俺は、でかいと言われがちな瞳を見開いて硬直していた。
 ローズ系のいい匂いが鼻腔をくすぐる。頭一個分以上高いはずの、大志(たいし)の切れ長の目と鋭角の眉が驚きに見開かれている。
 大志は、金に近い明るい茶色の髪をヘアワックスでセットしていた。
(大志のヤツ、眉毛まで染めてるんだな。運動部で見場が決まってるヤツ珍しいぞ。って、それはおいといて)
 母親に似た細面の俺の顔も、驚きに満ちていることだろう。
 俺――春田那月(はるたなつき)の目の前に、後輩である青島(あおしま)大志の顔があった。触れそうなほど間近に、いや、本当に触れている。唇! 唇が触れているのだ!
(なんだこれ!? 意外に柔らかくてぷにぷにしてるぞ! じゃなくて……『キス』だ! 俺、大志とキスしてる!)
 顔がカーッと熱くなって、耳から湯気が出そうだ。実際に出ていたかもしれない。心臓がバクバクして、もう訳がわからない。
 俺は大志から顔を背けて、早口でまくし立てた。
「鍵返すの頼んでいいか? 用事思い出した!」
「あ、はい」
 施錠した鍵を大志に渡そうとして、あろうことか掌まで握られてしまう。
 触れた手の、体温。
 不意を衝かれて体を串刺しにされたみたいに、俺はその場を動けなくなった。見詰め合った数秒間が、永遠みたいに長く思えて、なんでか大志の頬や耳まで、赤くなっている気がした。
「じゃ、じゃあ、俺は、これで」
 挙動不審になりながら、俺は大志の返事を待たずに校門に向かって走り出した。
「明日の放課後、教室に行きます!」
(うわあああああっ!)
 大志が後ろから何か言っていたが、俺には返事をする余裕がない。
「うわあああああっ!」
 俺は校門を走り抜け、帰り道を駆け抜けていく。叫びながら全速力で走り続ける俺に、仕事帰りのサラリーマンが驚いた顔をしていたけど、気にしていられない。
 さすがに息が上がってきて、俺は徐々にスピードを落として街灯の下で立ち止まった。膝に手を置いて呼吸を整える。汗がアスファルトに染みをつくった。
(俺、ファーストキスだったんだぞ!)
 走ったところで、頭はパニック状態のままだった。俺は頭を抱えて歩道に座り込んだ。
(なんでだ! どうしてこうなった!?)
 小三から地域のバレーボールクラブに通っていて、中学では強豪と言われるバレーボール部にいた俺に、恋愛経験なんかあるはずがない。高校二年生になった今でも、女の子とデートしたことすらない。
(くっそう……どっかのお笑い芸人みたいに、時間を戻せたらいいのに……)