淡白なロリータ先輩はぼくにだけ柔い

 ――今日がカレーパンの日だってわかってたら、早めに買いにきてたのに。

 ぼくはそんなことを考えながら、目の前に広がる光景を呆然と眺めた。

 梅雨まっただ中の今日、外はずいぶんと暗くて、窓にはそこそこに強い雨が叩きつけている。指先がひんやりするような気温だけど、ぼくの目の前で押し合いへし合いしている人たちは皆、カレーパンへの情熱で燃えている。

 ぼくの学校は、毎日お昼休みになると、校舎と校舎の間をつなぐ廊下にパンの移動販売がやってくる。基本的にはいつも同じパン屋さんなんだけど、月に一回カレーパン専門店が来てくれる日があって、それが今日だったらしい。

 どうしようかな。今日は諦めようかな。

 そんな風に悩んでいると、すぐ横から「ニレ」と呼ばれた。

 ひゃっと驚いて振りけば、そこに立っていたのは灰崎先輩だった。

「おっ、お疲れ様です」
「お疲れ。ニレはカレーパン買うの?」

 相変わらず黒いマスクを着けた先輩が、淡々と話しかけてくる。ぼくは首を左右に振って、移動販売のすぐ隣にある自動販売機を指さした。

「あれです。あの自販機にあるキャラメルラテが飲みたいんです。でも人がいるから、どうしようかなって」

 自動販売機の前には既に、カレーパンの待機列がずらりと伸びてしまっている。今なんてちょうど、少し派手目の女子グループが五、六人で盛り上がって大きな声で笑っていて、とてもじゃないけど話しかけられない。

「大丈夫です。今日は諦め――」
「ねえ」

 ぼくが言い切るよりも早く、先輩は女子グループに向かって歩き出していた。

 指先でマスクを下げ、怯える様子もなく淡々と、滑らかで綺麗な声を張る。

「そこ、いい? 買いたいんだけど」

 先輩が自動販売機を指さしながらそう言うと、女子グループとその周りは一瞬、水を打ったように静かになった。皆ぽかんと口を開けて、先輩の顔を見上げている。

 そんな女子たちに、マスクを戻した先輩がもう一度「ねえ」と呼びかけた。するとようやく、女子たちが慌てて避けて、自動販売機の周りに空間ができる。

「おいで、ニレ」

 猫みたいに呼ばれて、ぼくは全身が熱くなるのを感じながら先輩の方へ向かった。ドギマギしながら財布を取り出し、小銭を入れてキャラメルラテを買う。
 
「まって、あれって三年の灰崎先輩じゃん。マスクの下も喋ってるところも初めて見た」
「イケメンすぎてヤバ」
「一緒にいるの三組の『幽霊くん』だよね? ほら、ニ、ニ……ニラ、じゃなくて」
「ニワ?」
「なんか違くない?!」
 
 出てきた飲み物を取るまでの間中、背後からたくさんの視線やこそこそ話の気配を感じて気まずかった。ぼくは手早くキャラメルラテを回収して、傍らの先輩を見上げる。

「ありがとうございます」
「……ん」

 相変わらずそっけない返事だけど、先輩の目元は本当に少しだけ緩んでいる。ぼくじゃなきゃ見逃しちゃうようなその変化に、自動的に「きゅん」と胸が締めつけられて鼓動が速くなる。