十月初めの日曜日は気持ちのいい秋晴れだった。午後一時、待ち合わせ場所の改札口で、ぼくは灰崎先輩が現れるのを待ちながら自分の襟足に右手をあてる。
するっと撫で上げると、ふわふわとチクチクの間みたいな不思議な感触が手のひらをくすぐる。初めての刈り上げは本当にくすぐったくて、美容師さんにやってもらっている間中、笑いをこらえるのに必死だった。
手元のスマートフォンからふっと顔を上げると、人混みに紛れて、きょろきょろと辺りを見回す先輩を見つけた。ぼくはその場で一度だけ深呼吸をして、よしっと勇気を出して地面を蹴る。
「先輩! ここです。お疲れ様です」
ぼくの声に反応して、いつもの黒いマスクをつけた先輩がこちらに顔を向ける。白いロングTシャツに少しダボっとしたズボンを合わせて、首元にはちょっと太めのシルバーアクセサリーが光っている。
ちょっとチャラい感じの服装だけど、不思議と下品な印象にはなっていなくて、差し込んだ日差しに銀髪とネックレスがちらちらと反射して眩しい。
「ニレ……? 本当にニレ?」
思わず目を細めるぼくの前で、先輩が訝しげにつぶやく。まあそうなるよね、と納得しつつ、やっぱり少し恥ずかしくて、ぼくは自分の前髪をくしゃりとやりながらうつむいた。
「ニレです。その、ちょっとイメチェンっていうか……」
メガネの位置を直そうとした人さし指がスカッと空を切る。指先のやり場に困って、ぼくはそのまま自分の耳たぶをピンと引っ張って気まずさを誤魔化す。
『イメチェンして告白するんだ!』
先輩に引かれたかもって落ち込んでいたぼくに、竹下くんはそう言った――カッコよくなって、デートに誘って、告白する。大丈夫! その感じなら絶対に付き合える!
妙に自信満々で言われたけど、さすがにそんな、先輩と付き合えるとか信じられなくて、最初は全然乗り気じゃなかった。だけど竹下くんに「楡はこのまま、好きな人に誤解されたままでもいいの?」って言われて、ぼくも色々考えて、結局は竹下くんの言うことに従ってみることにした。
……灰崎先輩の誤解を解きたいっていうのはもちろん、ぼくだって本当はずっと、もっと先輩に見合う自分になりたかったんだ。
今着ているシャツやカーディガン、あと、メガネの代わりにつけているコンタクトは、全部先週の日曜日に竹下くんと買いに行った。「サプライズの方が絶対にいい」って竹下くんが言ったから、今日は午前中に予定があるって嘘をついて早めに家を出てきて、今まで一度も行ったことがないようなオシャレな美容室で髪を切ってもらった。
髪を切ってもらった後、トイレでコンタクトをつけて、カモフラージュで着ていたパーカーを脱いだ自分は、ぼくなのにぼくじゃないみたいだった。事前に竹下くんに指定されていたツーブロックセンターパートは、意外なほどにぼくの輪郭に馴染んでいた。
「やっぱり変、ですよね」
先輩がすっかり黙り込んでしまったので、ぼくの方も段々自信がなくなってくる。自分のつま先を見つめたまま、小さくつぶやいて下唇を噛む。
「変じゃない、けど。そんな服持ってたっけ?」
「これはその、先週竹下くんと買いに行って。あっ、今日はまたべつのテイストの服を一緒に探してほしい感じで」
「目は? コンタクト?」
「そうです」
「それも『竹下くん』と?」
「…………」
ぽんぽんと繰り出される質問からは、底知れない圧が感じられる。なんだか自分がすごく悪いことをしてしまったような気持ちになって、ぼくは内心、すごく慌てていた。
どうして先輩は、こんなに竹下くんのことを気にするんだろう。どうして最近、機嫌が悪いんだろう。
――それって嫉妬じゃない?
竹下くんの言葉を思い出して、耳が熱くなる。先輩がぼくのこと好きかもなんて、全然信じてないのに。
今日だって、竹下くんには悪いけど、告白までするつもりは最初からなかった。イメチェンして、ちょっと背伸びした自分で一日、先輩と楽しく過ごせればそれでよかったはずなのに。
「悪いけど、ショッピングモールはなし」
そう言った先輩が、ぼくの左の手首をぎゅっと掴んでくる。「えっ」と驚いている間にもグイグイ強い力で引っ張られて、先輩がさっき出てきたばかりの改札の方に連れていかれる。
「えっ、ええ? どこ行くんですか?」
「俺の一番好きな場所」
先輩はスピードを落とさずに、前を向いたままそう答えた。
ぼくは理解が追いつかないまま、ただ転ばないためだけに足を動かすことしかできなかった。
するっと撫で上げると、ふわふわとチクチクの間みたいな不思議な感触が手のひらをくすぐる。初めての刈り上げは本当にくすぐったくて、美容師さんにやってもらっている間中、笑いをこらえるのに必死だった。
手元のスマートフォンからふっと顔を上げると、人混みに紛れて、きょろきょろと辺りを見回す先輩を見つけた。ぼくはその場で一度だけ深呼吸をして、よしっと勇気を出して地面を蹴る。
「先輩! ここです。お疲れ様です」
ぼくの声に反応して、いつもの黒いマスクをつけた先輩がこちらに顔を向ける。白いロングTシャツに少しダボっとしたズボンを合わせて、首元にはちょっと太めのシルバーアクセサリーが光っている。
ちょっとチャラい感じの服装だけど、不思議と下品な印象にはなっていなくて、差し込んだ日差しに銀髪とネックレスがちらちらと反射して眩しい。
「ニレ……? 本当にニレ?」
思わず目を細めるぼくの前で、先輩が訝しげにつぶやく。まあそうなるよね、と納得しつつ、やっぱり少し恥ずかしくて、ぼくは自分の前髪をくしゃりとやりながらうつむいた。
「ニレです。その、ちょっとイメチェンっていうか……」
メガネの位置を直そうとした人さし指がスカッと空を切る。指先のやり場に困って、ぼくはそのまま自分の耳たぶをピンと引っ張って気まずさを誤魔化す。
『イメチェンして告白するんだ!』
先輩に引かれたかもって落ち込んでいたぼくに、竹下くんはそう言った――カッコよくなって、デートに誘って、告白する。大丈夫! その感じなら絶対に付き合える!
妙に自信満々で言われたけど、さすがにそんな、先輩と付き合えるとか信じられなくて、最初は全然乗り気じゃなかった。だけど竹下くんに「楡はこのまま、好きな人に誤解されたままでもいいの?」って言われて、ぼくも色々考えて、結局は竹下くんの言うことに従ってみることにした。
……灰崎先輩の誤解を解きたいっていうのはもちろん、ぼくだって本当はずっと、もっと先輩に見合う自分になりたかったんだ。
今着ているシャツやカーディガン、あと、メガネの代わりにつけているコンタクトは、全部先週の日曜日に竹下くんと買いに行った。「サプライズの方が絶対にいい」って竹下くんが言ったから、今日は午前中に予定があるって嘘をついて早めに家を出てきて、今まで一度も行ったことがないようなオシャレな美容室で髪を切ってもらった。
髪を切ってもらった後、トイレでコンタクトをつけて、カモフラージュで着ていたパーカーを脱いだ自分は、ぼくなのにぼくじゃないみたいだった。事前に竹下くんに指定されていたツーブロックセンターパートは、意外なほどにぼくの輪郭に馴染んでいた。
「やっぱり変、ですよね」
先輩がすっかり黙り込んでしまったので、ぼくの方も段々自信がなくなってくる。自分のつま先を見つめたまま、小さくつぶやいて下唇を噛む。
「変じゃない、けど。そんな服持ってたっけ?」
「これはその、先週竹下くんと買いに行って。あっ、今日はまたべつのテイストの服を一緒に探してほしい感じで」
「目は? コンタクト?」
「そうです」
「それも『竹下くん』と?」
「…………」
ぽんぽんと繰り出される質問からは、底知れない圧が感じられる。なんだか自分がすごく悪いことをしてしまったような気持ちになって、ぼくは内心、すごく慌てていた。
どうして先輩は、こんなに竹下くんのことを気にするんだろう。どうして最近、機嫌が悪いんだろう。
――それって嫉妬じゃない?
竹下くんの言葉を思い出して、耳が熱くなる。先輩がぼくのこと好きかもなんて、全然信じてないのに。
今日だって、竹下くんには悪いけど、告白までするつもりは最初からなかった。イメチェンして、ちょっと背伸びした自分で一日、先輩と楽しく過ごせればそれでよかったはずなのに。
「悪いけど、ショッピングモールはなし」
そう言った先輩が、ぼくの左の手首をぎゅっと掴んでくる。「えっ」と驚いている間にもグイグイ強い力で引っ張られて、先輩がさっき出てきたばかりの改札の方に連れていかれる。
「えっ、ええ? どこ行くんですか?」
「俺の一番好きな場所」
先輩はスピードを落とさずに、前を向いたままそう答えた。
ぼくは理解が追いつかないまま、ただ転ばないためだけに足を動かすことしかできなかった。


