淡白なロリータ先輩はぼくにだけ柔い

「ねえねえ、見て見て。あれってさあ……」
「うわ、ほんとだ。誰待ってるんだろう」

 下駄箱で靴を履き替える時、なんだか外が騒がしいなと思った。もしやと思って慌ててローファーをつっかけて外に出ると、そこにはやっぱり灰崎先輩がいた。

「ニレ」

 ぼくに気づいた灰崎先輩が、いじっていたスマートフォンから顔を上げて呼びかけてくる。ぼくは慌てて駆け寄って、「どうしたんですか」と口を開く。

「今日は、買い物の約束はべつに、してなかったですよね」
「ニレがメッセージ見ないからって、おばさんから連絡がきた。今日の夜は外食だから、ニレも撮影に連れてきてって」
「え」

 ぼくは慌ててスマートフォンの画面を見た。不在着信が二件と、メッセージの通知が一件。ついさっきみたいだけど、幽霊生活の妄想に浸りすぎてて全然気づかなかった。

「すみません」

 ぼくが頭を下げると、灰崎先輩は「ん」とだけ応じてスタスタ歩き出す。灰崎先輩の足は長いから、ぼくは置いていかれないように小走りになってその横に並ぶ。

 ロータリーを歩き、校門を出て、最寄り駅に向かう街中でさえ、灰崎先輩は注目の的だった。ライトグレーのブレザーを着こなす一八〇センチの身長と、春風になびく銀髪。黒いマスクで覆った小さな顔からは、涼し気な灰色の目元が覗く。

 隣に並ぶぼくだって、ついついその横顔を見上げては、うっかり見惚れてため息をついてしまいそうになる。灰崎先輩は本当に綺麗だ。

「なに、ニレ」
「! いえなんでも!」
「……」

 マスクの上からわずかに覗く目元が、納得がいかなそうに細められる。ちょっとの変化だけど、最近のぼくは、クールな灰崎先輩の感情が少しずつわかるようになってきた。

「ニレ」
「え?」
「ニレ。ニレ」
「え……な、なんですか本当に」
「面白いから」
「は?」
「俺がニレって言うと、ニレが赤くなるのが面白い」

 にっと笑った気配だけ残して、先輩は正面に向き直ってしまった。ぼくはぱーっと体が熱くなって、定期券を取り出すふりをしながら慌ててうつむく。

 学校では、ほとんど笑わない灰崎先輩。

 でも一緒に住んでいるお陰もあってか、ぼくと二人でいる時はこうやって、おちゃめな一面を見せてくれることもある。家につけばマスクも取ってくれる。

 なんでだろうって、ぼくは思う。学校でも素顔を見せて、もっと笑えばいいのに。

 ――でもそんなことしたら、灰崎先輩は今よりもっともっと人気者になって、ぼくのことなんて忘れちゃうかな。

 そう考えて急に悲しくなって、ぼくは慌てて首を左右に振った。「ニレ」と呼んでくれた先輩の声を、お守りみたいに頭の中で何度も繰り返す。

 ニレ。ニレ。ニレ。

 先輩の「(にれ)」は、なんか可愛い。ぼくにとっては、漢字じゃなくてカタカナの「ニレ」に感じられる。猫を呼ぶみたいな、むしろ先輩が猫になってじゃれついてくるみたいな、そんな「ニレ」。

 ばくはまだ、先輩にとってはきっと、「ちょっと顔馴染みの野良猫」くらいかな。

 でもいいんだ。名前を覚えてもらえただけで、こんな風にあったかく呼んでもらえるだけで、ぼくは今十分に嬉しいから。