泣き虫健気エースはマネージャーの俺が好きらしい

 目を開けると、俺は地元球場の選手ベンチに座っていた。
 周りを見れば、選手たちがグラウンドで整列をしている。スコアボードは3-2。11回まで続いている。全員その後ろ姿は土にまみれ、背中や肩を悔しそうに震わせていた。
 そのうちの一つ。背番号13番の選手が目に留まる。

 思い出した。これは去年の夏の記憶だ。
 夏予選準決勝で、延長にもつれ込んだ接戦をした。だけど、惜しくも俺たちは敗退した。
 選手たちが一礼し、応援席の挨拶に駆け出す。当時、背番号13番だったーー雨宮が、目元を真っ赤にして歯を食いしばって走る。

 ベンチに戻った部員たちは全員、目を腫らしていた。雨宮は自分の鞄に強く拳を振り下ろしていた。何度も何度も、実力不足だった自分を(いまし)めるように、周りの部員たちが制すが、その手は止まらなかった。

『絶対、勝てた…! クソ、クソッ…!』

 手を腫らし、唇に血が滲むほど本気で悔し泣きをするその横顔に――目が離せなかった。
 涙や汗、泥でぐちゃぐちゃになって、本気で野球とまっすぐ向き合って生きる雨宮の涙が、胸をざわつかせた。

『怪我すんなって言っただろ』
『勝ちたかった、勝ちたかったです。俺…っ!』

 痛々しい姿が見ていられなくて、背中や肩をそっとさする。すると、雨宮は手を止めて、顔を自分の手で覆い、嗚咽を漏らした。

 ああ、そうか。もしかして俺は、あの時から――







 再び目を開けると、見覚えがある真っ白な天井が見えた。この天井は、保健室だ。
 どうやら、あのあと俺は保健室に運ばれてベッドに寝かされたらしい。

 右手を握られている感覚がして、顔だけ起こす。近くの丸椅子に座る雨宮が壁に寄りかかって、俺の手を握っていた。
 その両目は、しっかり閉ざされているのに、寝息が全く聞こえない。おまけに握られた手にかなり力がこもっている。
 寝たふりされているのがわかった。何やってんだと言いたくなったが、都合が良かったので気づかないふりをした。

「…ずっといたのか?」

 問いかけてみるが、雨宮は答えない。
 寝たふりして様子を伺っているなら、少しちょっかい出されても文句ないはずだ。心の中で悪い笑いをし、独り言のように呟く。

「手、痛いな」

 すると、握られていた手の力が急に抜けていく。素直すぎる雨宮に内心感謝して、目を瞑ったままの雨宮と向き合う。

 心臓がトクトクと落ち着かない。頭の中で雨宮との思い出が駆け巡る。
 隣にいてくれた雨宮の存在が大きすぎて、隣にいるのが当たり前すぎて、世話を焼くのも、告白してくれたのも普通になっていた。
 だけど、こいつが昨日俺への好きを全力で伝えてくれたおかげで、雨宮に抱いていた自分の感情にようやく名前をつけられた。

「なあ、雨宮。3つ知らせたいことがあって。悪いニュースといいニュースとめっちゃ良いニュースがあるんだけど、聞いてくんない?」

 柄にもなく緊張する。絶対、雨宮ならこの気持ちを受け止めてくれる。大丈夫と思っても勝手に指先が震えた。

「悪いニュースなんだけど。俺、ものすごく鈍感だった」

 苦笑いして告げれば、知っていますと言いたげに雨宮の眉間が寄った。
 ベッドから降りて、俺は雨宮の目の前に立つ。ギシッとスプリングの音が部屋に小さく響き、近づかれた気配を察した雨宮は、少し肩が跳ねていた。

「いいニュースは…お前に好きってたくさん言われて――やっとわかったんだ。自分の気持ち」

 不意打ちの言葉だったのか、雨宮は驚いて目を瞑ったまま口を大きく開けた。
 寝たふり本当下手くそだな。本当、可愛い。好きだ。

 寝坊助なフリする悪い雨宮の両頬を包むように撫でてやった。

「めっちゃ良いニュースは……今すぐ、ちゃんと好きって言いたいんだけど」

 俺の気持ち、少しでも届けばいいな。なんて手に熱を込めて、日焼けで浅黒い皮膚と柔らかい頬が壊れないように、撫でた。

「なあ。目、開けてくんねーかな? 雨宮」

 自分でも驚くくらい穏やかで優しい声で名前を呼ぶ。雨宮は恐る恐る瞼を持ち上げ、耳まで真っ赤になっていた。

「…先輩。チョロすぎて心配ですよ」
「お前にだけチョロいんだよ。きっと」

 今までの仕返しも込めて、自分から抱きしめてやった。油断していたのか、雨宮は仰天したような小さな悲鳴を漏らし、全身から汗が吹き出していた。
 俺の言葉や行動で、こんなに焦って、可愛いな。

「好きだ。雨宮」

 精一杯、その体を抱きしめる。
 野球に真剣に打ち込んでいる姿。手先が不器用で満足にテーピングも巻けない情けないところ。寝起きが悪くてちょっと掠れた声。俺の前だけよく泣いて、泣き虫なところ。
 そして1年以上ずっとこんな俺を好きでいてくれたところ。全部好きだ。

「引退しても、高校卒業しても……きっと大人になっても、俺…お前がずっと隣にいて欲しいくらい好きだ」

 好きが溢れて、止まらなかった。何で俺、ずっと気づけなかったのか不思議だった。
 雨宮の顔が見たくて、一旦体を離す。すると、今にも泣き出しそうなほど目が潤んでいた。

「だから…これから先も、雨宮瑛二のそばで支えてもいいか?」

 ニカっといつものように笑顔をつくった。
 途端に、雨宮の涙が引っ込んで「あー」だの「うー」だの壊れた玩具のようにうわ言を繰り返す。そして、両腕で自分の胸の前にTの字をつくる。

「ちょ、ちょっとタイムとっていいですか?」
「何のタイムだよ?」
「えっと…好きの摂取量が許容範囲超えているというか…」

 耳から煙でも出ているんじゃないかと錯覚するほど、雨宮は目を回している。
 その言い訳が不満で、つい唇を尖らせてしまう。

「何だよ。俺、まだ言い足りないんだけど」
「いきなり好きな人にプロポーズされたこっちの身になってくださいよ!!」

 部屋中に響くほどの大声で耳がキーンと鳴る。だが、言われて気づいた。
 確かに、好きを伝えるついでに将来のことを言っている。これは告白というよりプロポーズが正しいのかもしれない。

「……まあ、間違いじゃないし。別にいいんじゃないか」
「何でそこは動揺しないんだよ!? いくら何でも吹っ切れすぎですよ!」
「吹っ切れたというか…なんか、実はずっと前からお前のこと好きだったみたいってことに気づいて。腑に落ちたというか。かなりお前が好きってわかったからかな」

 包み隠さず事実を告げると、雨宮は頬がほころび、ニヤニヤと少し気味の悪い照れ隠しの笑みを浮かべる。

「へ、へえー。まあ、ほぼ確信してましたけどね。俺のこと好きだって」
「ああ。多分、去年の夏くらいから好きだった」
「去年の夏ですか。はいはい、そうでしょうね…」

 うんうんと、何度も頷いた雨宮だったが、不意に動きを止める。そして急に驚愕の表情を浮かべて俺の腕に掴みかかった。

「待って去年!? 1年前の夏!? 今年の春か夏からじゃなくて!?」
「え? そこには気づいてなかったの?」
「いやもっと後かと…マジかー。そんな前から…? じゃあ、もっと前から積極的にアピールしてたら割とすぐ付き合えてたんじゃ!?」
「かもなー。お前は俺のこと去年の春くらいから好きだったらしいし」

 から笑いをすれば、雨宮はひどく落ち込んで、ズーンっと肩を落とした。
 なんだかいたたまれない気持ちになって、その肩をさすって励ました。

「まあ…お互い気づくまで1年くらいかかったけどよ。これから先は長いはずだし。気にしなくていいんじゃねーの?」

 よしよしとさすっていたそのとき、雨宮がじっと俺を見上げる。
 その色っぽい目線に、目を背けたくなった。

「先輩…キスしていい?」

 ドキンドキンと、心臓がうるさくなる。雨宮の少し皮がめくれた赤い唇を目で追ってしまう。
 いくら吹っ切れて好きを自覚しても、いきなり恋人らしいスキンシップを提案されて、困惑してしまう。

「それは、追々(おいおい)で…頼む」

 口から勝手に言葉が出た。
 すると、雨宮が不満げに口をキュッと結ぶ。

「追々って…いつですか?」
「甲子園大会が終わったら…かも」
「それ勝ち続けたら秋になっちゃうやつじゃないですか!」
「それくらい待って欲しい…真面目に」
「えぇ…なんでですか?」

 不機嫌そうに見上げる雨宮に、少し苛立つ。何でって、察してほしい。
 きっと言葉じゃわからないだろうと、俺は雨宮の手を取って自分の胸の中心を触らせた。

「俺も、いっぱいいっぱいなんだって。今キスされたら、マジで心臓止まるから」

 震え上がる声を抑えながら、自分の鼓動を確かめさせる。
 わかったかと目で訴えれば、雨宮は空いた片手で自分の顔を覆い天を仰ぐ。喉から嘆くような深いため息をついていた。

「大丈夫か?」
「誰のせいだと思ってんですか!? さっきから大胆すぎるんですよ! 鈍感なのは相変わらずなんですね」

 唐突にキレられて、思わず首を傾げた。
 なんで今、怒られたんだ。触った方が、わかりやすくていいと思ったのに。
 悶々と考えていると、雨宮が俺の手を握る。指と指の隙間を埋めるように絡ませるーー恋人繋ぎをした。
 意識すると手汗が滲み出し、また心臓が暴れ出した。

「夏流さん!」

 突如、下の名前を呼ばれてさらにドキッとする。顔を上げれば、雨宮は花火のように綺麗な満面の笑みを浮かべていた。
 その笑顔に思わず、魅入ってしまう。

「俺を好きになってくれて、ありがとうございます。俺、今すっごく幸せです!」

 その無邪気な表情と言葉に、多幸感で胸が満たされる。
 だけど、やっぱりウチのエースは少し残念だなと思った。

「そこは『だからあんたを幸せにしてみせます』くらい言えよ。ばか瑛二」

 瑛二の肩を引き寄せ、頬に唇を寄せた。一瞬だけ触れて、離れると瑛二の顔が茹で上がったタコのように赤くなった。
 その赤面と、衝動的な自分の行動が信じられなくて、変な照れ笑いが出る。今日何度目になるかわからないくらい、顔が熱い。
 顔を背けると、痛いくらい強く手を握られた。

「い、今のはキスですよ先輩! これはいいんですか!?」
「俺からのはノーカンだから」
「なんですかその屁理屈! 俺からキスしたいのに!」
「お前からのはまだ無理! 我慢しろ!」
「自分は我慢できなかったのにそれズルくないですか!」
「俺は先輩だからいいんだよ!!」
「じゃあ年上なら年下のわがまま聞いてくださいよ!」
「ダメだ。年下なら年上の言うこと聞け!」
「うわぁ!? そこで年上パワハラする!? あり得ないんですけど!」

 瑛二との押し問答は、俺が保健室に運ばれたことを知っている他の野球部員が来るまで続いた。

 その後、野球部員たちに俺たちは祝福され、キスできるようになるまで、本当に秋まで掛かることになったがーーそれはまた別の話。


おわり