「はい。どーぞ」
窓際のテーブルのいつもの席で座って待っていると、おばさんはホカホカ湯気の立ち上る紅茶をぼくの前に置いてくれた。
ありがとう、とお礼を言って、ぼくは温かいティーカップを手のひらで包み込む。真夏だけど、部屋の中はけっこうクーラーが効いているから、ホットで飲むくらいがちょうどいい。
ひと口飲んで、ほっと息をついて、眠れなくてそわそわしていた気持ちが少し落ち着いた。そんなぼくの前、いつもは灰崎先輩が座っている席で、おばさんは真剣な顔でキーボードやマウスを操作している。
「……そのメガネ」
「ん?」
「あ、いや。そのメガネ、おしゃれだなーって思って」
パソコン越しに見るおばさんの目元は、シックな茶色のメガネに覆われている。フレームが鼈甲柄になっていて、おばさんの垢抜けた雰囲気に似合っていると思った。
「ごめん、邪魔して」
おばさんの手を止めてしまったことに気づいて、ぼくは慌てて謝った。でもおばさんは、そんなぼくを優しい目で見つめながら、「なんでよ。嬉しいわよ」と言ってくれる。
「これね、誕生日にまっちゃんがくれたの。すごく気に入ってるから、なぎさに褒めてもらえてすごく嬉しい」
安心させるようにニッコリ笑いかけられて、ぼくの中にはさらに申し訳なさが募る。そんな気持ちは当然、表に出したつもりはなかったんだけど、ぼくの心の中を見透かしたみたいな困り顔で、おばさんは言葉を続けた。
「なぎさ、昔から言ってるけど、そんなに気を遣わないでいいのよ。そりゃ一番は、私が仕事ばっかりなのがいけないってわかってるけどね。でもだからこそ、なぎさが本当に困ってたり悲しんでたりしている時は、ちゃんと言ってほしいの。ちゃんと気づいて、助けたいって思ってるのよ」
そう言って立ち上がったおばさんは、机の向かいからおもむろに腕を伸ばしてきて、ぼくの髪を「おりゃーっ」と思い切りかき混ぜた。
「やめっ、やめて……! 明日の朝寝癖酷くなるからっ」
「それくらい頑張って直しなさい。っていうかもっと小まめに髪を切りに行きなさい。お金は気にしなくていいから」
「ちがっ、そういうんじゃなくて。これは本当に、長い方が落ち着くからで……!」
変な勘違いをしてほしくなくて、つい必死に答えてしまう。おばさんはそんなぼくに向かって、「とにかく、もうちょっと御仁くんを見習いなさい」と顔をしかめる。
「あなた、素材は悪くないはずなんだから、そのモサ髪とメガネがなんとかなればもっとどうにかなるはず! そうだ、これを機にコンタクトにでもする? せっかく夏休みなんだし、服買いに行くなら御仁くんに着いてきてもらえばいいし」
「なんとかとかどうにかとか、ふわっとしてるなあ……だめだよ。受験勉強の邪魔になるから」
「いい息抜きだと思えば大丈夫よ」
「ぼくといたって、先輩は息抜きになんかならないって」
ぼくが答えると、おばさんは大きく目を見開いて驚いた顔をした。その表情の意味がわからず、ぼくは思わず首を傾げておばさんを見返す。
「なぎさ、それ本気で言ってるの?」
「え? そうだけど……」
答えた瞬間、はあーっと大きくため息をつかれてしまって動揺した。なんで? なんでおばさん、そんな呆れた目でぼくを見るの?
「あのねーなぎさ。御仁くん、だいぶあなたに心開いてるわよ。二人で海行ったって知って、まっちゃんすっごい驚いてたんだから。『あの御仁が?! 友だちと二人で海?!?!?!』ってね」
「え」
「今日の午前中だってね、まっちゃんと話す御仁くん見てたら、なぎさの話題ばっかり。あー、二人がこんなに仲良くなってくれてよかった〜って、私もすごい安心してたのに」
「……そうだったんだ」
ぼくは思わず呟いてしまう。
そりゃ、嫌われてはいないだろうな、とは思ってたけど。他の人からもちゃんと「仲がいい」って言ってもらえると、すごくすごく安心する自分がいた。
「あんまり卑屈になっちゃ、御仁くんだって可哀想でしょ。なぎさの悪いところよ」
おばさんはそう言って、やれやれという感じで肩をすくませた。ぼくはおばさんの言葉を何度も何度も心の中で繰り返してから、小さな声で「わかった」よ応える。
「よしじゃあ、さっそく明日服とコンタクト買ってきなさい!」
「それとこれとは別っ!」
思わず大きな声でツッコみを入れてしまい、はっと口元を覆う。
そんなぼくを見たおばさんは、メガネの奥の目を細めながら楽しそうに笑っていた。


