せっかく早瀬に背中を押してもらったのに、俺というやつはやっぱりへたれだ。
 いや、不可抗力だろう。片思いの相手が目の前でキスなんてしていたら逃げ出すのは当然。いちゃらぶする姿に見慣れてきていたからか、前ほど苦しくはなかったけど、それでも仕方がないことだと思う。
 
 などと自分を慰めつつ言い訳をして、放課後になったので走って早瀬と待ち合わせている場所へと向かった。
 部活をさぼり始めてから、ほぼ毎日と言っていいくらい早瀬と下校している。地元が一緒で方向が同じであるうえに、バイトがあるからだが、三十分も遅くなったせいか早瀬の姿はなかった。
 まあ、そうだよな。
 肩を落としつつ一人で電車に乗り込み、早瀬の自宅──バイト先のコンビニへと向かった。

「お疲れ様です」

 ぎりぎりだったこともあり、直接コンビニのほうへ行って店長に挨拶をした。

「おつかれー……って成海くん、どうしたの?」

 店長とはつまり早瀬のお父さんだ。
 恰幅がよくいつもにこにこしていて、厳しくも優しく、息子の早瀬と同じくらい可愛がってくれている。

「どうしたのって、なんのことですか?」
「いや、今日は休みになったって聞いたけど、出られることになったの?」
「えっ? 休みなんて言いましたっけ?」
(せい)が帰るなり言ってたから……まあ、出られるなら助かるよ。あ、どうぞ。いらっしゃいませ」

 お客さんが来たため、俺は頭を下げつつバックヤードへ入った。

「おつかれ。なんで俺が休むと思ったんだよ」

 早瀬はすでに制服を着ていて、俺の姿を見てびっくりした顔を見せた。本気で休むと思っていたらしい。

「……部活に出ると思ったので」
「え……青柳先輩には話すって言ったじゃん」

 俺もと急いで学校のブレザーを脱ぎながら、そこまで不誠実な人間じゃないというように声を尖らせた。

「ですが、屋上で青柳先輩に何も言わなかったみたいですし、放課後待ってても先輩、来なかったですし」
「ごめんごめん。あのあとちゃんと伝えたんだ」

 LINEで、だけど。送ったあとバイトがない日に顔を出せとの返信が来て、それにはまだ返していない。そんなときに廊下で青柳先輩が仲間と騒いでいるところを見かけたものだから、姿が見えなくなるまで動けず遅れてしまったのだ。
 早瀬が誤解するのはもっともで、これも俺がわるい。

「早瀬にもLINEしておくべきだったな。ごめん」
「……いえ」

 ピッと名札のバーコードをスキャンする音がして、早瀬は先に店のほうへと出ていった。
 早瀬の表情に抑揚がないのはいつものことだが、今の早瀬は悩みごとでもあるような感じがした。最初は俺がバイトを無断欠勤しかけたせいと思ったけど、誤解が解けても表情に変化がなかった。
 暇な時間になったらそれとなく聞いてみよう。いつも俺のことを気にかけてくれている早瀬の力になってやりたい。
 考えながら制服に着替えて、俺もと後を追い、バイトの時間が始まった。

 忙しいのは四時から六時の帰宅ラッシュ時間だ。
 学校の最寄り駅より大きなこの地域は、中小企業のオフィスビルも少なくなく、就業したサラリーマンや塾へ行く前の学生なんかが夕食を求めて店は混雑する。早瀬は寂れているなんて自虐的なことを言っていたけど、一日中多少なり賑わう、なかなかに忙しい店舗なのだ。
 ただラッシュ時間をすぎて客足が止むと、のんびりとした時間は訪れる。

「品出ししてきます」

 店内の客が少なくなったのを見計らったのか、早瀬はバックヤードへと入っていった。
 もうすぐ交代で休憩をとる時間だが、いつもよりも混んだため先に品出しをすることにしたらしい。
 
 ならばと俺はセロテープを持ってリーチインショーケースへ向かうことにした。
 ドリンク類を陳列しているガラス張りの冷蔵スペースは、上にA4サイズの印刷したポップを何枚も張っている。そこのポップが剥がれているのが見えていて、ずっと気になっていたのだ。
 今がチャンスだとして向かうと、男子高校生としては背の低い俺には、背伸びをしてようやく届くという位置だった。
 早瀬に頼めば一発だろう。でも、品出しをしているし、俺一人でできることだからとやっていると、上のほうがなかなか貼れず腕が攣りそうになってしまう。

「転びますよ」

 頭上から声がして、びっくりした俺は後ろへ倒れかかった。早瀬に抱きとめられて、あわやの転倒を逃れたが、これじゃあ昼休みのときと同じだ。
 何度早瀬から助けられるのだろう。俺のほうが先輩なのに、恥ずかしい。

「ごめん」 
「いえ。俺のほうこそ気づかず、すみません」

 早瀬はいとも簡単にすべてを貼り終えて、俺にセロテープを渡してきた。背が高くて羨ましい。俺が寄りかかってもびくともしない体格も。

「おまえに助けてもらってばかりだな。申し訳ない」
「助けたうちに入りませんよ」

 早瀬は助けてくれながらも気遣わせないようなことを言う。イケメン過ぎて、ますます先輩としての立つ瀬がなくなりそうだ。
 
「いきなりだけどさ、今日バイト終わったあと飯でも行かない?」

 ならばと思いつき、少しは先輩風を吹かしたいと誘ってみた。
 奢りつつ早瀬の悩みを聞いてやればこれまでの礼になる。……足りないくらいだろうけど、多少の足しにはなるはずだと思った。
 
「……俺とですか?」
「当たり前だろ。いつもご馳走になってるし、礼じゃないけど……あ、でも夕食は用意されてるのかな?」
「いえ……今日は先輩が休むと思って、つくらなかったみたいで。だから冷食で済まそうと思ってて、親父たちは外食に行ったんです。美紀(みき)の塾に迎え行くついでに」
「じゃ、ちょうどいいじゃん。行こうぜ」
 
 はい、と答えた早瀬は、やはり思い詰めているように見えた。よほどの深刻な悩みを抱えているのかもしれない。
 だとすればタイミング的にもばっちりだったようだ。
 なにを食べに行こうと考えつつ空腹を耐え、退勤まであと一時間というときだった。

「いらっしゃいませ」

 来店を告げる電子メロディとドアの開く音がして、入口を見て俺は固まった。

「がちでバイトしてたんだ?」

 青柳先輩だった。部活帰りなのだろう。通学リュックとは別にスポーツバッグを肩にかけた格好で、レジに立っていた俺を見つけて近づいてきた。

「……本当ですよ」

 嬉しさよりも怯んでしまう。昼に見た光景もさることながら、LINEの返事をしていないことも後ろめたい。
 
「やば。がちの店員じゃん。週何でやってんの?」
「三回です」
「じゃ、部活なんて無理じゃん。本気なのかよ?」
「はい。休部状態ですみません。ちゃんと退部届は出しますから」
「つーか、なんでバイト? いつ始めたわけ?」

 矢継ぎ早に質問され、後ろめたさに拍車がかかる。

「いらっしゃいませ」

 冷や汗をかいていたところ、バックヤードから早瀬が戻ってきた。

「あれ? 早瀬も同じバイトなの?」

 互いに面食らった顔で硬直し、早瀬はちらと俺を見て顔を曇らせた。

「……お疲れ様です」
「おまえらホントに仲良いな。つーか、なんで早瀬はサッカー部入らなかったんだよ。あんな上手いのに」
「バイトしなきゃなんで」
「早瀬も? なんなの? 苦学生?」

 苦笑する青柳先輩に対して、早瀬は冷徹なほどの無表情を返している。いつも一緒にいる俺に対してさえ滅多ににこりとしない早瀬だが、二学年上の先輩だろうとお構いなしのようだ。
 青柳先輩は呑まれたように後退し、助けを求めるかのごとく俺のほうへ近づいてきた。

「バイト何時まで?」
「え? ……あ、九時です」
「そのあとちょっと話できない?」
「話?」
「おまえん家行っていい?」
「あ……」

 どうしよう。
 早瀬と約束したばかりだ。ちらと早瀬を見ると、弁当の棚の陳列を直している。客のいない店内は有線放送が流れているだけなので、早瀬の耳にも先輩の声は聞こえているはずだ。
 即答すべきところで迷ってしまうとは、昼休みと同じ過ちをすることになる。

「……すみません。今日は早瀬と約束があるんで」
「早瀬と? いいじゃん、俺も行っていい?」

 どうしよう。迷いつつも、別に問題ないよな?とも頭に浮かぶ。早瀬を誘ったのは俺だし、二人だなんて言ってないわけだし。

「いいですけど……」
「じゃ、九時になったらまた来るから」

 先輩はほっとした顔で店を出ていった。

「青柳先輩はなんの話があるんですか?」

 いつの間に後ろにいたのか、トゲのある声が聞こえてきて驚いた。振り返ると、機嫌のわるさを隠そうともしない早瀬が俺を見下ろしていた。

「わかんないけど……」
「退部すること、ちゃんと話していないんですか?」
「……言ったんだけど」
「じゃあ、なんでわざわざ誘いに来たんですか?」
「だから知らないって。もしかしたら説得するつもりなのかも」
「説得されるんですか?」

 早瀬が不機嫌である理由は、いつまでも優柔不断な俺のせいらしい。説得されたら気持ちが揺れるのではと見透かしているのだろう。俺にそのつもりはないけど、早瀬のほうが俺より俺のことをわかっている節があるから、いざとなったら揺れるのかも。

「……されないよ。されるつもりもないけど、中学からの仲だし、もし俺がビビってたら援護射撃してくれよ」

 かもなんて、自分のこともわからないからだめなんだ。
 情けない。早瀬に助けてもらってばかりだから逆に頼りがいを見せてやろうとしたのに、これじゃいつもと同じだ。

「本当に辞めるつもりなんですね?」
「辞める。ちゃんと青柳先輩にわかってもらう」

 ぺこぺこ頭をさげながら頼み込むと、早瀬はため息をつきながらも承諾してくれた。
 浅木抜きで青柳先輩と会えるのは久しぶりだ。嬉しいはずなのに憂鬱で、早瀬がいてくれることだけが救いのような気分だった。