愛されるよりも愛したいなんて戯言だ。両思いになりたくないやつはいないし、片思いなんて全然楽しくない。
つらくて苦しい。一方的でも好きなだけで十分とか、見ているだけで満足とか、そばにいられるだけで幸せとかあり得ない……いや、半年前までは幸せだった。
青柳真琴先輩とは、同じ部活で家も近所だった。だから毎日なにかしらにかこつけて一緒に下校できたし、話す機会は多かった。
先輩を意識したのはいつごろか、覚えていないくらいの時期から特別な想いを抱えていた。他の人とは違う憧れめいたものから、俺にだけ特別な笑顔を向けて欲しいという願い、そして終いに恋心であると自覚した。認識したのは先輩が卒業してしまうという中学二年のときだった。
余裕で進学校に行ける成績だった青柳先輩は、通学がたるいという理由から俺でも行ける高校へ進学してくれた。
芽生えた恋心は秘めるべきものだ。わかっていながらも、これまでのように隣で過ごせたらという一心で受験勉強に励み、無事同じ学校への入学を決めた。サッカー部にも当然入部し、先輩は喜んで迎え入れてくれた。中学のときのように再びともに過ごすようになり、幸せいっぱいだった。
そのはずが──
「死にますよ? 成海先輩」
突然頭上から聞こえてきた声が俺を支えてくれて、あわやの転落から免れることができた。
「……ほら。俺がいなかったら死んでます」
階段の最上段へとたどり着いたばかりの俺は、仰け反ったせいで後ろに転げ落ちるところだった。開け放たれていたドアの向こう、屋上での光景にマシンガンを乱射されたかのような苦痛を感じて、バランスを崩したせいだった。
「ありがと……」
感謝の眼差しで振り返ると、早瀬清士郎が呆れた顔を俺に向けていた。いつ見てもはっとするくらいのイケメンで、俺は平凡を絵に描いたような顔なのに、なぜそばにいるのかとたまに不思議な気分になる。
「弁当食う時間がなくなりますよ?」
早瀬は淡々と言うと、俺の横をすたすたと通り抜けて屋上へと向かっていった。
俺もと追いかけ、仲睦まじくも隣り合うカップルのほうを見ないようにしながら後を追った。
「よお、成海」
しかしまるで無駄だったとばかりに呼びかけられ、観念した俺はおそるおそると振り返った。
「……青柳先輩」
見られまいと忍び足で顔を隠しても、バレバレだったらしい。なんとか口角をあげて笑顔をつくり、青柳先輩のほうへと向かった。
──彼女と二人で、仲睦まじく弁当を楽しんでいるところへ。
「お疲れ様です」
「……なんか久しぶりだな」
「そうですかね? 教室が離れてるからでしょうか?」
「嫌味だ、ばか。おまえが部活に来ないせいだろ。なんで来ないんだよ。 まじで辞めるつもり?」
「……いえ、まだ迷っていて……」
「なにが気に入らないんだよ。高校に来て現実知ったとか言ってたけど、おまえみたいなねちっこいディフェンスをできるやつはいないし、そんな理由で諦めるなんてお前らしくない」
「はい。……すみません」
「とりあえずさ、一回部活に顔出せよ」
青柳先輩に誘われては、ぐらりと心が揺れる。
しかし、と青柳先輩にぴったりとくっついてスマホをいじっている浅木柚穂を見ると、気持ちは校舎の一階にまで沈んでしまう。
必死に偏差値をあげてここへ入学し、中学のときみたいに可愛がってもらえていた。そんな楽しくも充実した日々は一年で終わってしまった。
二年になってすぐ、青柳先輩はマネージャーの浅木と付き合い始めたからだ。部活中にいちゃいちゃする二人を見ているのは拷問のようにつらかった。楽しい日々が一転、地獄のようにつらい場となった部活からは足が遠退き、休みがちになった挙げ句にまったく顔を出さなくなっていた。
「……わかりました」
だとしても、断る勇気は今の俺にない。LINEでなら何時間と文章を考えることができても、面と向かっている今はすぐに答えなきゃならず、嫌とは言いづらかった。
青柳先輩を久々に間近で見てときめいてしまった俺は、耳まで熱くしたことを悟られないようすぐに頭を下げ、逃げるように立ち去った。
去った先は早瀬のところだ。早瀬は屋上の柵にもたれて弁当箱を広げ、先に一人でぱくついていた。
「今日のも美味そうだな」
青柳先輩のことを頭から振り払うべく覗き込むと、いやしくも腹がぐうと鳴ってしまった。悲しいかな、高校生男子は恋愛ごとより食欲のほうが重要らしい。
というか、早瀬の弁当は毎日手の凝ったおかずがきれいに並んでいて、見るも食欲がそそられるのだ。俺の昼食はもっぱらおにぎりばかりで、卵焼きやからあげの具は食べごたえがあるものの、弁当という形体になっていることが羨ましく、思わず目が吸い寄せられてしまう。
「どれでもお好きなのをどうぞ」
アスパラガスの肉巻きを見て口内を唾液で満たしていたところ、ずいと弁当箱を持ち上げられ、ごくりと喉が鳴った。
「……いいの?」
「物欲しげなその顔を見てるとつらいんで」
「俺、そんな顔してた?」
「してます。まずは除菌ティッシュを……って、もう手遅れですね」
我慢ができず、すでにつまんで口に入れていた。アスパラガスの甘味と塩気が絶妙で、舌が喜び、口元がにやける。
そんな俺を早瀬はティッシュを片手に呆れた目で見ている。
俺のおにぎりは、朝早くから仕事に行く母が頑張ってつくってくれているものなのだけれど、正直言って早瀬の弁当のほうが美味い。
「あー死ぬほど美味い。ストレスが発散されていく……」
「口に入れたまま喋ると喉に詰まって死にますよ?」
声にも呆れを滲ませながらも、早瀬はペットボトルのお茶を差し出してくれた。
「ありがとう」
「先輩用に買っといたやつなんで、そのまま飲んでください」
「早瀬様……」
「水筒買い替えたほうがいいですよ。午前で飲み干すのわかってるんですから」
早瀬のこの甲斐甲斐しさは、中学のときからだった。
同じサッカー部で、しかも同じポジションだった早瀬は、入部してからなにかと俺に懐いてきて、こんなふうにあれこれと世話を焼いてくれていた。
プレーは俺よりも、というかずば抜けていて、三年が卒業したあと俺を飛び越してレギュラーに抜擢されたのだが、家庭の事情で試合にまでは出られないからとあっさり辞退し、俺にレギュラーの座を譲ってくれた。
早瀬は悔しがるでもなく、むしろ俺の上達を促すかのごとく練習に付き合ってくれて、俺の相手をする以外はマネージャーのような世話係を率先してやる謙虚の塊みたいなやつだ。
その早瀬とは二年の付き合いで別れたのだが、学年トップだったため高校は別々になるだろうと思っていた。そのはずが、なぜか同じ高校へ入学し、サッカー部へも入部してきたため、またつるむようになった。
しかも、俺が顔を出さなくなった時期に早瀬も部活をする余裕がなくなっと言って辞め、部員と顔を合わせづらくなっていた俺は、今や早瀬とばかり過ごすようになっていた。
「もう少し食べてもいいですよ」
おにぎりを完食してしまった俺は、早瀬の食べる姿をまじまじと見てしまっていた。
「いや、わるいし。てか見られてたら嫌だよな。ごめん」
「嫌なんで、謝るより食べてください。多めにつくってるんで」
「つくってる……って、早瀬がつくってんの?」
びっくりして弁当から顔をあげると、はっとした様子で顔を背けられた。本当っぽい。珍しくも頬を染めたりなんてしてるからには隠していたかったようだ。
「……母親は朝勤務なんで、妹の分も必要だし、ついでです」
ぼそぼそと観念して説明する早瀬は哀れなほど恥ずかしげで、珍しい姿を見てしまった俺は、申し訳なくもおかしくなってしまった。
早瀬の自宅はコンビニを経営している。店舗は自宅の一階にあり、早瀬は主に夕方を、お父さんは夜勤を担当しているのは知っていた。お母さんはいつなんだろうと思っていたら、どうやら朝だったらしい。
だから早瀬がつくっているのか。しかも二つ下の妹さんの分まで……偉いなあと感心しながらも、多目にというのだから遠慮なくと、卵焼きを指でつまみ上げた。
「……ていうか、部活に出るみたいなこと言ってましたけど、今日のシフトに穴を開けるつもりですか?」
羞恥を苛立ちで吹き飛ばすとばかりに早瀬から睨みを向けられ、俺は思わず頬の内側を噛んでしまった。
「いってえ……」
「大丈夫ですか?」
「うん、ごめん……今日バイトだったな」
「……いくら寂れたコンビニでも、急に休まれたら困ります」
心配げに慌ててペットボトルの蓋を開けてくれている早瀬だが、言ってることは正しく俺が悪い。
サッカー部に居づらくなり、俺は時間を持て余し始めた。そんなとき、早瀬がバイトなら有意義に時間を潰せますよと提案してくれて、お父さんに掛け合ってくれたのだ。
始めて半年が経ち、バイトなんてしたことはなかった俺でもなんとかやっていけているのは、早瀬が同じ時間にシフトで入ってくれること、オーナーである早瀬のお父さんがいい人だからだ。それにくわえて、早瀬家の夕飯を分けてもらえたり、仕事終わりには早瀬とゲームをしたりもして、まるで家族の一員みたいに迎え入れてくれている。一人っ子の俺にとっては、金を稼ぐこと以上に楽しく過ごせる時間だった。
今日は四時から九時まで早瀬とシフトに入っている。
毎日よくしてくれている早瀬やご両親に迷惑はかけられない。というか、絶対にかけたくない。
「ホントにごめん。今日は顔出せないってちゃんと言ってくる」
「……それは、どちらに?」
「青柳先輩にだよ」
「……もし、部活を辞めるつもりなら、早いところ退部届を出したほうがいいですよ。先延ばしにするのは成海先輩の悪い癖です」
ぐさりとくることを言う。早瀬は遠回しに言うとか遠慮をするとか、そういった配慮はせず、いつもストレートに指摘する。
どれもぐうの音が出ないもので、正論ばかりだ。
普通は面と向かって相手のマイナスな面を指摘するなんてことはしない。嫌がられるし、我慢して付き合ったり、耐えられなければそっと離れればいいと思うところだけど、早瀬はわざと憎まれ役を買ってくれるのだ。
イケメンで優しいのに俺以外とはあまりつるまないのは、こういう面のせいかもしれない。
でも、俺としてはだからこそ早瀬のことが好きだし、こいつといる時間を気に入っていた。
「おまえの言うとおり。ってことで、行ってくる」
早瀬からの喝にもっともだと気合いを入れ、俺は青柳先輩のところへ向かった。が、見えた光景にぎょっとし、途中で屋上の出口へと方向転換をした。
出鼻をくじかれたどころではない。マシンガンの弾が直撃してしまった。浅木とキスをしている瞬間を目撃してしまったのだ。
なにも俺が見ているタイミングでしなくてもいいじゃないか。
俺は声をかけるどころか、半泣きになりながら、その場を逃げ出すしかできなかった。
つらくて苦しい。一方的でも好きなだけで十分とか、見ているだけで満足とか、そばにいられるだけで幸せとかあり得ない……いや、半年前までは幸せだった。
青柳真琴先輩とは、同じ部活で家も近所だった。だから毎日なにかしらにかこつけて一緒に下校できたし、話す機会は多かった。
先輩を意識したのはいつごろか、覚えていないくらいの時期から特別な想いを抱えていた。他の人とは違う憧れめいたものから、俺にだけ特別な笑顔を向けて欲しいという願い、そして終いに恋心であると自覚した。認識したのは先輩が卒業してしまうという中学二年のときだった。
余裕で進学校に行ける成績だった青柳先輩は、通学がたるいという理由から俺でも行ける高校へ進学してくれた。
芽生えた恋心は秘めるべきものだ。わかっていながらも、これまでのように隣で過ごせたらという一心で受験勉強に励み、無事同じ学校への入学を決めた。サッカー部にも当然入部し、先輩は喜んで迎え入れてくれた。中学のときのように再びともに過ごすようになり、幸せいっぱいだった。
そのはずが──
「死にますよ? 成海先輩」
突然頭上から聞こえてきた声が俺を支えてくれて、あわやの転落から免れることができた。
「……ほら。俺がいなかったら死んでます」
階段の最上段へとたどり着いたばかりの俺は、仰け反ったせいで後ろに転げ落ちるところだった。開け放たれていたドアの向こう、屋上での光景にマシンガンを乱射されたかのような苦痛を感じて、バランスを崩したせいだった。
「ありがと……」
感謝の眼差しで振り返ると、早瀬清士郎が呆れた顔を俺に向けていた。いつ見てもはっとするくらいのイケメンで、俺は平凡を絵に描いたような顔なのに、なぜそばにいるのかとたまに不思議な気分になる。
「弁当食う時間がなくなりますよ?」
早瀬は淡々と言うと、俺の横をすたすたと通り抜けて屋上へと向かっていった。
俺もと追いかけ、仲睦まじくも隣り合うカップルのほうを見ないようにしながら後を追った。
「よお、成海」
しかしまるで無駄だったとばかりに呼びかけられ、観念した俺はおそるおそると振り返った。
「……青柳先輩」
見られまいと忍び足で顔を隠しても、バレバレだったらしい。なんとか口角をあげて笑顔をつくり、青柳先輩のほうへと向かった。
──彼女と二人で、仲睦まじく弁当を楽しんでいるところへ。
「お疲れ様です」
「……なんか久しぶりだな」
「そうですかね? 教室が離れてるからでしょうか?」
「嫌味だ、ばか。おまえが部活に来ないせいだろ。なんで来ないんだよ。 まじで辞めるつもり?」
「……いえ、まだ迷っていて……」
「なにが気に入らないんだよ。高校に来て現実知ったとか言ってたけど、おまえみたいなねちっこいディフェンスをできるやつはいないし、そんな理由で諦めるなんてお前らしくない」
「はい。……すみません」
「とりあえずさ、一回部活に顔出せよ」
青柳先輩に誘われては、ぐらりと心が揺れる。
しかし、と青柳先輩にぴったりとくっついてスマホをいじっている浅木柚穂を見ると、気持ちは校舎の一階にまで沈んでしまう。
必死に偏差値をあげてここへ入学し、中学のときみたいに可愛がってもらえていた。そんな楽しくも充実した日々は一年で終わってしまった。
二年になってすぐ、青柳先輩はマネージャーの浅木と付き合い始めたからだ。部活中にいちゃいちゃする二人を見ているのは拷問のようにつらかった。楽しい日々が一転、地獄のようにつらい場となった部活からは足が遠退き、休みがちになった挙げ句にまったく顔を出さなくなっていた。
「……わかりました」
だとしても、断る勇気は今の俺にない。LINEでなら何時間と文章を考えることができても、面と向かっている今はすぐに答えなきゃならず、嫌とは言いづらかった。
青柳先輩を久々に間近で見てときめいてしまった俺は、耳まで熱くしたことを悟られないようすぐに頭を下げ、逃げるように立ち去った。
去った先は早瀬のところだ。早瀬は屋上の柵にもたれて弁当箱を広げ、先に一人でぱくついていた。
「今日のも美味そうだな」
青柳先輩のことを頭から振り払うべく覗き込むと、いやしくも腹がぐうと鳴ってしまった。悲しいかな、高校生男子は恋愛ごとより食欲のほうが重要らしい。
というか、早瀬の弁当は毎日手の凝ったおかずがきれいに並んでいて、見るも食欲がそそられるのだ。俺の昼食はもっぱらおにぎりばかりで、卵焼きやからあげの具は食べごたえがあるものの、弁当という形体になっていることが羨ましく、思わず目が吸い寄せられてしまう。
「どれでもお好きなのをどうぞ」
アスパラガスの肉巻きを見て口内を唾液で満たしていたところ、ずいと弁当箱を持ち上げられ、ごくりと喉が鳴った。
「……いいの?」
「物欲しげなその顔を見てるとつらいんで」
「俺、そんな顔してた?」
「してます。まずは除菌ティッシュを……って、もう手遅れですね」
我慢ができず、すでにつまんで口に入れていた。アスパラガスの甘味と塩気が絶妙で、舌が喜び、口元がにやける。
そんな俺を早瀬はティッシュを片手に呆れた目で見ている。
俺のおにぎりは、朝早くから仕事に行く母が頑張ってつくってくれているものなのだけれど、正直言って早瀬の弁当のほうが美味い。
「あー死ぬほど美味い。ストレスが発散されていく……」
「口に入れたまま喋ると喉に詰まって死にますよ?」
声にも呆れを滲ませながらも、早瀬はペットボトルのお茶を差し出してくれた。
「ありがとう」
「先輩用に買っといたやつなんで、そのまま飲んでください」
「早瀬様……」
「水筒買い替えたほうがいいですよ。午前で飲み干すのわかってるんですから」
早瀬のこの甲斐甲斐しさは、中学のときからだった。
同じサッカー部で、しかも同じポジションだった早瀬は、入部してからなにかと俺に懐いてきて、こんなふうにあれこれと世話を焼いてくれていた。
プレーは俺よりも、というかずば抜けていて、三年が卒業したあと俺を飛び越してレギュラーに抜擢されたのだが、家庭の事情で試合にまでは出られないからとあっさり辞退し、俺にレギュラーの座を譲ってくれた。
早瀬は悔しがるでもなく、むしろ俺の上達を促すかのごとく練習に付き合ってくれて、俺の相手をする以外はマネージャーのような世話係を率先してやる謙虚の塊みたいなやつだ。
その早瀬とは二年の付き合いで別れたのだが、学年トップだったため高校は別々になるだろうと思っていた。そのはずが、なぜか同じ高校へ入学し、サッカー部へも入部してきたため、またつるむようになった。
しかも、俺が顔を出さなくなった時期に早瀬も部活をする余裕がなくなっと言って辞め、部員と顔を合わせづらくなっていた俺は、今や早瀬とばかり過ごすようになっていた。
「もう少し食べてもいいですよ」
おにぎりを完食してしまった俺は、早瀬の食べる姿をまじまじと見てしまっていた。
「いや、わるいし。てか見られてたら嫌だよな。ごめん」
「嫌なんで、謝るより食べてください。多めにつくってるんで」
「つくってる……って、早瀬がつくってんの?」
びっくりして弁当から顔をあげると、はっとした様子で顔を背けられた。本当っぽい。珍しくも頬を染めたりなんてしてるからには隠していたかったようだ。
「……母親は朝勤務なんで、妹の分も必要だし、ついでです」
ぼそぼそと観念して説明する早瀬は哀れなほど恥ずかしげで、珍しい姿を見てしまった俺は、申し訳なくもおかしくなってしまった。
早瀬の自宅はコンビニを経営している。店舗は自宅の一階にあり、早瀬は主に夕方を、お父さんは夜勤を担当しているのは知っていた。お母さんはいつなんだろうと思っていたら、どうやら朝だったらしい。
だから早瀬がつくっているのか。しかも二つ下の妹さんの分まで……偉いなあと感心しながらも、多目にというのだから遠慮なくと、卵焼きを指でつまみ上げた。
「……ていうか、部活に出るみたいなこと言ってましたけど、今日のシフトに穴を開けるつもりですか?」
羞恥を苛立ちで吹き飛ばすとばかりに早瀬から睨みを向けられ、俺は思わず頬の内側を噛んでしまった。
「いってえ……」
「大丈夫ですか?」
「うん、ごめん……今日バイトだったな」
「……いくら寂れたコンビニでも、急に休まれたら困ります」
心配げに慌ててペットボトルの蓋を開けてくれている早瀬だが、言ってることは正しく俺が悪い。
サッカー部に居づらくなり、俺は時間を持て余し始めた。そんなとき、早瀬がバイトなら有意義に時間を潰せますよと提案してくれて、お父さんに掛け合ってくれたのだ。
始めて半年が経ち、バイトなんてしたことはなかった俺でもなんとかやっていけているのは、早瀬が同じ時間にシフトで入ってくれること、オーナーである早瀬のお父さんがいい人だからだ。それにくわえて、早瀬家の夕飯を分けてもらえたり、仕事終わりには早瀬とゲームをしたりもして、まるで家族の一員みたいに迎え入れてくれている。一人っ子の俺にとっては、金を稼ぐこと以上に楽しく過ごせる時間だった。
今日は四時から九時まで早瀬とシフトに入っている。
毎日よくしてくれている早瀬やご両親に迷惑はかけられない。というか、絶対にかけたくない。
「ホントにごめん。今日は顔出せないってちゃんと言ってくる」
「……それは、どちらに?」
「青柳先輩にだよ」
「……もし、部活を辞めるつもりなら、早いところ退部届を出したほうがいいですよ。先延ばしにするのは成海先輩の悪い癖です」
ぐさりとくることを言う。早瀬は遠回しに言うとか遠慮をするとか、そういった配慮はせず、いつもストレートに指摘する。
どれもぐうの音が出ないもので、正論ばかりだ。
普通は面と向かって相手のマイナスな面を指摘するなんてことはしない。嫌がられるし、我慢して付き合ったり、耐えられなければそっと離れればいいと思うところだけど、早瀬はわざと憎まれ役を買ってくれるのだ。
イケメンで優しいのに俺以外とはあまりつるまないのは、こういう面のせいかもしれない。
でも、俺としてはだからこそ早瀬のことが好きだし、こいつといる時間を気に入っていた。
「おまえの言うとおり。ってことで、行ってくる」
早瀬からの喝にもっともだと気合いを入れ、俺は青柳先輩のところへ向かった。が、見えた光景にぎょっとし、途中で屋上の出口へと方向転換をした。
出鼻をくじかれたどころではない。マシンガンの弾が直撃してしまった。浅木とキスをしている瞬間を目撃してしまったのだ。
なにも俺が見ているタイミングでしなくてもいいじゃないか。
俺は声をかけるどころか、半泣きになりながら、その場を逃げ出すしかできなかった。



