淡白なロリータ先輩はぼくにだけ柔い

 目が覚めた時には、あたりはすっかり静まりかえっていた。

 一瞬、自分が今、どこで何をしているのかがわからなくなって、心臓が嫌な感じで大きく脈打つ。ぼくは慌てて周りを見回し、自分の腕の下のパソコンや紙原稿の入ったクリアファイルを見つけてようやく、ああそうだ、今日の朝、どうしても眠くて寝てしまったんだと自分の状況を理解した。

 スマートフォンを見ようと動かした右手がなにかに触れて、カサっと乾いた音が鳴った。驚いて視線をやると、文字の書かれた付箋だった。

【今日は学校休みな。おばさんには言っておいたから。】

 書かれていたのは、細く整った灰崎先輩の字だ。同時に、いつの間にか肩にかかっていた小さなブランケットにも気づいて、ぼくを心配した先輩が気を遣ってくれたんだって察する。

 心配、かけちゃったな。怒られるかな……。

 机の端に置いてあったスマートフォンの画面をつければ、もう十四時半だった。今から行っても授業にはほとんど出れないから、先輩のアドバイス通りに学校は休むことにする。

 ぐっと大きく伸びをすると、肩甲骨のあたりの凝りがほぐれてとても気持ちよかった。久しぶりに頭もすっきりしている。ちゃんと寝るって、やっぱり大事だ。

 小説の推敲作業は、これからはどうしようかな。

 そんなことを考えつつ、とりあえず机の上を片づけることにした。といっても、そんなにごちゃごちゃ物が散らばっているわけではない。置いてある物といえば、寝る時に下敷きにしてしまっていたパソコンと、クリアファイルに入った紙原稿、それとあとは、メガネくらい。

 ぼくはメガネをかけてから、パソコンの上にクリアファイルを重ねた。ひとまとめに持ち上げようとして……あれ? と気づく。クリアファイルから透けて見える紙原稿の一番上が、一ページ目になっている。

 胸に引っかかる、小さな違和感。それはやがて、どんどん、どんどん大きくなって。

 その正体を掴んだ瞬間、ぼくの心臓はまたもや嫌な感じでどきんと跳ねた。喉の奥や胃のあたりまで、握りつぶされているみたいに苦しくなってくる。

 ……ぼくは今朝、紙原稿の訂正箇所をパソコンに打ち込んでいた。そして、あまりの眠気に、その作業を途中でやめて眠ってしまった。

 つまり原稿は、「作業途中のページが一番上」になっていないと辻褄が合わない。

 そこまで考えたところで、ぼくはふいに、意識を完全に手放す前に聞いた「バサバサっ」という音を思い出した。

 あれがもし、この紙原稿が机から落ちた音だとすれば。

 それを拾ってクリアファイルに入れてくれたのは……。

 「ただいま。ニレ、起きてる?」

 突然玄関の方から声が聞こえて、ぼくは大きく肩を跳ねさせた。逃げたり隠れたりする間もなく足音が迫ってきて、ガチャリ。キッチンの扉が開く。

 「ああニレ、よかった。起きたん……」
 「――読みました?」

 知らないフリなんて、そんな器用なことができるわけもなく。

 ぼくは気づけば、すがるような気持ちで先輩の灰色の瞳を見つめていた。

「……読んだって、なにを?」
「ぼくの原稿です。紙に印刷してあったやつ」
「…………」
「最後に見た時と、順番が違ってて。それでもしかして、ぼくが落としたやつを、先輩が拾ってページ順も揃えてくれたのかなって」

 先輩の目は、明らかに泳いでいた。それを見ながら、ぼくは自分が、いったい何をしているんだろうって気持ちになる。

「読んだ」って言ってほしくないのに、「読んだ」としか答えられないように先輩を追いつめている。

 こんなことをしても、自分と先輩を苦しめるだけだってわかっているのに。

「……本当にごめん。ざっとだけど、読んだ」

 観念したように言われて、その言葉を聞いた瞬間、ぼくの頭の中は本当に真っ白になった。一気に首元が熱くなって、それなのに、手や足の先だけは急激に冷えていく。

 自分が原稿に書いたエピソードの数々を思い返して、気が遠くなる。モデルをやっているヒーローに恋をする女の子。勉強を教えてもらって、海に行って、遊園地に行って……駄目だ。こんなの絶対、誤魔化せるわけがない。

「……ぼくの方こそ、ごめんなさい」
「え? あ……。いやその、確かにびっくりしたけど、でも」
「不快でしたよね。こんな、勝手に色々、妄想して、書いて、印刷までして、」
「そんな、不快だとはひと言も、」
「気持ち悪いやつで、本当にごめんなさい……!」
「あ、ちょっと! ニレ、ニレ!」

 あまりにも居たたまれなくて、ぼくは気づけば、思い切り先輩を押しのけ、玄関の方へと駆け出していた。