吾輩が人語を操りたいのには訳がある。
人探し、いや正確に言えば、猫探しであろうな。名も知れぬ吾輩の天使を探して欲しいのである。まさしく、天使。その一言が相応しい美声を持ったご令嬢でござるよ。
あれは、吾輩がこの城の城主に収まる前の話であってな。
吾輩、ガラス張りの小さなケージの中で飼われておった。少々手狭であったが、餌には事欠かぬし、ハンモックも張られておって、存外に愉快な暮しであったな。じろじろと見知らぬ人間共が鏡越しに好奇の視線を投げかけてくるのだけは、いささか不愉快であったが、そこを差っ引けば全体的には良い思い出であるよ。
なにより、同じケージの中には、美しき声の天使がおった。
丸い顔、シルバーグレーの毛並み、利発そうな顔立ち。
猫種で言えば、アメリカン・ショートヘアーと言うのであろうかの。
吾輩の初めての同居人であり、このケージの中には数ヶ月前から暮らしておるようで、いわば吾輩のお姉さん的な存在であった。
姉にしては、少々蓮っ葉な性格であったがの。
「あら、あなた耳が垂れてるのね」
天使の第一声はそれであった。
「スコティッシュフォールド。吾輩、英国生まれの英国紳士である。折れ耳は由緒正しき英国紳士の証である」
少し気取って、そう自己紹介したかの。そなたは笑いおったな。
「あなた、面白いわね」
良い笑顔であったな。あれなるを一目惚れとでもいうのであるか。書物の中でしか知らぬが、きっとそうだったのであろう。毎夜、そなたのことを思い出して、その身を案じておるが、今もあの檻の中で暮らしておるのだろうか。
加えて、聞き惚れるような良い声であった。
「名はなんと申す?」
天使は吾輩の折れ耳をさも興味深そうに触っておったわ。
気安く触るな、などと無粋なことは言わぬよ。吾輩は紳士であるからの。
「なーに、その喋り方。可笑しい」
くすくすと笑い転げておる。失敬な。
「英国紳士であるからの。言葉遣いには気を付けておる」
「そういうの、大名喋りって言うのよ」
そなた、今何と申した? はて、大名とな。
重ねて言うが、吾輩英国紳士である。大名ではござらん。
「吾輩より、拙者の方が雰囲気でるんじゃない?」
訳の分からぬことを言ってひとしきり笑った後、そなたはこう答えたの。
「名前はまだないわ。それは飼い主が決めるものよ」
「……飼い主? それは何ぞ」
そなたは少し伏し目がちになりおったな。あらっ、この子なにも知らされてないのね。可哀そうに。そういうような憐憫が見え隠れしておったぞ。
「ほらっ、鏡の向こうに人間たちがいるでしょう」
そなたは鏡越しに覗きこんでくる人間たちを指差したな。吾輩の目には、どれもバカでかい猫にしか見えぬが。そうか、そなたはあれなるを人間と呼称するのであるか。
たしかに、バカでかい猫と呼ぶよりも、人間と呼んだ方が字数的にもすっきりするの。
これは良い言葉を習った。吾輩も以後はそのように呼ぶこととしよう。
「あの人間たちの誰かに気に入られたら、この狭い部屋からもっと広い部屋に移れるのよ」
「ふむ、左様なる仕組みでござったか」
だが、人間なるものに気に入られようと、御自ら愛想笑いなど英国紳士の流儀に悖る。
「しかして、吾輩ここの暮らしに存外不自由を感じておらぬのだが」
吾輩の発言が何かの地雷に触れたのか、ぎろりと睨まれてしもうた。
「甘い! そんなんじゃ駄目よ、もっとニャーニャー媚びを売ってなんぼよ。ひとまず、この狭い檻から脱出しなければならないの!」
「何ゆえに?」
何を当然のことを聞くのか、このお子様は。
思い返せば、そういうような顔をしておったな。あの日のそなたは。
「あなた、英国紳士なのよね?」
「いかにも」
やっと認めおったな。少々理解は遅くはあるが、まあ許そうぞ。
「英国紳士なら、お城に住んでるものじゃないの?」
たしかに、その通りであるな。瞬時に返す言葉が見つからず、吾輩沈黙するのみ。
「あなたにとって、ここはお城かしら?」
「……否」
考えたこともなかった。だが、ここが城でないことぐらいは分かる。
「あなたは、お城に住むべき猫でしょう?」
「いかにも」
英国紳士は城に住むものである。風格ある古城であれば尚の事よし。
「じゃあ、こんなところで燻ぶっていて平気なの?」
「……否」
良いか悪いかの二者択一であれば、良いわけがなかろう。
「じゃあ、人間に愛想のひとつぐらい言ったっていいんじゃないの?」
「善処する」
大いに不本意であるが、にゃあぐらいなら構わぬ。無論、にゃーまでは言わぬがな。
「案外、すれてなくていい子ね。喋り方は変だけど」
一言、余計である。にゃあ。
「ひとつ、聞いてもよいか?」
吾輩が問い返すと、利発そうな顔が一瞬崩れおったの。
「どうぞ」
「なにゆえに、そなたは檻の外なる世界を希求するのであるか?」
たしかに此処は城ではないが、贅沢を申さねば、そこまでの不自由はあるまい。
「檻の中では、一緒に暮らす猫を選べないから」
よく分からぬ理屈であるな。一体、どういうことであろうか。
「言っていることが、よく分からぬが」
そなたのしかめっ面は、妙なる愛嬌があって吾輩嫌いではないぞ。
吾輩のマイ・ボスもな、機嫌が悪いと時折そういう顔をするのであるな。だが、知っておるぞ。そんな顔をして、意外と乙女なところもあるのであるな。
「あなたが来る前はペルシャ猫と一緒だったんだけど、あれは駄目ね。純血種だかなんだか知らないけど、プライド高過ぎよ」
吾輩の相槌すら待たず、ひたすらに毒づいておる。さながら速射砲である。よほど腹に据えかねていた案件だったのであろうか。
アメリカン・ショートヘアーと見受けたが、実は生まれは大阪あたりではあるまいか。
「定期的にシャンプーもカットもしないと美しい毛並みが保てないとか言っちゃってさ。人間をかしずかせて当然って思ってるのよ。私なんて隅っこで毛繕いしてるだけなのにさ」
……だんだん地が出てきおったようであるな。
途切れもせずぶつぶつと文句を並べておられる。いつ途切れるのであろうか。
「それで、綺麗になったらなったで、その仕上がりを私に見せびらかすのよ? どうなの、それ。猫としてどうなの? ふふん、あなたみたいな下賤のニャー畜生とは生まれからして格が違うのですよ、おほほほほ……だって!」
ハンモックの白いタオルを前足でがりがりと引っ掻いておる。ああ、吾輩の寝床が。
「それは、災難でござったな」
吾輩も二次災害に遭っておるが。
「分かる? 分かるでしょ! いや、あなたは良い子ねえ。喋り方は変だけど」
だ、か、ら。一言、余計である。にゃあ。
「そなたは、黙っておれば美しい容姿をしておる。声も良い。性格もまあ、悪くはなかろう。少なくともペルシャ族ほどに破綻はしておらぬ」
「それ、褒めてるの? 貶してるの?」
なぜじとりと睨みつけられるのか分からぬが、まあ、褒められて気恥ずかしかったのあろうな。よいよい、照れなくてもよいぞ。どんなに強がっておっても、乙女とはそういうものであるらしいからの。
年上とて、女性を姫様扱いするのは英国紳士の嗜みであるゆえ。
「無論、褒めておるが?」
「あっ、そう」
なんであるか、その溜め息は。
「にしても、なぜそなたは人間に気に入られぬのであるか?」
そう、傲慢な性格破綻猫のペルシャ族に比ぶれば、よほど魅力的である気もするが。
餌の好き嫌いも少なそうであるようだし。
「……それは、そうなんだけど」
なんだか訳ありであるな。良かろう、これも何かの縁である。
「吾輩であれば、聞くが」
そなたは、あたりの様子を窺ったな。
言うべきか、言わざるべきか。吾輩は信用に足る猫か。逡巡していたのであろうな。
「私はね、サイレント・ニャーなの」
なるほど、そうであったか。美声の秘密はそれであったか。
「素晴らしきことではないか」
「いいえ。だから、ずっと檻の中で暮らしてるの」
泣き笑いのような顔は、吾輩見ておるだけでも辛かった。
世を儚む猫など、あまりに猫らしくない。
「鳴かない猫なんて、可愛くないものね」
――サイレント・ニャー。
即ち、人間には聞きとれない高音の泣き声である。
吾輩たち猫族の耳は、古来よりネズミの泣き声を感知するために高音領域をよく拾うように出来ておってな。そのためか、稀に高音領域のみを喋る猫が生まれるという言い伝えがある。静謐なる美声。猫族にとっては一種の憧れであるな。
おそらく、この蓮っ葉な姫君も、サイレント・ニャーの音域以外の声を発せない体質であるのだろう。
人間は、バカでかい耳を備えておるくせに、あれは所詮飾りであるのか、可聴音域がとかく狭いようであっての。サイレント・ニャーの音域を、意味ある音として認識できないようである。詰まる所、鏡越しに鑑賞に訪れる人間からすれば、傍らの天使の声は存在しないに同意であるということか。
「何も喋らぬ猫は、愛想に欠けるからと人間には敬遠されるのであるな」
「ほんと、君は表現がストレートね。もうちょっと角を丸めた変化球投げなさいよ」
人間に泣き声が聞こえぬ。だから好かれぬ。ゆえに城が与えられぬ。
はて、その三段論法に瑕疵はなかろうと思うが、どこかお気に召さなんだか。
「……まあ、実際その通りなんだけどさ」
悲しげな声であったな。この声も人間には聞こえぬのか。それは難儀であるな。
だとすれば、今この世界でおぬしの声を聞こえるのは吾輩ひとりと言うことではないか。
少なくとも、新しい猫がこの檻の中に入れられぬ限りは、そういうことであろう。
「吾輩くんは、もうちょっと普通のお喋りができた方がいいかな。せっかく顔は可愛いんだから」
話の接穂を探しておったのか、はたまた話題を逸らしたかったのか。
吾輩の折れ耳をぺしぺしと叩きながら、そうのたまいおったな。
「その言葉、そっくりそのまま返そうぞ。そなたはもう少し淑女のようなお喋りができるようになった方が良かろうな。せっかく容姿は整っておるのだから」
「あら、ありがとう。お褒めにあずかり、恐悦至極」
む、目が笑っておらぬが。
しかして、この日一番のサイレント・ニャー。
その声は反則であるぞ。蕩けてしまうではないか。にゃー。
惜しむらくは、この美声が人間に届かぬということであろうな。
声にならぬ声を聞き遂げる人間は、どこかにおらぬのであろうかのう。
人探し、いや正確に言えば、猫探しであろうな。名も知れぬ吾輩の天使を探して欲しいのである。まさしく、天使。その一言が相応しい美声を持ったご令嬢でござるよ。
あれは、吾輩がこの城の城主に収まる前の話であってな。
吾輩、ガラス張りの小さなケージの中で飼われておった。少々手狭であったが、餌には事欠かぬし、ハンモックも張られておって、存外に愉快な暮しであったな。じろじろと見知らぬ人間共が鏡越しに好奇の視線を投げかけてくるのだけは、いささか不愉快であったが、そこを差っ引けば全体的には良い思い出であるよ。
なにより、同じケージの中には、美しき声の天使がおった。
丸い顔、シルバーグレーの毛並み、利発そうな顔立ち。
猫種で言えば、アメリカン・ショートヘアーと言うのであろうかの。
吾輩の初めての同居人であり、このケージの中には数ヶ月前から暮らしておるようで、いわば吾輩のお姉さん的な存在であった。
姉にしては、少々蓮っ葉な性格であったがの。
「あら、あなた耳が垂れてるのね」
天使の第一声はそれであった。
「スコティッシュフォールド。吾輩、英国生まれの英国紳士である。折れ耳は由緒正しき英国紳士の証である」
少し気取って、そう自己紹介したかの。そなたは笑いおったな。
「あなた、面白いわね」
良い笑顔であったな。あれなるを一目惚れとでもいうのであるか。書物の中でしか知らぬが、きっとそうだったのであろう。毎夜、そなたのことを思い出して、その身を案じておるが、今もあの檻の中で暮らしておるのだろうか。
加えて、聞き惚れるような良い声であった。
「名はなんと申す?」
天使は吾輩の折れ耳をさも興味深そうに触っておったわ。
気安く触るな、などと無粋なことは言わぬよ。吾輩は紳士であるからの。
「なーに、その喋り方。可笑しい」
くすくすと笑い転げておる。失敬な。
「英国紳士であるからの。言葉遣いには気を付けておる」
「そういうの、大名喋りって言うのよ」
そなた、今何と申した? はて、大名とな。
重ねて言うが、吾輩英国紳士である。大名ではござらん。
「吾輩より、拙者の方が雰囲気でるんじゃない?」
訳の分からぬことを言ってひとしきり笑った後、そなたはこう答えたの。
「名前はまだないわ。それは飼い主が決めるものよ」
「……飼い主? それは何ぞ」
そなたは少し伏し目がちになりおったな。あらっ、この子なにも知らされてないのね。可哀そうに。そういうような憐憫が見え隠れしておったぞ。
「ほらっ、鏡の向こうに人間たちがいるでしょう」
そなたは鏡越しに覗きこんでくる人間たちを指差したな。吾輩の目には、どれもバカでかい猫にしか見えぬが。そうか、そなたはあれなるを人間と呼称するのであるか。
たしかに、バカでかい猫と呼ぶよりも、人間と呼んだ方が字数的にもすっきりするの。
これは良い言葉を習った。吾輩も以後はそのように呼ぶこととしよう。
「あの人間たちの誰かに気に入られたら、この狭い部屋からもっと広い部屋に移れるのよ」
「ふむ、左様なる仕組みでござったか」
だが、人間なるものに気に入られようと、御自ら愛想笑いなど英国紳士の流儀に悖る。
「しかして、吾輩ここの暮らしに存外不自由を感じておらぬのだが」
吾輩の発言が何かの地雷に触れたのか、ぎろりと睨まれてしもうた。
「甘い! そんなんじゃ駄目よ、もっとニャーニャー媚びを売ってなんぼよ。ひとまず、この狭い檻から脱出しなければならないの!」
「何ゆえに?」
何を当然のことを聞くのか、このお子様は。
思い返せば、そういうような顔をしておったな。あの日のそなたは。
「あなた、英国紳士なのよね?」
「いかにも」
やっと認めおったな。少々理解は遅くはあるが、まあ許そうぞ。
「英国紳士なら、お城に住んでるものじゃないの?」
たしかに、その通りであるな。瞬時に返す言葉が見つからず、吾輩沈黙するのみ。
「あなたにとって、ここはお城かしら?」
「……否」
考えたこともなかった。だが、ここが城でないことぐらいは分かる。
「あなたは、お城に住むべき猫でしょう?」
「いかにも」
英国紳士は城に住むものである。風格ある古城であれば尚の事よし。
「じゃあ、こんなところで燻ぶっていて平気なの?」
「……否」
良いか悪いかの二者択一であれば、良いわけがなかろう。
「じゃあ、人間に愛想のひとつぐらい言ったっていいんじゃないの?」
「善処する」
大いに不本意であるが、にゃあぐらいなら構わぬ。無論、にゃーまでは言わぬがな。
「案外、すれてなくていい子ね。喋り方は変だけど」
一言、余計である。にゃあ。
「ひとつ、聞いてもよいか?」
吾輩が問い返すと、利発そうな顔が一瞬崩れおったの。
「どうぞ」
「なにゆえに、そなたは檻の外なる世界を希求するのであるか?」
たしかに此処は城ではないが、贅沢を申さねば、そこまでの不自由はあるまい。
「檻の中では、一緒に暮らす猫を選べないから」
よく分からぬ理屈であるな。一体、どういうことであろうか。
「言っていることが、よく分からぬが」
そなたのしかめっ面は、妙なる愛嬌があって吾輩嫌いではないぞ。
吾輩のマイ・ボスもな、機嫌が悪いと時折そういう顔をするのであるな。だが、知っておるぞ。そんな顔をして、意外と乙女なところもあるのであるな。
「あなたが来る前はペルシャ猫と一緒だったんだけど、あれは駄目ね。純血種だかなんだか知らないけど、プライド高過ぎよ」
吾輩の相槌すら待たず、ひたすらに毒づいておる。さながら速射砲である。よほど腹に据えかねていた案件だったのであろうか。
アメリカン・ショートヘアーと見受けたが、実は生まれは大阪あたりではあるまいか。
「定期的にシャンプーもカットもしないと美しい毛並みが保てないとか言っちゃってさ。人間をかしずかせて当然って思ってるのよ。私なんて隅っこで毛繕いしてるだけなのにさ」
……だんだん地が出てきおったようであるな。
途切れもせずぶつぶつと文句を並べておられる。いつ途切れるのであろうか。
「それで、綺麗になったらなったで、その仕上がりを私に見せびらかすのよ? どうなの、それ。猫としてどうなの? ふふん、あなたみたいな下賤のニャー畜生とは生まれからして格が違うのですよ、おほほほほ……だって!」
ハンモックの白いタオルを前足でがりがりと引っ掻いておる。ああ、吾輩の寝床が。
「それは、災難でござったな」
吾輩も二次災害に遭っておるが。
「分かる? 分かるでしょ! いや、あなたは良い子ねえ。喋り方は変だけど」
だ、か、ら。一言、余計である。にゃあ。
「そなたは、黙っておれば美しい容姿をしておる。声も良い。性格もまあ、悪くはなかろう。少なくともペルシャ族ほどに破綻はしておらぬ」
「それ、褒めてるの? 貶してるの?」
なぜじとりと睨みつけられるのか分からぬが、まあ、褒められて気恥ずかしかったのあろうな。よいよい、照れなくてもよいぞ。どんなに強がっておっても、乙女とはそういうものであるらしいからの。
年上とて、女性を姫様扱いするのは英国紳士の嗜みであるゆえ。
「無論、褒めておるが?」
「あっ、そう」
なんであるか、その溜め息は。
「にしても、なぜそなたは人間に気に入られぬのであるか?」
そう、傲慢な性格破綻猫のペルシャ族に比ぶれば、よほど魅力的である気もするが。
餌の好き嫌いも少なそうであるようだし。
「……それは、そうなんだけど」
なんだか訳ありであるな。良かろう、これも何かの縁である。
「吾輩であれば、聞くが」
そなたは、あたりの様子を窺ったな。
言うべきか、言わざるべきか。吾輩は信用に足る猫か。逡巡していたのであろうな。
「私はね、サイレント・ニャーなの」
なるほど、そうであったか。美声の秘密はそれであったか。
「素晴らしきことではないか」
「いいえ。だから、ずっと檻の中で暮らしてるの」
泣き笑いのような顔は、吾輩見ておるだけでも辛かった。
世を儚む猫など、あまりに猫らしくない。
「鳴かない猫なんて、可愛くないものね」
――サイレント・ニャー。
即ち、人間には聞きとれない高音の泣き声である。
吾輩たち猫族の耳は、古来よりネズミの泣き声を感知するために高音領域をよく拾うように出来ておってな。そのためか、稀に高音領域のみを喋る猫が生まれるという言い伝えがある。静謐なる美声。猫族にとっては一種の憧れであるな。
おそらく、この蓮っ葉な姫君も、サイレント・ニャーの音域以外の声を発せない体質であるのだろう。
人間は、バカでかい耳を備えておるくせに、あれは所詮飾りであるのか、可聴音域がとかく狭いようであっての。サイレント・ニャーの音域を、意味ある音として認識できないようである。詰まる所、鏡越しに鑑賞に訪れる人間からすれば、傍らの天使の声は存在しないに同意であるということか。
「何も喋らぬ猫は、愛想に欠けるからと人間には敬遠されるのであるな」
「ほんと、君は表現がストレートね。もうちょっと角を丸めた変化球投げなさいよ」
人間に泣き声が聞こえぬ。だから好かれぬ。ゆえに城が与えられぬ。
はて、その三段論法に瑕疵はなかろうと思うが、どこかお気に召さなんだか。
「……まあ、実際その通りなんだけどさ」
悲しげな声であったな。この声も人間には聞こえぬのか。それは難儀であるな。
だとすれば、今この世界でおぬしの声を聞こえるのは吾輩ひとりと言うことではないか。
少なくとも、新しい猫がこの檻の中に入れられぬ限りは、そういうことであろう。
「吾輩くんは、もうちょっと普通のお喋りができた方がいいかな。せっかく顔は可愛いんだから」
話の接穂を探しておったのか、はたまた話題を逸らしたかったのか。
吾輩の折れ耳をぺしぺしと叩きながら、そうのたまいおったな。
「その言葉、そっくりそのまま返そうぞ。そなたはもう少し淑女のようなお喋りができるようになった方が良かろうな。せっかく容姿は整っておるのだから」
「あら、ありがとう。お褒めにあずかり、恐悦至極」
む、目が笑っておらぬが。
しかして、この日一番のサイレント・ニャー。
その声は反則であるぞ。蕩けてしまうではないか。にゃー。
惜しむらくは、この美声が人間に届かぬということであろうな。
声にならぬ声を聞き遂げる人間は、どこかにおらぬのであろうかのう。

