淡白なロリータ先輩はぼくにだけ柔い

「灰崎です。……えっと、ニレ、だよね?」

 久しぶりに聞く灰崎先輩の声に、最近ずっと胸の中をぐるぐるしていた不安が一気に解けていく感じがした。相変わらずの、滑らかで綺麗な落ち着いた声。そっけないけど、どこか優しい穏やかな話し方。

 ぎゅうっと、胸が締めつけられる。ぼくはやっぱり、先輩のことが大好きだ。

 諦めるなんて無理だった。消すことなんてできないくらい、ぼくの心は、もう灰崎先輩でいっぱい。

「ニレ、です。その、投稿サイトのコメント、見て。それで。あの写真って……あ、そもそも何の話かわかりますか……?」
「わかるよ。あのコメントつけたの、俺」

 アパートの外階段を下りる途中で、つい足が止まった。今日は寒くて、風も強くて。だけどそんなの、まったく気にならないほどに体が熱い。

「原稿、勝手に読んでごめん。アカウント見つけちゃったのとか、あとコメントも。ニレは嫌かもなって思ったんだけどさ、俺どうしても、あの話の続きが読みたくて」

 ぼくはアパートの前の路地を歩きながら、先輩の声に耳を傾ける。やっぱり、あのコメントをつけたのは灰崎先輩だったんだ……。

「ハッピーエンドにしてくれてよかった。俺もそれがよかったから。あの小説は全然、気持ち悪くなんかないよ。ニレがそうやって、俺との思い出を大切に思ってくれたことが、俺はすごく嬉しかった。そういうの、ちゃんと伝わったよって教えたくて、思わずコメントもつけた」
「……っ」

 先輩の気持ちをちゃんと聞くことができて、安堵の涙がこぼれそうになる。ぼくはそれをなんとかこらえて、でもとにかく、言うなら今しかないって思って口を開く。

「あの、灰崎先輩。ぼく……ぼくは、その、えっと……」
「ニレ、待って。言わないで」
「え?」
「俺から言いたい。ちゃんと直接、素顔の俺で、ニレの顔見て言いたいんだ」

 慌てて遮ってくる先輩の声を聞いて、ぼくは気づく――だから先輩は、電話をしてこなかったんだ。

「ちゃんとこっちに帰ってくるんですか?」って聞いたら、「帰ってくるよ」って答えてもらえた。「おばさんには言ったはずなんだけど」って言われて、ぼくは「あれ?」と首を傾げる。

 おばさん、そんなこと言ってたかな。

 でもぼく、先輩がいなくなっちゃったってだけで、確かにめちゃくちゃパニックになってたからな……。

「えへへ、へへ。あはははは」

 なんだかどっと気が抜けて、思わず笑ってしまう。

「どうしたの?」
「いやなんか、嬉しくて。もしかしたらもう、先輩には会えないんじゃないかって思ってたので……」

 言った瞬間にぽろっと涙がこぼれて、そんな自分に自分で戸惑う。なにか言わなきゃって、そうじゃなきゃ先輩に心配をかけてしまうってわかっているのに、次から次へと涙があふれて止まらない。

「ごめ、ごめんなさ……ちょっとぼく、今おかしい。大丈夫なので。ほんとに。気にしないでください」
「……大丈夫は禁止。俺にちゃんと心配させて――俺が不安にさせたのに、ごめんね。あと少し頑張ったら、絶対に伝えるから」

 明日、俺初めて、ロリータじゃない格好でランウェイに立つんだ。応援してくれる? ニレの言葉で、魔法をかけてくれる?

 先輩の声は、少し震えていた。それに気づいたぼくの頭の中には、小さなスタジオのメイクルームで膝を抱えて、「俺もう、やめた方がいいかも」って悩んでいた先輩の、不安そうな顔が蘇る。

 きっと先輩は、素顔で表舞台に立つ不安を完全に拭えたわけじゃないんだ。多分まだ、自信なんて全然なくて。あのスタジオで悩んでいた時とおんなじくらいに不安で。

 だけどそれでも、自分の夢のために挑戦するって決めたんだ。

「灰崎先輩、頑張れ! どんな時でも、ぼくが一番に応援してます」

 ぼくは全力でそう言いきった。灰崎先輩は、ぼくのことを「言葉の魔法使い」って言ってくれたから。ありきたりなことしか言えないし、言ったことや書いたことを本当にする力もないけど……ぼくの言葉の力を信じてくれる人が、ここにいるから。

「ん。ありがとう」

 はにかみ笑いの先輩の声は、もう震えてはいなかった。ぼくは元気よく「はい!」って答えて、先輩との電話を切った。