次の日のファッションショーは、大成功だったみたい。灰崎先輩はさっそく「イケメン高校生モデル」として注目されて、この一週間、SNSも学校も先輩の話題で持ちきりだ。
「でも楡は寂しいよな。こっち帰ってくるのも、なんだかんだ遅くなってるんだろ?」
「うん。そうなんだよね……」
行き交う人々で賑わう昇降口、廊下の隅の長机の前で、ぼくはがっくりと肩を落とす。
今日は文化祭の当日だ。今は一般公開の時間で、ぼくがいるのは、文芸部が自作の文芸誌を売っているブースの前。
竹下くんと、部長さんだという二年生の女子生徒が売り子をやっていて、机の上には、A5サイズの薄い冊子がでん! と山積みになっている。
「あ、じゃあえっと、一冊ください」
「はいどうもー。千円でーす」
竹下くんに言われた通り、ぼくはお財布から千円札を一枚取り出した。そのまま竹下くんに渡して、代わりに受け取った文芸誌を、自分のスクールバッグにそっとしまう。
「あとは……その、すいません。部長さん」
「はい?」
「ぼく、文芸部に入りたくて」
「えっ! 本当?」
ぼくと竹下くんの話を邪魔しないよう、あえてずっと前を向いていたであろう部長さんが、ぱっと顔を上げて瞳を輝かせる。
ぼくはその反応がちょっと照れくさくて、でも「歓迎するよ」って雰囲気がすごく嬉しくて、小さく笑いながらうなずいた。
「実は昔から、小説は書いてて。ずっと自分のためだけだったんですけど、誰かに読んでもらうために書くのもいいなって最近思い始めて。竹下くんもいますし」
「なるほど。竹下、よくやった!」
「うっす!」
目の前で繰り広げられたやり取りに、ぼくはまた笑ってしまう。竹下くんはよく「女子ばっかり」って嘆いていたけど、なかなか雰囲気のよさそうな部だ。
文芸部に入ってみようと思った理由は、今部長さんに話した通り。
ぼくは、ぼくの言葉で灰崎先輩を勇気づけられたことがすごく嬉しかった。髪を切っても、コンタクトにしても、相変わらず冴えないぼくだけど、小説を通してだったら、誰かの人生をキラキラにすることができるかもしれないって本気で思えたから。
その後部長さんは、にこにこと嬉しそうな表情のまま、文芸部の活動や入部方法について説明してくれた。国語科の先生が顧問で、入部するためには、その先生に入部届をもらいに行って記入すればいいみたい。
「文化祭が終わったら提出します」と約束して、ぼくは文芸部のブースを離れる。
とその時、昇降口の外から「キャーっ!」と尋常じゃない大きさの悲鳴が聞こえて、ぼくも竹下くんも部長さんもびくりと大きく肩を震わせた。
「え、なに……?」
「事件か?」
「でも、そんな物騒な感じではないよね?」
依然きゃあきゃあと続いている声は、どこかはしゃいでいる感じがして、なんていうんだろう……「黄色い悲鳴」って表現が一番しっくりくる。
誰か、有名な人でも来てるのかな?
そんな風に考えて、ぼくはふいに、はっと気づく。
今この学校で、一番話題になっている人――そしてそれは、ぼくが今一番会いたい人だ。
「っ!」
ぼくは居ても立ってもいられなくて、考えるよりも先にリノリウムの床を蹴っていた。そのまま声の聞こえる方に走っていくと、人混みの中から、すらりと背の高い銀髪が覗く。
「ニレ……!」
「灰崎せんぱ……えっ?!」
目と目が合って、見つめ合ったかと思えば、すぐにぐっと腕を掴まれていた。そうしてぼくを引っ張ったまま、先輩はすごい速さで校舎内を走り始める。
昇降口を駆け抜け、一階、二階、三階と階段を上り、たどり着いたのは屋上へと続く扉の前だ。
「はあ……はあ……はあ……。せんぱい、足はやい……」
「ごめん。絶対他の人に追いつかれたくなくて」
肩で息をするぼくの隣で、先輩は涼しい顔で額の汗を拭う。ぼくの心臓は、先輩と再会できた喜びと走った反動でバクバクだ。
何度も深呼吸をして鼓動をなだめながら、ぼくは改めて、まじまじと目の前の先輩を見つめた。さらっとした質感の、綺麗な銀髪。白い肌と、薄灰色の瞳。
本当に、灰崎先輩だ……。
何度も何度も、じわじわとわき上がる嬉しさを噛み締めているうちに、ぼくはあることに気づいて首を傾げた。
先輩、マスクしてない。マスクなしの時に話しかけられるのが苦手だって、前に言っていたはずなのに。
「灰崎先輩」
「ん?」
「その、マスクが……」
ぼくの言葉に、先輩は「ああ」とつぶやいて長い指先を口元にあてた。
「あれがあると、逃げちゃいそうだから」
先輩の言っている意味がよくわからなくて、ぼくは首を傾げる。そんなぼくに「ニレ」と優しく呼びかけて、薄灰色の瞳が真正面からぼくを見据えた。
「ニレは、この前電話した時のこと覚えてる? 『俺から言いたい』って、言ったよね」
「……!」
もちろん、そのことはきちんと覚えていた。だから自然と、先輩が次になにを言おうとしているかがわかってしまって、せっかく落ち着いてきていた鼓動が再びバクバクと騒ぎ出す。
「本当はさ、観覧車乗った時に言おうと思ったんだ。だけどどうしても、マスクが外せなくて。こんな、意気地なしな俺だけど、付き合ってくれる? ――俺、ニレのこと大好きなんだ」
そう言ってぼくを見つめてくる灰崎先輩の顔は、耳の先まで真っ赤に染まっていた。
「……嬉しい、です。すごく。ぼく全然、灰崎先輩の気持ちがわからなくて。正直、この前電話するまではずっと、すごく不安で……」
体中の熱が頬に集まるのを感じながら、ぼくは途切れ途切れに言葉をつむぐ。ようやくはっきりと先輩の気持ちを聞くことができた安堵で、目の奥からはじわりと、しょっぱい雫がわき上がってきた。
「わかりづらくてごめん。ニレがあんまり可愛いから……表情筋引き締めてないと、口元ニヤニヤしっぱなしで絶対引かれると思ったんだ。アピールもさ、余裕あるフリ、すごく頑張った。少しでもかっこいい先輩でいたくて」
「ほんと、不安にさせてごめんね」と、灰崎先輩がもう一度謝ってくれる。そっと伸びてきた白い指先が、そのままぼくの頬に触れて、ぽろぽろと零れた涙を優しく拭い去ってくれる。
「俺は、これからもずっと、ニレの一番そばにいたい。ニレが思わず隠しちゃうような弱いところを、俺だけはちゃんとわかって支えてあげたい――おんなじように、ニレにも俺の一番そばにいてほしい。俺がなにかを諦めたり、弱気になったりしそうな時は、ニレの言葉で励まして支えてほしい」
――だから、ね?
ゆっくりと、灰崎先輩の顔が近づいてくる。こつんと額と額がぶつかって、ぼくはすぐ目の前に迫った薄灰色の瞳を、まばたきすら惜しみながらじっと見返す。
今目の前にあるのは、マスクでもロリータでもない素顔の灰崎先輩だ。誤魔化しも魔法も一切なくて、それでも、灰崎先輩は相変わらず、キラキラキラキラ眩しいくらいに輝いて見えた。
「ぼくも、先輩のことが大好きです。こちらこそ末永くよろしくお願いします……!」
緊張しすぎて声が掠れてしまったけど、ぼくは一生けん命そう答えた。本物の魔法使いじゃなくても、この言葉で未来をつくるんだって決意を込めて。
そんなぼくに、灰崎先輩はふわりと口元を緩めて、とびきりの微笑みを見せてくれる。
柔らかく触れた唇の感触に、ぼくの胸は自然と温かくなる――愛しさがあふれて、ぼくは考えるよりも先に、先輩の体をぎゅっと抱きしめていた。
<『淡白なロリータ先輩はぼくにだけ柔い』 了>
「でも楡は寂しいよな。こっち帰ってくるのも、なんだかんだ遅くなってるんだろ?」
「うん。そうなんだよね……」
行き交う人々で賑わう昇降口、廊下の隅の長机の前で、ぼくはがっくりと肩を落とす。
今日は文化祭の当日だ。今は一般公開の時間で、ぼくがいるのは、文芸部が自作の文芸誌を売っているブースの前。
竹下くんと、部長さんだという二年生の女子生徒が売り子をやっていて、机の上には、A5サイズの薄い冊子がでん! と山積みになっている。
「あ、じゃあえっと、一冊ください」
「はいどうもー。千円でーす」
竹下くんに言われた通り、ぼくはお財布から千円札を一枚取り出した。そのまま竹下くんに渡して、代わりに受け取った文芸誌を、自分のスクールバッグにそっとしまう。
「あとは……その、すいません。部長さん」
「はい?」
「ぼく、文芸部に入りたくて」
「えっ! 本当?」
ぼくと竹下くんの話を邪魔しないよう、あえてずっと前を向いていたであろう部長さんが、ぱっと顔を上げて瞳を輝かせる。
ぼくはその反応がちょっと照れくさくて、でも「歓迎するよ」って雰囲気がすごく嬉しくて、小さく笑いながらうなずいた。
「実は昔から、小説は書いてて。ずっと自分のためだけだったんですけど、誰かに読んでもらうために書くのもいいなって最近思い始めて。竹下くんもいますし」
「なるほど。竹下、よくやった!」
「うっす!」
目の前で繰り広げられたやり取りに、ぼくはまた笑ってしまう。竹下くんはよく「女子ばっかり」って嘆いていたけど、なかなか雰囲気のよさそうな部だ。
文芸部に入ってみようと思った理由は、今部長さんに話した通り。
ぼくは、ぼくの言葉で灰崎先輩を勇気づけられたことがすごく嬉しかった。髪を切っても、コンタクトにしても、相変わらず冴えないぼくだけど、小説を通してだったら、誰かの人生をキラキラにすることができるかもしれないって本気で思えたから。
その後部長さんは、にこにこと嬉しそうな表情のまま、文芸部の活動や入部方法について説明してくれた。国語科の先生が顧問で、入部するためには、その先生に入部届をもらいに行って記入すればいいみたい。
「文化祭が終わったら提出します」と約束して、ぼくは文芸部のブースを離れる。
とその時、昇降口の外から「キャーっ!」と尋常じゃない大きさの悲鳴が聞こえて、ぼくも竹下くんも部長さんもびくりと大きく肩を震わせた。
「え、なに……?」
「事件か?」
「でも、そんな物騒な感じではないよね?」
依然きゃあきゃあと続いている声は、どこかはしゃいでいる感じがして、なんていうんだろう……「黄色い悲鳴」って表現が一番しっくりくる。
誰か、有名な人でも来てるのかな?
そんな風に考えて、ぼくはふいに、はっと気づく。
今この学校で、一番話題になっている人――そしてそれは、ぼくが今一番会いたい人だ。
「っ!」
ぼくは居ても立ってもいられなくて、考えるよりも先にリノリウムの床を蹴っていた。そのまま声の聞こえる方に走っていくと、人混みの中から、すらりと背の高い銀髪が覗く。
「ニレ……!」
「灰崎せんぱ……えっ?!」
目と目が合って、見つめ合ったかと思えば、すぐにぐっと腕を掴まれていた。そうしてぼくを引っ張ったまま、先輩はすごい速さで校舎内を走り始める。
昇降口を駆け抜け、一階、二階、三階と階段を上り、たどり着いたのは屋上へと続く扉の前だ。
「はあ……はあ……はあ……。せんぱい、足はやい……」
「ごめん。絶対他の人に追いつかれたくなくて」
肩で息をするぼくの隣で、先輩は涼しい顔で額の汗を拭う。ぼくの心臓は、先輩と再会できた喜びと走った反動でバクバクだ。
何度も深呼吸をして鼓動をなだめながら、ぼくは改めて、まじまじと目の前の先輩を見つめた。さらっとした質感の、綺麗な銀髪。白い肌と、薄灰色の瞳。
本当に、灰崎先輩だ……。
何度も何度も、じわじわとわき上がる嬉しさを噛み締めているうちに、ぼくはあることに気づいて首を傾げた。
先輩、マスクしてない。マスクなしの時に話しかけられるのが苦手だって、前に言っていたはずなのに。
「灰崎先輩」
「ん?」
「その、マスクが……」
ぼくの言葉に、先輩は「ああ」とつぶやいて長い指先を口元にあてた。
「あれがあると、逃げちゃいそうだから」
先輩の言っている意味がよくわからなくて、ぼくは首を傾げる。そんなぼくに「ニレ」と優しく呼びかけて、薄灰色の瞳が真正面からぼくを見据えた。
「ニレは、この前電話した時のこと覚えてる? 『俺から言いたい』って、言ったよね」
「……!」
もちろん、そのことはきちんと覚えていた。だから自然と、先輩が次になにを言おうとしているかがわかってしまって、せっかく落ち着いてきていた鼓動が再びバクバクと騒ぎ出す。
「本当はさ、観覧車乗った時に言おうと思ったんだ。だけどどうしても、マスクが外せなくて。こんな、意気地なしな俺だけど、付き合ってくれる? ――俺、ニレのこと大好きなんだ」
そう言ってぼくを見つめてくる灰崎先輩の顔は、耳の先まで真っ赤に染まっていた。
「……嬉しい、です。すごく。ぼく全然、灰崎先輩の気持ちがわからなくて。正直、この前電話するまではずっと、すごく不安で……」
体中の熱が頬に集まるのを感じながら、ぼくは途切れ途切れに言葉をつむぐ。ようやくはっきりと先輩の気持ちを聞くことができた安堵で、目の奥からはじわりと、しょっぱい雫がわき上がってきた。
「わかりづらくてごめん。ニレがあんまり可愛いから……表情筋引き締めてないと、口元ニヤニヤしっぱなしで絶対引かれると思ったんだ。アピールもさ、余裕あるフリ、すごく頑張った。少しでもかっこいい先輩でいたくて」
「ほんと、不安にさせてごめんね」と、灰崎先輩がもう一度謝ってくれる。そっと伸びてきた白い指先が、そのままぼくの頬に触れて、ぽろぽろと零れた涙を優しく拭い去ってくれる。
「俺は、これからもずっと、ニレの一番そばにいたい。ニレが思わず隠しちゃうような弱いところを、俺だけはちゃんとわかって支えてあげたい――おんなじように、ニレにも俺の一番そばにいてほしい。俺がなにかを諦めたり、弱気になったりしそうな時は、ニレの言葉で励まして支えてほしい」
――だから、ね?
ゆっくりと、灰崎先輩の顔が近づいてくる。こつんと額と額がぶつかって、ぼくはすぐ目の前に迫った薄灰色の瞳を、まばたきすら惜しみながらじっと見返す。
今目の前にあるのは、マスクでもロリータでもない素顔の灰崎先輩だ。誤魔化しも魔法も一切なくて、それでも、灰崎先輩は相変わらず、キラキラキラキラ眩しいくらいに輝いて見えた。
「ぼくも、先輩のことが大好きです。こちらこそ末永くよろしくお願いします……!」
緊張しすぎて声が掠れてしまったけど、ぼくは一生けん命そう答えた。本物の魔法使いじゃなくても、この言葉で未来をつくるんだって決意を込めて。
そんなぼくに、灰崎先輩はふわりと口元を緩めて、とびきりの微笑みを見せてくれる。
柔らかく触れた唇の感触に、ぼくの胸は自然と温かくなる――愛しさがあふれて、ぼくは考えるよりも先に、先輩の体をぎゅっと抱きしめていた。
<『淡白なロリータ先輩はぼくにだけ柔い』 了>


