昨日の会話が、まだ頭に残ってる。
転校の話をしたあの夕方から、
陽翔の顔を思い出して、なぜか心がざわつくようになった。
だから今日も、スマホが鳴るたびに妙に身構えてる。
 
 朝の8時半。
俺は布団の中で、スマホのバイブ音に負けた。

陽翔:おい起きろ
陽翔:まだ寝てんの?
陽翔:おり
陽翔:おり
陽翔:おりー

(……鳴りすぎだろ。呼び鈴か)

織:今起きた
陽翔:遅っ。もう駅前来い
織:は?約束11時じゃ
陽翔:前倒し。俺、待ってる
織:誰がそんな理不尽あるか
陽翔:お前
織:は?
陽翔:早くしないと迎え行くぞ

(え、待って、怖い。マジで来るやつだこれ。)

 結局、俺は30分で家を飛び出した。
黒髪は寝癖のまま、水でなんとか押さえたけど、
鏡見たら「休日の無気力男子」みたいな顔してた。
 
 休日に陽翔と会うのなんて、本当に久しぶりだ。
子どもの頃は、どっちの家で遊ぶかでケンカして、
結局ふたりとも外に出た。
……今も似たようなもんだな。

 それにしてもまだ9時過ぎだぞ……。


 あがった息を整えながら駅前に着いた。
コンビニの前で、陽翔がジュース飲みながら手を振ってた。
薄茶色の髪が朝日に透けてて、制服じゃないのにやたら爽やかだ。
白のパーカーにジーンズ。
なんで普通にモデルみたいなんだよ。
 
 通り過ぎる女子高生が、ちらっと振り返る。
それにまったく気づかないで笑ってるあたり、
昔から変わらない。
無自覚に目立つやつだ。
 
「おそー」
「まだ9時半だし。約束11時だし」
「約束より早く来るのが正解」
「誰の理論だよ」
「俺」
「出た、朝日ルール」
「ルールじゃなくて常識」
「はいはい」

(ほんと、朝からテンション高い。太陽かよ。名前に偽りなし。)

「腹減った。飯行こうぜ」
「は? まだ10時にもなってないぞ?」
「ブランチって言葉知らんのか」
「急にオシャレぶんな」
「黙れ。ほら行こ」

 俺の手首をつかんで、歩き出す。
 
 ……なんか、懐かしいな。子どもの頃も、信号を渡るときはいつもこうやって引っぱられてた。
あのときは気にもならなかったのに、
なんか、今日は手の温度だけでドキドキしてる。
 
その手、なんかあったかいんだけど……。
……え、あれ?これ自然に手つないでない?

「おい、離せ。目立つ」
「別に誰も見てないって」
「いや、見てるし!今、後輩女子いたぞ、絶対見られてたし!」
「見せつけとけ」
「なにその謎のマウント」
 
「俺の織だから」

「っ……何それ!?」
一瞬言葉が止まる。
 
「冗談」
「心臓止まるわ!」

(……ほんっとやめろよ、その言葉に“ちょっと本気”混ぜんな)


 歩きながら話す言葉が少なくなる。
一緒にいるのに、沈黙が気まずくないのが不思議だ。
幼馴染の距離って、言葉がなくても埋まるもんなのかもしれない。
 
 商店街の端にある、昔からあるカフェに入った。
小さいガラス窓と木のテーブル。
高校の近くじゃなくて、休日にわざわざ来るのは初めてだ。

「ここ、よく来るの?」
「うん。部活サボるとき」
「堂々とすんな、ほとんど部活も行ってないじゃん」
 
「織は初?」
「うん。落ち着くな」
「俺、似合ってる?」
「その質問やめろ」
「答えて」
「……似合ってるわ。うるさいな」

 コーヒーの湯気の向こうで、
陽翔の横顔がゆっくりぼやけて見える。
まっすぐな目してんな。
昔から何か決めるときだけ、あの目になる。
 
 陽翔がにやっと笑う。
いつもの無神経な笑顔じゃなくて、ちょっと照れたような笑顔。
(やめて。そういうの、ダメ。なんかに効く気がする!)

「なぁ、織」
「ん?」
「転校、ほんとなん?」
「……たぶん」
「たぶん、ばっか言うな」

「だって、俺もまだ信じてないし」
「俺は信じたくない」
(……え?今、素で言った?)

カップのコーヒーがやけに熱い。
目の前で陽翔が、じっと俺を見ている。
真面目な顔。いつもみたいに笑ってない。

「なに」
「いや……離れんの、ムカつく」
「ムカつくってなに」
「お前が他の街にいるの、普通に気に食わない」
「……」

(ちょっと待って、これ、何会?)


 店を出るころには、外の陽射しが少し傾いていた。
商店街のアーケードに吊るされた風鈴が、ちりん、と鳴る。

「で、陽翔、この次どこ行くの?」
「行きたいとこある?」
「いや、俺をどこかに連れまわす気まんまんの顔してるやつが言うな」
「バレた?」
「バレバレ」
「じゃ、ゲーセンな」
「結局それかよ」

 信号待ちのとき、
ふと陽翔の横顔を見た。
ニコニコ笑ってるその顔が、
小学生の頃と同じなのに、今は全然違って見える。
 
 陽翔が先に歩いていく。
背中が高くて、また髪がキラキラ光ってた。
俺はその少し後ろをついていく。
……なんか、子どものころの遠足みたいだな。
行き先も理由もよくわかんないけど、
とりあえず一緒にいるのが当たり前だった、あの頃みたいな。


 休日のゲーセンは人でいっぱいだった。
高校生、カップル、子ども連れ。
うるさい音と笑い声の中、陽翔が真顔でUFOキャッチャーに挑戦している。

「なにそれ、取れるの?」
「余裕」
「嘘つけ」
「見てろ」

3回連続で失敗。

「……あれ?」
「余裕とは」
 
「今日はクレーンの調子悪い」
「機械のせいにすな」
「もう一回」
「いや、無駄遣い」
「取れたらお前にやる」
 
 こういう何気ない一言に、なんでこんなにドキッとすんだろ。
“お前に”って言葉の響きとかさぁ……
 
「……いらん」

6回目で、ぬいぐるみがふわっと落ちた。
ピンクのウサギ。

「ほら」
「いやマジで取れたの?」
「俺を誰だと思ってんだ」
「うるさい。たまにサッカー部だろ」
「万能型」
「何その新ジャンル」

陽翔がピンクのウサギを差し出した。

「ほら、これ。記念」
「だからいらんって」
「じゃあ俺持っとく」
「持つんかい」

 結果頑張ってゲットしたウサギは俺がもらうことになった。
笑いながら、二人でゲーム機の明るいところから外に出た。
夕方の風が、昼間より少し冷たくなっていた。


「なあ、織」
「ん?」
「今日さ、なんかデートっぽかったな」
「おい、言うなよそういうの!」
「事実だろ」
「違うし!」
 
「俺的にはデート」
「お前的にすんな」
「手、つないだし」
「それはお前が勝手に!」
「拒否しなかった」
「反射神経が間に合わなかったんだよ!」

 陽翔が笑う。
目尻が柔らかくて、少しだけ子どもみたいな笑い方。
それ見てたら、反論の言葉が出てこなかった。

「……なに」
「いや。織って、怒ってる時も可愛いなって思って」
「は!? 何言って――」
「言葉の選択ミスったかも」
「ミスどころか爆発してる!」

(落ち着けよ俺。顔、熱い。耳まで熱い。
何が可愛いだ、そんな反則級の直球で――恥ずかしすぎる)

「なぁ、織」
「な、なに」
「転校、やっぱ行くな」
「だから、俺の意思じゃ――」
「でも俺、嫌だ」

足が止まった。
その時、びゅうっと冷たい風が俺と陽翔の間を通り抜けた。
その真ん中で、陽翔が俺を見てた。

真剣な目。
いつもの軽口が一切ない。

「……俺、今日一日ずっと考えてた。
離れたら、もう“幼なじみ”でいられない気がして」
「は?」
「電話とかメールとか、そういうのじゃ、足りないよ」
「……」

(なにそれ。
“足りないよ”って、そんな言い方する?ほんとどういう……?)

「な、なに急に……」
「ごめん。変なこと言った」
「……変じゃないけど」
「じゃ、いい」

 陽翔が小さく笑って、そのまま俺の頭をくしゃっと撫でた。

「なっ……やめろ、髪くしゃくしゃ……!」
「いいの。かわいかったから」
「バカ!」

(ほんと、もうやめろ、そういう……)

 顔を上げたら、陽翔が少しだけ顔を近づけていた。
距離、近すぎ。
指先が、そっと頬に触れてそのまま手が添えられる。

「な、何して……」
「別に」
「別に、じゃねぇ!」
「風、ついてた」

「どんな理由だよ!」

(でも、触れてたのは一瞬なのに。心臓、まだ鳴ってるし。)

 家に着く手前、俺と陽翔の家の間で立ち止まった。
陽翔が、やけに黙ってる。

「……なに」
「いや、帰りたくないなって」
「子どもか」
「子どものときも言ってたろ」
「……言ってたな」

その瞬間、陽翔が笑って、でも少し寂しそうに目を細めた。
なんでその顔、昔より優しく見えんだよ。

(……やばい。ほんとに、こいつ変だ。)


 家に帰ってベッドに倒れた。
枕元に置いたスマホが光ってる。

陽翔:今日はありがとな
陽翔:楽しかった
陽翔:明日も空けとけ

織:お前どんだけ予定詰めんの
陽翔:来週、減るから

……また、その言い方。
胸がきゅっとなる。

(減るとか、そういう現実的な言葉で優しくすんなよ。)

 俺はスマホを伏せて、
天井の明かりに照らされたピンクのウサギをそっと見た。


残念なお知らせ。
今日、俺はちょっと“寂しい”って思ってしまった。