心の中では後悔の嵐が吹き荒れる。大志には申し訳ないが、昨日あんなことがあったのに、誰もいない教室で勉強を教えるなんて無理だ。昨日までは普通にしゃべれていたのに、どう接していいのかわからない。とにかく中間テストが終わるまでは、自力で頑張ってもらうしかない。

 俺は夕食後に自室で数学の問題を解こうとしていた。
(えーっと、y=……)
 二次関数に集中しようとしても、大志の残念そうな顔が頭から離れない。
(散歩をすっぽかされた大型犬みたいだったな)
 つい机の上に置いたスマホに目が行ってしまう。
「そうだ。電源切っちゃえば……」
 スマホに手を伸ばして、「いや、でも」とぶつぶつ独り言を言いつつ、またスマホを伏せる。その繰り返しだ。
(何か連絡しないといけないけど……)
 放課後に会って以来、大志に一度も連絡していない。約束を破ってしまった手前、俺から連絡を取るべきだと思うが、何をどう言えばいいのかわからない。
(中学生かよ。好きな子でもあるまいし、なんで後輩にメールひとつ送れないんだよ)
 俺は無意識に使った『好きな子』という単語に目を見開いた。
(え……? 俺、大志のこと……)
 スマホが振動し、俺は椅子から飛び上がりそうになった。
(まさか、大志からか?)
 恐る恐るスマホに手を伸ばす。予想通り大志からメッセージが届いていた。
『体調大丈夫ですか?』
 俺を気遣う文面に、後ろめたいだけじゃなくて、今すぐ逃げ出したいような、叫び出したいような、訳のわからない激情に駆られる。この気持ちの正体を、俺はまだ知らない。
 逃げ出したくたって、逃げ場なんかどこにもない。そんなことはわかりきってる。大志は部活の後輩で、部活が再開すれば、嫌でも顔を合わせる。
「あああああああっ!」
 俺は大声を上げて髪の毛をかきむしった。
 勢いよく扉が開く音が隣室から聞こえた。ドタドタとした足音に続いて、施錠していないドアが勢いよく開かれた。
「兄ちゃん、うるせえよ! こっちもテスト前なんだよ」
 弟の広(ひろ)毅(き)だ。
「それは悪かったけど、ノックしろって、いつも言ってるだろ」
 広毅は仏頂面のままドアを閉めて隣の部屋に戻っていく。
 弟は中三だが、身長はとっくに抜かれている。野球部でキャプテンを務めていてピリピリしているようだ。