ミズキンは褒められても素直に喜べぬ性質であるらしい。
 つい最近のことである。連ドラと並行して手がけた舞台脚本が望外の高評価を得たミズキンは、明らかに戸惑った顔をしておった。酷評にはそれなりの耐性がつきつつあるが、手放しで褒められることにはあまり慣れていないようである。
 身を切るようにして搾り出した労作が十字砲火さながらに酷評される事もあれば、左手で書いたような稚拙で出鱈目な作品が好評を博してしまう事もあるから、世の中は甚だ不思議である。人の世の評ほど当てにならず、定まらぬものもそうあるまいに。
 丹精こめて作りしものが世に評価されぬのも気鬱の元であるが、自らの仕事ぶり以上に過大なる評価をされるのも当惑せし原因となること、吾輩はじめて知った次第である。早々。

 
 吾輩は猫である。
 ……えっ、違う? 
 トラじゃないかって?
 そうなの?
 ああ、あたし虎なの。
 ……ふーん。
 猫、じゃないのかにゃ?
 えっ、語尾もおかしい?
 トラのくせに、にゃ、じゃねえだろ、と。
 猫かぶってんじゃねーよ、と。
 ああ、かぶってるよ。
 でも、トラだし。猫じゃないし。
 トラ……だよね。
 うん、脱いでみないと分かんないね。
 んしょっ、暑いね、こりゃ。
 え、猫を脱ぐなって?
 なんだ。やっぱ、猫じゃん。
 え、舞台が台無し? 
 ちゃんと台詞通りに喋れと?
 あー、はいはい。かしこまり。
 んじゃ、最初からやり直すよん。
 はーい、暗転、暗転。緞帳《どんちょう》下げてねー。

 吾輩は猫である。名前はまだない。
 ……ないの? 
 えっ、マジで?


 軽妙というより、完全に素の霧島ニャー喋りが延々と一時間以上続く文字通りの独り舞台であったという。あんた、どんだけ被り物好きなのよ。もうこれから被り物のオファーしか来なくなるじゃないの、とマイ・ボスがミシマ氏を相手に延々愚痴っておった。杞憂であろう。被り物のオファーが続けばすぐ飽きるであろうよ。何を被ろうとも本質は猫であるからの。
 猫の生態を忠実に活写しただけでなく、全五回の公演の台詞が各回すべて異なっていた点も好評を博した一因であったと聞く。つまりは、舞台脚本を五本分用意するに等しい労力であり、それを事も無げにこなして見せた脚本家の力量はもっと評価されて然るべきである、という激賞が相次いだそうな。
 とかく猫の生態を忠実に舞台の上に再現せしめたというが、そも霧島ニャーとて猫族であるからな。そんなことは余技に過ぎぬであろうよ。なにせ普段通りに振舞っておっただけであろうからの。特段、何の準備も鍛錬も要らぬわ。
 ありのままに。うむ。まさしく、その通りであるな。
 連続ドラマでの酷評一転、絶賛の嵐であったのは素直に喜ぶべきことであろうと思うが、舞台脚本を担当した当のミズキンはひとり浮かぬ顔であった。
「私、なにもしてないんだけどなあ」
 ミズキンは吾輩の頭を撫でながら、細い溜息をついた。
 たしかに、今回ミズキンは何もしてはおらぬ。その点に関しては吾輩とて否定はせぬよ。
 机の片隅に置かれた舞台脚本には一言、「綾さんに全てお任せします」とだけ書かれておった。台詞のいちいちを例のごとく、ああでもない、こうでもないと締切直前まで手直ししつつ呻吟しておったが、最終稿はまさしく知恵を絞りつくした会心の一行と相成ったようである。
 ――綾さんに全てお任せします
 いくらなんでも丸投げにも程があろうとは思うが、裏を返せば、まさしく最大級の信頼であるな。台詞をガチガチに定められると勝手にアドリブを交えたくなる厄介な病気に冒されているらしい霧島ニャーとて、台詞どころか舞台丸ごとを裁量で喋って良いよ、となるは初めての経験であるだろうの。
 まあ、そうなれば、嬉々として喋るであろうことは目に見えているがのう。
 いちいち指示を細々と書かずとも、演者のパフォーマンスを最大級に引き出すことさえできるのであれば、台本など白紙で結構。なんとも清々しい態度であるな、美月よ。
 ――壊れていなければ、修理するな
 壊れていないものまで、ぶっ壊して直したがるハリウッドの重鎮共に見習わせたい態度であるな。
 のう、美月よ。
 そなたがハリウッドの宝になる日も、存外に近いかも知れんな。
 ミシマ氏が没後に文豪の系譜に列せらるるのであれば、美月は脚本家の星であろうかの。
 吾輩、赤い絨毯の上を共に歩いてやっても構わぬぞ。その際は、お昼寝の時間帯は事前に避けておいてもらわぬと困るがな。
 無論、藤岡美月の名と共にハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに刻まれるは映画カメラのシンボルなどではなく、折れ耳の猫のシルエットが象られるであろうの。
 石碑とて吾輩の姿がなくては、寂しくて日々の執筆もままならぬであろう?
 ミズキンは吾輩が側にいてやらぬとポンコツ同然ゆえ。
 にゃー。