えることなく、今は生き生きとしているからに違いなかった。
感謝の言葉こそなかったが、二人を送り出す姿に、その想いははっきりと表れていた。
車いすに座りながら満里奈の手を握り、良子に向けて「この娘を頼みます」と告げた一言には、深い信頼がにじんでいた。
旅立ちの時、満里奈の目には小さな涙が滲んでいた。だが、その奥には確かな決意が宿っていた。
「……お姉ちゃん、行こう!」
こうして二人は旅立ちの第一歩を踏み出す。目指すのは北──まずは隣町の病院、伊藤静香の拠点だ。完成したワクチンを報告し、それを彼女に託すためである。
静香の父は、このパンデミックが始まる前、政府の研究チームでゾンビウイルスの解析に携わっていたという。
いまは消息不明だが、もしどこかで生きているのなら、良子が作ったワクチンを国中に行き渡らせてくれるだろう。
「遂に完成させたのね……貴女なら、きっとやり遂げると思ってた」
久しぶりに再会した静香は、すっかりこの病院のリーダー的な存在になっていた。白衣を纏い、数人の仲間を従えて颯爽と現れたその姿は、堂々として頼もしい。
娘を人質に取られ、恐怖に怯えていた頃の面影は、もはやどこにもなかった。
「ああ……詳細はレシーバーで話した通りだ。お前には、このワクチンを一人でも多くの人に行き渡らせてほしい」
良子は、以前渡した短波無線機で静香と頻繁に連絡を取り合っていた。ワクチン完成の第一報を入れたのも、真っ先に静香のもとだった。
病院という性質上、感染者は必ずここを頼る。だからこそ、ワクチンが完成した今、最初に医療現場へ浸透させることが何よりも重要だった。
「わかった……でも、感染してすぐの人間は助けられても、ゾンビ化した人間はどうするの? あいつら、人を襲ってくるのよ」
「そこが大きな課題なんだ。ゾンビ化した人間に意志はない。ウイルスを拡散させようと、手当たり次第に人を襲う……。今のところ、奴らを一体ずつ拘束し、個別に接種する以外に方法はない」
あまりにも強気に言い切る良子の発言に、静香は思わず息を呑んだ。
「……みんなが貴女のように冷静沈着じゃないのよ! 噛まれてゾンビになったらどうするつもり!?」
その言葉には苛立ちが滲んでいた。良子の落ち着き払った態度は、まるで接種を行う者の危険を完全に無視しているように思えたのだ。
「だが、このワクチンを最初から接種しておけば、噛まれても感染することはない」
表情一つ変えず、誇らしげに言い放つ良子。その態度が、逆に静香の神経を逆撫でしていた。
「だ・か・らぁ~~!」
思わず声を荒げたその瞬間、背後からひょこっと満里奈が顔を出した。訝しげに良子を見上げるその姿に、静香は思わず度肝を抜かれる。
「お姉ちゃん、みんながお姉ちゃんみたいに何でもできるわけじゃないんだから……少し黙りなさい!」
幼い少女が良子を窘める光景に、静香はさらに唖然とした。その年頃は、自分の娘と同じくらいにしか見えない。
しかも、それを言われた良子は分が悪そうにしかめっ面をして、口をつぐんでしまう。──初めて目にした良子の人間らしい一面に、静香は思わずホッと息を漏らした。
「しかしだなぁ……」
困ったように言いかける良子を、満里奈はぴしゃりと遮る。
「黙りなさい! 普通の人はゾンビに襲われたら怖いんだよ!」
小さな少女に叱られ、しょんぼり黙り込む良子。まるで立場が逆転しているような光景に、静香は思わず吹き出した。
「ハハハ……なるほど。もしかして、この子が前に言っていた“大切な子供”ってわけね?」
涙を拭いながら爆笑する静香をよそに、良子は顔色ひとつ変えずポカンとしている。
──いったい何がそんなにおかしいのか。途方に暮れるその様子に、静香の仲間たちまでつられて笑い始めた。
「ああ……そうだ。可愛いだろう?」
落ち着き払った声音で、当たり前のように告げる良子。
その真剣な表情と台詞のギャップに、周囲はさらに大爆笑となった。
感情の無いロボットのように見えていた女に、こんな一面があるとは思いもしなかったのだ。
「ちょっと待って。“お姉ちゃん”って……妹ってこと?」
静香が首をかしげると、良子とは対照的に満里奈はぺこりと丁寧にお辞儀した。
「静香さん、初めまして。満里奈と申します。お姉ちゃんとは血の繋がりはありません。ですが──本当の姉妹以上に、強い絆で結ばれています」
小学校に上がったばかりにしか見えない少女の言葉とは思えなかった。その大人びた口調と落ち着いた態度に、静香も仲間たちも思わずたじろぐ。
年齢不相応な口調は、同年代と話しているのではなく、むしろ対等の“仲間”と向き合っているようにさえ感じられた。
しかし、その空気をぶち壊すように、良子がぶっきらぼうに言った。
「まあ……私が満里奈の命の恩人ってやつだ」
得意げに言い放ったその一言に、その場の全員の心の中で同じ声が響いた。
──どっちがだよ!
どう見ても、保護者的な役割を果たしているのは満里奈の方だ。
しっかり者の妹と、ちょっと間の抜けた姉──まるで良子の方が命を救われてきたかのようにしか見えない。
「……あんたって、こんな人だったっけ?」
静香は呆気に取られた顔で良子を見つめる。だが、当の本人は皮肉すら理解せず、真顔でぶっきらぼうに言った。
「何がだ? 私は目立たないように、いつも大人しくしてるだけだぞ」
その自信満々な言葉に、静香は思わず頭を抱える。
──やっぱりズレてる。
仕方なく話題を逸らそうと、静香は無理に真顔を作った。
「ワクチンの話に戻すけど……ゾンビに接種するなんて、やっぱり無理があると思うわ」
静香の言葉に良子が咄嗟に反論しようとした瞬間、満里奈が静かに口を開いた。
「ゾンビ化した人間は、肉体のリミッターが外れているので、人間の数倍の力を持ちます。凶暴性も増しているため、普通の人は恐怖で近づくこともできないでしょう。
ですが──彼らは音と動き、そして血の匂いに敏感に反応します。つまり、注意を引く方法さえ工夫すれば、拘束すること自体は可能なんです」
落ち着いた声音で説明するその姿は、まるで会議で意見を述べる大人のようだった。
周囲の者たちは、年端もいかない少女から理路整然とした言葉が出ることに思わず目を丸くする。
しかも、その対話術は良子から学んだはずなのに、肝心の良子は相変わらず人の心情を顧みない。
「なるほど……ゾンビの性質を利用して、人を囮に使うわけね」
静香は思わず呟いていた。年端もいかぬ少女がここまで冷静に状況を分析するとは想像もしていなかったのだ。
──どんな経験を積めば、子供がここまで博識になるのだろう?
しかも満里奈の語り口には、知識をひけらかすような気負いがない。淡々と、ただ真実を伝えているだけ。それゆえに言葉は説得力を増し、その場の大人たちすら彼女の話に引き込まれていた。
「囮と言っても、危険を冒す必要はありません」
満里奈は周囲を見渡しながら、穏やかに続ける。
「ここのバリケードの外にいるゾンビたちは、音と動き、そして血の匂いに反応して、中にいる人間を襲おうとしています。けれど、それを破ることはできない。つまり──外から注意を引くだけで十分なんです」
その言葉が終わると、そこにいた大人たちから思わず「ほぉ……」という小さな感嘆が漏れた。満里奈が一呼吸置かずに次を続けるのを見て、良子は得意げに口元を緩めたが、満里奈自身は気に留めない様子で冷静に話を続けた。
「そこで、敷地内に迷路状のバリケードを設け、一体ずつ誘導する形にしてはどうでしょうか。人間のいる方向にしか寄ってこない性質を利用して、群れを分断すれば、個々は脅威になりません。外からわざと音や血の匂いで誘導して、侵入を受ける前に確保する──簡単な仕組みで被害を抑えられます」
「そうかぁ……誘導した所に罠を設置しておけば、人が力尽くで拘束する必要がないのね」
満里奈は軽く頷き、説明を続けた。
「罠は鋭い仕掛けでなくてもいいんです。網やロープを折り重ねた簡易の‘落とし穴’や、バネで閉じる捕獲ネットを使えば十分。要は“動きを止める”こと。音や匂いで寄せて、通路で足を取らせて動けなくするんです。人が力ずくで押さえつけなくても、被害はぐっと減ります」
「なるほど……でも、注射はどうするの? 近づいたら噛まれる危険があるでしょ」
静香の不安に、満里奈は少し微笑んで良子の方を向いた。良子は白衣のポケットから細長い器具を取り出し、淡々と説明した。
「注射は長めのカニューレ(注入管)を使う。捕獲ネットの上からでも血管に刺せる長さがあれば、安全な距離を保てる。それに、麻酔薬を含ませたダート(矢弾)で一時的に動きを鈍らせる手もある。完全に元に戻すには血管内注入が確実だが、捕獲→固定→注入の手順で接触時間を最小化できる」
静香は目を細め、考え込むように唇を噛んだ。
「資材は手に入るかしら。バネや網、麻酔なんて……」
「簡単な網やロープは集められる。麻酔薬も病院の在庫から分けられるはずだし、なければ少量でも効果のある代替薬を薄めて使う手もある。大切なのは手順と連携だ。役割を決め、誰が誘導するか、誰が捕獲するか、誰が注入するかを徹底すれば──被害はかなり抑えられる」
その言葉に、場にいた皆の表情が少しずつ和らいだ。静香は深く息を吐き、決意を固めた顔で頷く。
「よし……やってみましょう。まずは訓練と試作をして、手順を確認しましょう。被害を出さないようにするのが先決よ」
満里奈はくるりと振り向き、小さな声で付け加えた。
「それと、匂い対策も忘れないでください。血の匂いを遮るために布に薬草や消臭剤を浸して持っていけば、誘導の精度が上がります」
良子は満足げに頷き、静香に向けて静かに言った。
「準備が整ったら、すぐに動け。元の日常を取り戻したいなら、やる価値はあるだろう」
そう言って良子は何事も無かったように、クルリと後ろを向いた。
相変わらずの言葉不足だが、彼女が世界を救おうとしてるのは間違いない。感謝はすれど、その言葉に異議を唱える者など誰もいなかった。
「貴女はこれからどうするの?」
去っていく二人を見て、静香が静かに問いかける。
「まずは北へ向かう。一人でも多くの人を救う為に」
そう言って前を向く良子の背中は、何故か寂し気に感じた。その後を追いかけるように、満里奈が後を小走りで続く。
何かを決意した二人の後姿には迷いがない。夕日に沈む太陽を浴びて、消えていくその姿を静香たちはいつまでも見送っていた。
~To be continued~
