僕といっしょに自害してはくれまいか。
ミシマ氏のしたためている小品にあった一節である。歴代の文豪ほどの重厚さは欠片もないが、古めかしい文体であることに相違ない。ミズキンはもう少し軽快なる文を綴る。
心が踊るほどに随所に○があるのだ。吾輩、転がるボールを追いかけているようで、ミズキンの書いた脚本を目にすると不思議に高揚するのである。
○吾輩のお城・書斎・中(夜)
ミシマ氏が仮眠する中、吾輩がキーボードをタイプしている。
……たとえて書くならば、こんな感じであろうか。
うむ、吾輩、意外と文才があるようであるな。読み書きはミシマ氏から教わったが、おそらく現段階においては、もはや吾輩の文才はミシマ氏のそれを凌駕しているであろう。
前足でパソコンのキーなるものをふみふみすれば、明るい箱の中に文章が出力されるようであるからの。どれ、こんど代筆してやるとするか。口述筆記でも構わぬぞ。
ミシマ氏、驚くであろうの。猫族並みに表情に乏しいご仁であるが、きっと驚くであろうな。朝目覚めたら、知らぬ間に小品が完成しているのであるからの。
いわゆる柱と呼ばれるものであるのか。ミズキンの脚本には文頭にいくつも○が記されており、吾輩の足裏にある肉球に酷似した丸みを帯びたその形状に、えも言われぬ共感を覚えるのである。翻ってミシマ氏の文に○は滅多に登場せぬ。代わって文末に頻出するのが、小さな○である。
○ではなく。なのである。
なんとも控えめであるな。
狭量な精神が○の大きさに表れているようである。ミシマ氏はもう少し大胆になってもよかろう。○のサイズを心もち大きくしてみれば、もっと世に認められるであろう。
世界は肉球のように丸いのであるからして。吾輩、密かにそう思うのである。
とかく作家なるものは、一般人より死に近しい感覚を有しているのであろうか。死やら自害やら、生きる意味がどうだなどとは、少なくとも、猫族であれば決して発することのなき言葉であろう。吾輩たち猫族は、死の間際とて殊更に騒ぎ立てたりはせぬ。黙って消える。そういう流儀である。雄猫でも雌猫でもそれは変わらぬ。
自らの死期を悟りし時に於いては、死に際を見せぬもの。それが猫族の不文律である。元来が、暗くて、狭いところを好む種族ゆえ、死に体がそもそも人目につきにくいという理由も多少は関係しているのであろうが。去りゆく男に美学なるものがあるとして、むやみに饒舌なることは、そも美しくないと思うのは吾輩だけであろうか。
冒頭に掲げられし、かような悪文を美文と取り違えて無思慮に綴ってしまうのがミシマ氏の抱えし根深い病理であり、エンタメ畑でありながら純文学並みにしか売れていない要因であろうと、ラムセス師が看過しておられた。
相も変わらず鋭い分析でおられる。
無論、その意味するところは半分も分からぬのであるが。そういう時は、意味ありげに頷いて、ひとまず分かったふりをしておくのである。にゃあ。
「純文学とエンタメとは、具体的にどう違うのであろうか」
素朴なる疑問は、即座に摘むのが最良であると聞く。
「十万部売れたら作家先生と持ち上げられるのがエンタメ。売れるのがステータス」
博識なるラムセス師に知らぬことはないようである。師は端的にそうお答えになられた。
「十万部売れたら売文屋と蔑まれるのが純文学。売れないことがステータス」
蔑称であるのであろうが、売文屋とはなんとも魅惑的な響きのある言葉であろう。
作家先生とは甚だ軽佻浮薄な趣であるが、売文屋なる呼称には一匹狼的で傲岸不遜な趣が其処此処に漂っておられる。
庭を見渡す縁側に腰掛けるか、書籍がうず高く山のように積まれた書斎に籠るか。いずれにせよ、いちど座れば姿勢をほとんど崩さぬミシマ氏のことである。腰は丸まって猫背ではあるが、世間の評などに揺らぐこともあるまい。
霧島ニャーは常に丸まって寝るが、ミシマ氏が丸まって眠るところを見たことはない。
「師よ。ミシマ氏は売文屋であるのだろうか?」
縁側の籐椅子に座って読書に耽っているミシマ氏であるが、まさか縁側の下で斯様な会話が繰り広げられているとは夢にも思うまい。
「んー、そうでもなかろうな」
ラムセス師らしくない、歯切れの悪い答えであった。
「処女作がバカ売れした当時は、紛れもなく大衆作家で、作家大先生と持ち上げられておったがの。二作目以降は純文路線に微妙に作風が変わって、尻すぼみでな。売文屋と蔑まれるほどに売れてはおらぬようだのう」
昨夜のうちに、にわか雨があったようで、庭の下草に雨露が光っている。
ラムセス師は縁側の下がお気に入りのようで、散歩ついでにほぼ毎日訪れて来られる。
師は、頭を縁側の最奥部の方に向け、仰向けのまま瞑目しておられる。
縁側の下は昼夜を問わず仄暗いゆえ、お昼寝には絶好のスポットである。ラムセス師の頭の下には分厚い古書が横たわっている。
「枕にするには丁度よいが……」
生々しい爪痕の残った漱石全集。
「もう手打ちにしてもらえたのかね?」
「激することのない気性の持ち主であるからな。根に持つような人ではあるまい」
今でこそ関係は良好であるが、一時は冷戦状態であったな、ミシマ氏よ。
知らぬこととは言え、吾輩そなたに大変なる無礼を働いたこと、重ねて反省する次第である。にゃあ。
ミシマ氏のしたためている小品にあった一節である。歴代の文豪ほどの重厚さは欠片もないが、古めかしい文体であることに相違ない。ミズキンはもう少し軽快なる文を綴る。
心が踊るほどに随所に○があるのだ。吾輩、転がるボールを追いかけているようで、ミズキンの書いた脚本を目にすると不思議に高揚するのである。
○吾輩のお城・書斎・中(夜)
ミシマ氏が仮眠する中、吾輩がキーボードをタイプしている。
……たとえて書くならば、こんな感じであろうか。
うむ、吾輩、意外と文才があるようであるな。読み書きはミシマ氏から教わったが、おそらく現段階においては、もはや吾輩の文才はミシマ氏のそれを凌駕しているであろう。
前足でパソコンのキーなるものをふみふみすれば、明るい箱の中に文章が出力されるようであるからの。どれ、こんど代筆してやるとするか。口述筆記でも構わぬぞ。
ミシマ氏、驚くであろうの。猫族並みに表情に乏しいご仁であるが、きっと驚くであろうな。朝目覚めたら、知らぬ間に小品が完成しているのであるからの。
いわゆる柱と呼ばれるものであるのか。ミズキンの脚本には文頭にいくつも○が記されており、吾輩の足裏にある肉球に酷似した丸みを帯びたその形状に、えも言われぬ共感を覚えるのである。翻ってミシマ氏の文に○は滅多に登場せぬ。代わって文末に頻出するのが、小さな○である。
○ではなく。なのである。
なんとも控えめであるな。
狭量な精神が○の大きさに表れているようである。ミシマ氏はもう少し大胆になってもよかろう。○のサイズを心もち大きくしてみれば、もっと世に認められるであろう。
世界は肉球のように丸いのであるからして。吾輩、密かにそう思うのである。
とかく作家なるものは、一般人より死に近しい感覚を有しているのであろうか。死やら自害やら、生きる意味がどうだなどとは、少なくとも、猫族であれば決して発することのなき言葉であろう。吾輩たち猫族は、死の間際とて殊更に騒ぎ立てたりはせぬ。黙って消える。そういう流儀である。雄猫でも雌猫でもそれは変わらぬ。
自らの死期を悟りし時に於いては、死に際を見せぬもの。それが猫族の不文律である。元来が、暗くて、狭いところを好む種族ゆえ、死に体がそもそも人目につきにくいという理由も多少は関係しているのであろうが。去りゆく男に美学なるものがあるとして、むやみに饒舌なることは、そも美しくないと思うのは吾輩だけであろうか。
冒頭に掲げられし、かような悪文を美文と取り違えて無思慮に綴ってしまうのがミシマ氏の抱えし根深い病理であり、エンタメ畑でありながら純文学並みにしか売れていない要因であろうと、ラムセス師が看過しておられた。
相も変わらず鋭い分析でおられる。
無論、その意味するところは半分も分からぬのであるが。そういう時は、意味ありげに頷いて、ひとまず分かったふりをしておくのである。にゃあ。
「純文学とエンタメとは、具体的にどう違うのであろうか」
素朴なる疑問は、即座に摘むのが最良であると聞く。
「十万部売れたら作家先生と持ち上げられるのがエンタメ。売れるのがステータス」
博識なるラムセス師に知らぬことはないようである。師は端的にそうお答えになられた。
「十万部売れたら売文屋と蔑まれるのが純文学。売れないことがステータス」
蔑称であるのであろうが、売文屋とはなんとも魅惑的な響きのある言葉であろう。
作家先生とは甚だ軽佻浮薄な趣であるが、売文屋なる呼称には一匹狼的で傲岸不遜な趣が其処此処に漂っておられる。
庭を見渡す縁側に腰掛けるか、書籍がうず高く山のように積まれた書斎に籠るか。いずれにせよ、いちど座れば姿勢をほとんど崩さぬミシマ氏のことである。腰は丸まって猫背ではあるが、世間の評などに揺らぐこともあるまい。
霧島ニャーは常に丸まって寝るが、ミシマ氏が丸まって眠るところを見たことはない。
「師よ。ミシマ氏は売文屋であるのだろうか?」
縁側の籐椅子に座って読書に耽っているミシマ氏であるが、まさか縁側の下で斯様な会話が繰り広げられているとは夢にも思うまい。
「んー、そうでもなかろうな」
ラムセス師らしくない、歯切れの悪い答えであった。
「処女作がバカ売れした当時は、紛れもなく大衆作家で、作家大先生と持ち上げられておったがの。二作目以降は純文路線に微妙に作風が変わって、尻すぼみでな。売文屋と蔑まれるほどに売れてはおらぬようだのう」
昨夜のうちに、にわか雨があったようで、庭の下草に雨露が光っている。
ラムセス師は縁側の下がお気に入りのようで、散歩ついでにほぼ毎日訪れて来られる。
師は、頭を縁側の最奥部の方に向け、仰向けのまま瞑目しておられる。
縁側の下は昼夜を問わず仄暗いゆえ、お昼寝には絶好のスポットである。ラムセス師の頭の下には分厚い古書が横たわっている。
「枕にするには丁度よいが……」
生々しい爪痕の残った漱石全集。
「もう手打ちにしてもらえたのかね?」
「激することのない気性の持ち主であるからな。根に持つような人ではあるまい」
今でこそ関係は良好であるが、一時は冷戦状態であったな、ミシマ氏よ。
知らぬこととは言え、吾輩そなたに大変なる無礼を働いたこと、重ねて反省する次第である。にゃあ。

