翌朝、靴箱の前で、俺はため息をついていた。

(……昨日の終わり方、どう考えてもフラグ立ってたよな。
 “太陽から逃げられない”とか、なんだよあれ。
 うまいこと言ったなって思うわ俺。)

 昨日の抱きしめられた、あの瞬間の鼓動、まだ胸の奥で続いてる気がするし。
朝の冷気じゃ冷ませない、変な熱だけ残ってる感覚。

 廊下の向こうから声。
光の中から現れる、ってこういうの言うんだろうな。
制服の白シャツが反射して、見てるだけで目が痛い。
 
「おりー」

(ほら来た。)

「今日、朝からテンション高いな」
「いつもだって」
「違う。昨日より3割増し」
「織の観測データに異議あり」
「黙れ観測対象」

「ふふっ」
「笑うな!」
 
(はぁ……もう慣れるしかないのか、これ。)



1時間目が終わって、教室でプリントを回してたとき。

前の席の女子が言った。

「ねぇ福山くん、
 もう引っ越し準備中なんでしょ?」
「え、あー……うん、まぁ」
「そっか、寂しくなるね」
「あはは、まぁ……そうだね」
「朝日くん、絶対寂しがるよね」
(きたよ、地雷ワード!)
 
 こういう何気ない言葉が、
あいつの中では全部“地雷”になるんだろうな。
それを分かってて笑う自分も、たぶん悪いんだろうけど。

「福山くんがいなくなったら、朝日くん、生きてけないんじゃない?」
「いや、生きてけるわ!」
「ふふ、どうだか〜」

その会話の後ろで、
陽翔がじっとこっち見てた。

(え、ちょっと待って、その顔……怒ってんの?)

 チャイムが鳴っても、陽翔の視線が刺さる。
授業が始まっても、ずっと。
俺の持つペンの先が震える。
 
(おい……その目、なに……!怖っ)



 昼休みになって、机の上に弁当出した瞬間、
陽翔がドン、と椅子を引いてこっち向いた。
なんだか空気が少し張りつめてるのが分かる。
周りの笑い声が、やけに遠く聞こえた。
 
「なに」
「さっきの女子、なに」
「なにって、普通に話しただけ」
「笑ってた」
「いや、笑うだろ。会話だもん」
「楽しそうだった」
「うるさいな!」

めちゃくちゃ拗ねてる……!
まっすぐ刺してくるその目が、いつもより熱を持ってた。
言い返すたび、こっちの鼓動が負けていく。
 
「俺と話してるときより――楽しそうだった」
「お前、どの角度で比較してんだよ!」

陽翔は黙って、箸を置いた。

「……俺、嫉妬してる」
「知ってる!」
「声でバレた?」
「顔でバレた!」
「隠せねーんだよな、こういうの」
「開き直るな!!」

(うわぁ……また顔が近い。
 ていうか、その距離で嫉妬報告やめなさい、照れるから!)


 午後の休み時間。窓際の席から外を見てると、陽翔がぽつりと呟いた。

「……転校、やめられないの?」
「急に何」
「無理って分かってるけど」
「……」

「あと数日って思うと、なんか焦るんだよ」
「……焦んなくていい」

「焦る。だってさ」

陽翔が少し笑って、それでも目は真面目だった。

「俺、まだキスもしてない」
「はああああ!?!?!?」

「声でかい」
「でかくもなるわ!!」

「いや、焦ってるの俺の方なんだけど」
「知らねぇよ!!」

「だって、手はつないだ。
 抱きしめた。
 でもそれで止まってんの、もどかしい」

「ストップ! その続き言うな!?」
「言わねーよ。
 でも……思ってんのは本当」

(やばい。顔、熱い。耳、爆発しそう。)



 放課後、誰もいなくなった教室で、陽翔が声かけてきた。

「ちょっと」
「なに」
「目つぶって」
「は?」
「いいから」
「嫌だ」
「信じろって」
「いや無理だろ」
「じゃあ俺がする」
「すんな!!」

 陽翔が笑って、
でも次の瞬間、その笑顔が静かに消えた。

「……ほんとに、好きなんだよ」
「……」
「我慢してんの、けっこう限界」
「お前……」

「でも、ちゃんと待つ。
 だから、目そらすな」

 陽翔が俺の頬に手を添える。
視線が合う。
心臓の音が重なる。

二人の鼻先が触れそうで、触れない距離。

陽翔がほんの少し顔を近づけて――

「……やめとく」
「っ……!」
「まだ早い」
「なにそれ」
「焦らすの得意なんで」
「お前マジで……!」
 
「キスは、次の機会に取っとく」
「いつだよそれ!来るのか?」
「明日かも」
「早ぇ!!」
「冗談」

(いや、絶対冗談じゃない顔してた……!)

 帰り支度をして、下駄箱で靴を履き替える。
その時、昇降口の掲示板に“転校手続きについて”の俺宛の紙が貼ってあったのを見つけた。
白い紙に印刷された黒文字が、
まるで“終わり”のカウントダウンみたいに見えた。
それを見た瞬間、現実が一気に重くなる。

(あと3日。
 ほんとに、時間ないんだな……)

陽翔も隣でそれを見て、小さくつぶやいた。

「……嫌だな」
「……」
 
「まだ言いたいこと、いっぱいあんのに」
「俺も」
「じゃあ、少しずつ言ってこ」
「お前、簡単に言うなよ」
「簡単じゃないけど、
 言わないと後悔すんだろ」

「……お前って、ほんとそういうとこすごいよな」
「どこが」
「前向きすぎる」
「織が後ろ向きすぎんだよ」
「だまってくれ」

 陽翔が笑って、俺の頭に手を置いた。
いつもの、あったかい手。

その瞬間、
胸の奥で何かがゆっくり落ち着く。

(ああ……やっぱ、この距離、嫌いじゃない。)

 家の前で別れるとき、陽翔が言った。

「なぁ、織、明日」
「ん」
「ちょっとだけ、来てほしいとこある」
「どこ」
「秘密」
「は?なんで」
「言ったら来ないだろ」
「来ねぇよ!」

「じゃあ言わねー」
「はぁ!?」
「俺のサプライズ信じとけ」
「いやサプライズってお前……!」

陽翔が笑って手を振って家に入っていった。

 家に帰ってからも、
頭の中でさっきの“未遂”がぐるぐる回ってた。

(……今日のあれ、何だったんだ。
 キスする感じの流れ、完全に入ってたよな?
 でも止めたの、あいつなんだよな……。
 こっちは覚悟とかじゃなく、
 反応がバグって固まってただけだけど。)

 制服を脱いでベッドに倒れた。
天井のシミが、なんか今日やけに多く見えてくる気がした。
(あいつの手の温度、まだ残ってる気がする……やば。)

「はぁ……」

弟の知がドアの隙間から顔を出した。
 
「兄ちゃん、ため息デカすぎ」
「黙れ」
「ハル兄と喧嘩でもした?」
「なんでいきなりその名前出すんだよ!」
「いや、だいたいそれ絡みでしょ」
 
「……」
 
「ほら図星」
「図星とか言うな」
「俺、見てるとこ見てんだよ」
「え、なにを?」

知がドヤ顔になった。
「昨日の帰り道」
「はっ!?!」
「手つないでた」
「お前それ言うなあああ!!!」

知は爆笑しながら逃げていった。

(うわぁ……身内バレ……最悪……)



 風呂から上がっても、まだ落ち着かない。
スマホを見ても、何も通知が来てない。
(今日はもう連絡ないのかな……)
なんて思ってたら、画面が光った。

陽翔:寝た?

(出た、寝た?攻撃……)

織:まだ
陽翔:眠れない
織:知らねーよ
陽翔:今日、あれ止めて正解だったと思う?
織:あれってなに
陽翔:わかってんだろ
織:知らない
陽翔:ほんとは、キスしたかった
織:知ってるわ!!
陽翔:じゃあ、次はする
織:おい!!
陽翔:おやすみ、織
織:寝ろ

(……バカ陽翔。
 最後にそうやって名前呼ぶのずるいんだよ。)

 何度もため息をつきながら寝返りを打った。

(……“次はする”って。
 ほんとに来たらどうすんだ、俺。
 考えるだけで、寝れねーわ。)
 

残念なお知らせ。
明日、きっと俺は、「好き」を認める準備をする。