月曜の朝。
校門の前で、自転車の列がだらだらと進んでる。
鞄の中で教科書がカタカタ鳴る。
自転車の列の先には、いつもの校舎。

だけど今日は、なんか空の色がいつもと違って見えた。
いつもよりなんだか、少しだけ遠く感じる。
 
 俺はその中で欠伸をかみ殺しながら、昨日のことを思い出してた。

 陽翔の「諦めない」発言。
あれ、夢じゃなかった。
夢ならどれだけ楽だったか。

(てか、あんな真顔で言うか?
 “好き”とか、“諦めない”とか。
 言葉の破壊力エグいんだけど。)

 スマホを取り出すと、
昨夜のメッセージがまだ画面に残ってた。

陽翔:明日も空けとけ

(……学校休みじゃないんだぞ。)
 
 メッセージの文字が小さく光ってて、
それ見ただけで胸があったかくなるのが腹立つ。
ほんと、あいつの言葉ひとつでペース乱される。
 

 靴箱を過ぎたあたりから、
なんか空気がざわついてるのに気づいた。
廊下を歩くたび、視線がこっちに集まる。
なんか嫌な予感しかしない。
 
 教室に入ると、いつもよりざわざわしてる。
女子たちが机を寄せて話してて、
男子が「マジ?」「本当?」とか言ってる。

やっぱり嫌な予感しかしない。

「お、福山来たー」
クラスのムードメーカー的存在の新田(にった)が笑いながら近づいてきた。
 
「お前さ、転校すんの?」
「……おい、誰情報だよ」
「女子の間で噂になってんぞ」
「はあ!? 早すぎだろ!」

 周囲の視線が一気にこっちに集まる。
まるでニュース速報でも流れたみたいな勢いだった。
 
「朝日がめっちゃ沈んでたって話」
「はぁ!?」
「ほら、“ふたり、仲良かったし”って」
「いや仲良くねぇし!」
 
 新田は面白がって笑ってるけど、
胸の奥がざわついて、うまく笑えなかった。

(……おい、誰だリークしたの。絶対あいつの顔、暗かったんだろ。バレるだろそれ。)


 時間ギリギリになっても、
陽翔の席が空いてるだけで教室が落ち着かない。
いつもなら絶対一番に来るやつなのに。
(まさか休むとか……)
 
チャイムが鳴る直前、教室のドアが開いた。

陽翔が入ってきて、いつも通り笑って手を上げた。

「おはよー」

 一瞬でクラスが静かになる。
誰かがペンを落とす小さな音だけが響いた。
陽翔の笑顔がまぶしすぎて、
それだけで空気の色が変わる気がした。
 
全員が陽翔を見て、
その次にこっちを見る。
なんか空気が変わる。

(やめてやめてやめてやめて。そんなドラマの入場みたいなのいらない!)

 陽翔は何事もなかったように、俺の隣の席に座る。

「なに、朝からうるさいな」
「お前のせいだよ!」

 あの声ひとつで、空気の温度が変わった気がした。
なんでこんなに目立つんだ、こいつ。
 
「俺?」
「お前、顔に“悩んでます”って書いてあったらしいぞ」
「書いた覚えはない」
「無自覚かよ……」

「てか、転校の話、ほんとになんの前触れもなく拡散してるな」
「お前の顔が前触れなんだよ!」
「そんな、俺の”イケメンフェイス”に情報拡散機能なんて付いてねーよ」
「あるんだよ! 今すでに“朝日が福山ロス”って言われてるぞ!」
「え、なにそれ怖い」
「怖いのはお前の無自覚だよ」

(……笑って言ってるけど、マジで恥ずかしい。
 心臓が背中から逃げたいレベルで恥ずかしい。)


1時間目の途中。
先生の板書の音だけが響く中で、
陽翔が小声で言った。

「なぁ」
「なに」
「昼、屋上行こうぜ」
「屋上? 鍵かかってんじゃね?」
 
 先生のチョークの音が妙に遠い。
この小声のやり取りが、
教室の中で一番現実離れして聞こえた。
 
「俺、風紀委員の山田に借りてる」
「なんでそんなとこでコネ使ってんだよ」
「デート」
「やめろって言ってんだろ!」
「小声で言ったし」
「問題そこじゃねぇ!」
「……顔赤い」
「うるさい!」

先生がチョークを止めて
「そこの二人、静かに」
って言った瞬間、
クラス全員がこっちを見た。

(……あー、もう終わった。完全に噂が加速した。)
 
 陽翔は前を向いたまま、
俺のほうに視線だけを寄こしてニヤリと笑った。
その横顔がずるいくらい平然としてる。
俺だけが慌ててるのが、なんか悔しい。
 


昼休みになって、屋上に行く前に購買寄ろうとしたら、
女子2人が話してるのが聞こえた。

「ねぇ、朝日くんってさ、
 福山くんとずっと一緒にいない?」
「うん、今日も朝から」
「なんか、カップルみたいだよね」
「わかる〜!」

(やめろやめろやめろ。
 耳ふさぎたい。音速で記憶から消したい。)
 
 階段の途中、窓ガラスに映る自分の顔が赤い。
ため息を一回だけ飲み込んで、踊り場の掲示板をぼんやり見た。
体育祭の写真に、真ん中で笑ってる陽翔がいる。
(うわ。こういうときに限って目に入る)
目をそらしても、笑顔の残像だけは消えないまま、俺は上へ上へ急いだ。

 階段を上るたびに足音がやけに響く。
心臓の音と混ざって、うるさいくらい。
手すりの向こうに陽翔の姿が見えた瞬間、
逃げるタイミング、完全に失ったって悟った。

 屋上前の階段で、陽翔が待ってた。
手すりにもたれて、こっち見て笑う。

「よ、早かったな」
「そりゃ早歩きにもなるわ! 逃げたいわ!」
「逃げらんねーよ」
「そういう言い方すんな!」
「……昨日の続き、したかっただけ」
「っ……」

(その“続き”って単語に毎回弱いんだよ!)

「……お前、ほんと……」
「ん?」
「なんでもない!」
「そ」

 陽翔が笑って、
俺の頭を軽くぽん、と叩いた。
その手が優しすぎて、言葉が止まる。

「……昼飯、いっしょでいい?」
「別に」
「“いい”ってことな」
「そう言ってねぇ!」

(でも……断れなかった。)

 屋上のドアを開けた瞬間、
冷たい風がふわっと吹き抜けた。

 空が高い。
白い雲がゆっくり流れてる。

(うわ、開放感すご……。
 でもなんか、ドラマの告白シーン感すごくて落ち着かねぇ。)

「座れよ」
陽翔がベンチに腰かけて、
手に持ってたパンをちぎって俺に差し出す。

「……それお前のじゃん」
「半分やる」
「食べかけいらねーよ」
「間接キス狙ってないし」
「誰もそんなこと言ってないし!」

 くだらない掛け合いなのに、
心臓だけは全然くだらなく動いてる。
 
「じゃあ平気だな」
「ちがう、そうじゃない!」

(なんでこういうときに限って頭の回転止まるんだ俺。)

 結局、受け取って一口かじった。
陽翔が無邪気に笑ってパンを差し出す、という
その仕草が自然すぎて、
こっちは変に意識してるのがバカみたいになる。
 
チョコパン。甘い。
(くそ、ほんとに甘い……)


「なぁ」
陽翔が空を見ながら言った。
 
「もし転校しなかったら、どうする?」
「……は?」
「俺、告白しなかったと思う?」
「え?」

「昨日」
「……あぁ、あれな」
「“あれな”って言うな」
「だってお前、真顔で言うから……」
「真顔じゃねーと伝わんないだろ」
「……まぁ、そうだけど」
 
「で、どうすんの?」
「どう、って……」
「返事」
「え」

「昨日、返事、まだ聞いてない」
「そ、それは……」

「“逃げんな”って言ったろ」
「お前のそういう真っ直ぐさ、タイミング悪すぎるんだよ!」
「悪くない」
「悪い! 昼休みだぞ!」
「昼休みだからだろ」
「意味わかんねーよ!」

「……織」

 風が止まったみたいに、空気が一瞬で変わる。
陽翔が真剣な顔をした瞬間、
なんか、俺の中の“逃げ道”が全部消えた気がした。
 
 陽翔の声が少し低くなる。
さっきまでの軽口が消えて、風の音がやけに静かに聞こえた。

「俺、もうお前のこと好きって言っちゃったから。
 戻れない」

「……」

「転校しても、離れても、
 多分、忘れられないと思う」
「……」
「だから、逃げんな」
 
 その声の低さが、ふざけ半分の言葉とまるで違ってた。
ほんとの気持ちって、こんな静かに伝わるんだなと思った。

(おい。
 その“逃げんな”って、どの口が言ってんだよ。
 そんな目で言われたら、逃げられるわけないだろ。)

「……俺、そんな簡単に切り替えられねぇし」
「切り替えなくていい」
「でも、俺たち――」
「俺たち、って便利な言葉だよな」
「は?」
「その言葉で、
 本音ごと濁すの、やめろ」

「……」

 陽翔の手が、俺の頬に触れた。
指先がほんの少し冷たい。
でも、手のひらの温度がじんわり伝わる。

「ちょ、ちょっと」
「動くな」

「お前……っ、人が来たら――」
「鍵、閉めた」
「なに準備いいことしてんだよ!」
「こういうの、前もって考えるタイプ」
「バカ正直かよ……」

(近い。
 ほんとに、近い。
 鼻先が触れそうな距離で、息の音が混ざる。)

「……なぁ」
「なに」
「俺のこと、嫌い?」
「……そういう聞き方ずるいわ」

「ずるくしてんの。
 そうでもしないと、お前、絶対逃げるから」

(やめろ、その声。
 低い声で、真剣な目で、そんなこと言うなって。)
 
 呼吸するたび、距離が狭まる。
逃げたら終わりだって、
頭のどこかでちゃんとわかってた。
 
「……嫌いじゃ、ない」
「そ」
「でも、陽翔のこと好きって言えるほど、
 まだちゃんとわかんねぇし」
「うん」
「お前のこと、嫌いじゃないけど……
 なんか、好きとかって言うの、
 簡単に言えない」

「織はそう言うと思ってた」
「は?」
「そういうとこ、好きなんだよ」

「っ……お前バカっ」

「顔、真っ赤」
「うるさい!」
「お前かわいい」
「やめろ!」
 
「じゃあ」

陽翔が軽く笑って、そのまま俺の頭をぐしゃっと撫でた。

「答えは、焦んなくていい。
 どうせ、時間まだあるし」

「……週末だぞ、引っ越し」
「時間あるって言ったろ」
「その根拠どこだよ」
「俺が諦めないって言ったじゃん」
「……またそれかよ」
「何回でも言う」

風がまた吹いて、陽翔の髪が乱れて顔がよく見えた。
まぶしくて、ちょっと目をそらす。

(ほんと、太陽みたいなやつ。
 うざいくらい眩しい。
 でも……ちょっと、あったかいわ。)



 教室に戻ると新田がニヤニヤして言った。
 
「お前ら、昼どこ行ってた?」
「どこでもねーよ」
「屋上いたって噂あるぞ」
「誰情報だよ!」
 
 もう言い訳する気力もなかった。
その言葉を口にした瞬間、
陽翔の顔が頭に浮かんで、胸がちょっとだけ熱くなった。
 
「女子。目撃者あり」
「くっそ……」
「やっぱ付き合ってんの?」
「違ぇよ!」

(……でも、違うって言い切るの、
 ちょっとだけ、ためらった。)

 ほんとはもう、心のどっかでわかってる。
否定すればするほど、あいつの言葉が胸の奥に残っていくのを。
 否定するたび、肯定のほうへ足が向く。マジで厄介。


残念なお知らせ。
俺の一日は、もう“陽翔中心”で回ってる気がする。