泣き虫健気エースはマネージャーの俺が好きらしい


 灼熱の太陽、身体中の汗で張り付くユニフォーム、燃えるように暑い皮膚に、耳に劈くセミの鳴き声、ひりつく視線。
 スコアボードとペンを構えた俺は、対戦相手の投球を観察する。高い制球力とキャッチャーのリード力が光り、こちらの打線を翻弄していた。

 6回表、0-2のビハインド。ランナーなし。
 こんな追い込まれた場面で一番頼りになるエースがネクストバッターボックスへ向かおうとする。

雨宮(あめみや)

 俺はそいつの名前を呼ぶ。
 真剣な顔つきをしていた雨宮は、少し意外そうにこちらに振り返った。

「いけ。お前ならいける」
「…トーゼンですよ! 見ていてくださいね。先輩」

 エールを送れば、雨宮は白い歯を見せてピースをしてきた。
 ヘルメットを被り直した雨宮は、駆け足で舞台に向かった。

 雨宮の前の江藤が凡打でアウトになってしまう。これで2アウト、ピンチだ。
 だが、雨宮瑛二(あめみやえいじ)という男は、こういう追い詰められた時ほど本領発揮することを俺は知っていた。

――カキーン!

 相手ピッチャーが投げた渾身のストレートを、外野席までかっ飛ばした。
 見事なホームランに、味方ベンチが立ち上がり、塁をまわる雨宮に賞賛の声を上げる。
 ホームベースを踏んだ雨宮はチームメイトたちに背中や頭を叩かれ、もみくしゃに祝われる。

矢吹(やぶき)先輩! 今の俺の活躍、見てました?」

 ベンチに帰ってきた雨宮は――マネージャーの俺を熱烈な目で見てくる。

「おう。気持ちいい当たりだったな」

 見てるってさっき宣言したし、マネージャーだから記録つけるために見るに決まってんだろ。

 心の中で呆れながら、拳を突き出す。雨宮は途端に、ぱぁあっと満開のヒマワリのような眩しい笑顔で、同じように拳を突き合わせる。
 こつんっとグータッチすると、雨宮はたぎるように両肩を震わせ、両手を掲げる。

「しゃあー! 次もホームラン打って勝ちますね!」

 その次の打席、調子に乗った雨宮は空振り三振に倒れてチームは負けた。






「ぜんぱい…ごめんなざぃい!」
「泣くな泣くな。練習試合だからまだよかったな」

 チームミーティングが終わり、俺と雨宮はファーストフード店で食事をしていた。
 試合直後、監督から愛のある厳しいを受け、雨宮はすっかりしょげていた。チームメイトたちがドンマイと慰めていたが、本気で落ち込んだ雨宮はため息ばかりついていた。

 こいつ――雨宮瑛二は、青蘭(せいらん)高校2年生野球部のエースでショートだ。
 優れたバッティングセンスと、飛んできたボールに素早く反応して堅い守備を持ち合わせていて、2年生なのに、まだまだ伸び代があるすごい奴。
 だけど、メンタルが弱いくせに調子に乗りやすい性格のせいで、イマイチ最後を締められないことが多い、ちょっと残念なエースだ。

 そんな豆腐メンタルな後輩エースの前でポテトを頬張る俺は、矢吹夏流(やぶきなつる)
 3年のマネージャーで、主に雨宮の世話焼き担当をしている。
 元々は選手志望だったが、色々あってマネージャーとしてチームを支えている。

 そして、現在は悔しがって机に突っ伏しているエースにバーガーとポテトを奢って、メンケアをしていた。
 ぐずっている雨宮の手元にある包み紙に一切手をつけられていない冷めたバーガーを指差した。

「この限定チーズバーガー美味いぞ。ほらほら、今日は俺の奢りだから食えよ。食べないと食べるぞ。俺が」
「…いいですよ。俺、食欲ないんで」

 涙目の雨宮は新しく登場したばかりのバーガーを俺に差し出してきた。俺はそれを自分の方に引き寄せる。

「あっそ。じゃあ本当にもらうぞ。いいのか?」
「それ、先輩好きでしょ。顔が美味しい〜って言ってましたし」
「おう。実際美味いし、かなり好きな味だな」
「……なら、どうぞ。俺、チーズ苦手ですし」
「マジ? んじゃ、遠慮なくもらうわ」

 念入りに確認を取れば、目を逸らされながら了承された。本当に好みの味だったので、献上されたのはラッキーだった。
 雨宮からもらったバーガーを一口、がぶっとかぶりつく。溶けたチーズの香りと肉が口に中でとろけて美味い。
 夢中になって頬張ると、雨宮は小さく笑う。

「ふふっ。リスみたいですね」
わわうぁ(笑うな)
「何言ってんのかわかんないですよ。ゆっくり噛んでからしゃべってくださいって」

 落ち込んで涙目だった雨宮は、俺の食いっぷりに笑みをこぼしている。
 この一瞬で吹っ切れたのだろうか。毎回、メンタルが折れてから復活するまで割と早いんだよな。特に俺がメンタルケアしなくても勝手に元気になることが多いし。

「元気なった?」
「えっと…まだ、かも」
「そっか」

 雨宮が悩ましげに眉をひそめ、視線を机へ落とす。コーラを飲みながら、雨宮の表情をじっと観察して、嘘は言っていないと直感で分かった。
 どうやら、まだ本調子で復活はしていないらしい。

「ホームランの後の空振り、そんなショックだったん?」
「だって、俺が活躍していたら勝てた試合だったし……先輩に、もっと……格好いいところ、みせたかった」

 いじけるように雨宮は唇を尖らせる。目をパチパチとまだたきして、俺は首を傾げた。

「格好悪くても俺、お前に幻滅とかしないけど」
「せ、先輩…!」

 雨宮は顔を上げ、好きなおもちゃの前で耳をパタパタとする犬のように目を輝かせる。

「野球以外だとお前、割とだらしないしな。調子乗ってトロールやらかすのも何度も見てきたし。今更だろ」
「そんなぁ、先輩!」

 ストローでコーラと氷をかき混ぜながら、事実を言えば、雨宮は落胆して再び涙目になった。
 実際、雨宮が試合で調子に乗ってやらかすのはこの約1年半で知っていた。それに、この男は野球以外だとポンコツだった。

 勉強はテストで毎回赤点ギリギリ。朝も弱くて俺のモーニングコールがなきゃ起きられない。不器用すぎて自分でテーピングしようとすると、毎回ぐしゃぐしゃにするから、俺のところに来て手首を差し出してくる。
 顔はそこそこ整っているのに、遊びに行く時の私服が「I’m America」なんて紫色の文字で書かれたクソダサ緑Tシャツを着てきた時は、正気じゃないと思った。

 こんな風に雨宮は、頼れるエースとして活躍している一方で、裏では俺に頼りっぱなしの可愛い後輩だ。そんな雨宮の素を知っているので、野球で失敗したところで幻滅はしない。
 だが少し、素直に言いすぎたようだ。さっきよりは顔を上げてくれているが、不貞腐れている。

「まあ、お前がどんだけ格好悪いプレーして落ち込んでも、元気になるまで側でメンケアするからな。格好つけるのはまた元気になってから、やってくれ」

 トントンと、少し俯いている雨宮の肩を叩く。雨宮の顔がゆっくり上がって、こっちを見た。

「本番で、俺に格好いいところ見せたいなら、いつもみたいに俺の前で笑ってくれよ。エース様」

 ニカっと、歯を見せるように笑ってみせる。
 こいつをいち早く元気にさせるには、笑うところを見せればいいのを知っていた。

 すると、雨宮は頬を赤らめる。口を少しひきつらせ、目をしかめた後にーー真剣な顔つきで俺の手を強く握った。

「好きです先輩。付き合ってください」

 店内の陽気なBGMや周りの客の騒めきが一瞬止まった気がした。
 目を潤わせている雨宮の聞き飽きた告白に、手を握り返してやった。握り返した途端に、雨宮の耳が赤くなる。

「はいはい、俺も好き好き」
「あーもう! また俺の渾身の告白スルーしないでくださいよ!」

 棒読みで適当に返事すれば、雨宮はため息をついて手を離す。眉間に皺を寄せてこっちを睨みながら、自分の手元にあるコーラをストローで一気に飲み干した。
 大きくて汚いゲップを吐き出す雨宮に、俺はついクスクスと笑ってしまう。

「お前も飽きないなその告白。1年も続けて」
「マジで好きが溢れて告ってんのに、この人はもう〜!」

 ドンドンドンと、雨宮は小さく机を叩き続け、カップやポテトたちが小刻みに揺れた。
 行儀の悪いそれを指差して注意する。

「コラ、机叩くのはやめなさい。迷惑でしょうが」
「オカンみたいなこと言わないでくださいよ!」

 注意した途端に、雨宮は「う〜…!」と唸って、手を止めた。
 なんだかんだ俺の言うことは素直に聞くんだよな。こいつ。

 怒りが治んないのか、雨宮は不機嫌な顔つきでこちらを見た。

「諦めませんから。先輩に、好きって言わせるまで、告白し続けますから」
「…好きとは言ってるだろ」
「俺が欲しい『好き』じゃないから嫌です!」

 ガキかよ。と、心の中で突っ込んだ。
 雨宮がこうして俺に告白するのは初めてじゃない。1年前のある日から、ほとんど毎日告白している。
 告白にタイミングはいつも唐突で、例えば朝の挨拶と同時に言われたり。俺が雨宮にテーピング巻いている時に言われたり。帰りの電車の中で言われたり。こうして会話の最中にも言われる。

 よくもまあ、1年もそのノリが続けられると思う。

「大体、お前の求める好きって何? 今のままじゃ嫌なわけ?」
「嫌です」

 呆れつつ聞くと、即座に雨宮は首を激しく振った。

「俺は、先輩の一番になりたいのに…先輩は、俺が一番じゃなくても平気そうな感じ出されるの……すごく、不公平じゃないですか」
「……あんま難しいこと言うなよ」
「難しくないですよ。わかってるくせに…」

 そんな気持ちを吐き出されても、困るものは困るし、どう言い返せばいいかわからない。
 胸の辺りが霧が掛かったかのように、モヤモヤとして落ち着かなくなる。
 これ以上話を続けるのはなんだか危険な気がして、話題を変えることにした。

「それより来月の本番、頑張れよ」

 今日は練習試合だったから、まだ逆転負けされてよかった。だが、3週間後に夏の甲子園大会予選が始まる。
 この予選で一度でも負けたら、3年生は俺を含めて全員部活を引退して、受験シーズンに備えて勉強に本腰を入れる。

 雨宮とこうして、気軽に会えなくなるだろう。

 何故か、またモヤモヤした感覚がして、ストローを思い切りかじってしまう。
 すると、雨宮が俯いた。そして、また真剣な顔つきになる。

「先輩。今、あーんしてくれたら、次の試合も俺、めっちゃ頑張れると思うんですけど」

 ……何を、言ってんだこいつ。
 喉から言葉が出かかったが、なんとか堪える。

 雨宮は、しなびいたポテトをじっと見つめ、自分の口元をトントンと指差す。「あーん」を促しているようだ。
 なんでそんな恋人の馬鹿げた真似事ことしなきゃならんのだと、ジト目で訴えるが、雨宮はポテトと自分の口元を交互に指差して、無言で「あーん」の要求を強調してきた。
 嫌だと首を振ると、雨宮が堪らず声を上げる。

「してくださいよ先輩。俺のモチベ上げは大事ですよね? 『あーん』してくれなくて、俺がやる気なくなったら先輩のせいですよ」
「そんな下心をモチベにして頑張るなよ」
「はぁー…わかってないな本当」
「なんでお前が呆れているんだよ」

 雨宮は人差し指を立てて、説明し始めた。

「いいですか先輩。下心パワーってすごいんですよ。先輩が俺の活躍を見て嬉しくなるみたいに、先輩が俺のためにしてくれるご奉仕は俺の最大限のモチベになります」
「真顔で自分の生態を赤裸々に言ってくるあたりガチなんだな」
「ガチですからね! なんで信じてくれないんですか!?」

 テーブルを掴んで前屈みになる雨宮に、俺はその情熱を少しだけでも野球に向けてほしいと切実に思った。
 呆然としたが、チームのエースのモチベ上げは確かに大事だ。これ以上俺が断っても、駄々をこねたられ続けるだろう。仕方ない。
 そこまで、して欲しいなら応えてやるべきだろう。

 なるべく長めのポテトを摘み、それを雨宮の眼前に差し出した。

「ほい。こんなんで本当に頑張れるのか?」

 雨宮はポテトをじっと眺める。一瞬、口を開いたが、すぐに引っ込んで首を振った。

「先輩…『あーん』って言ってやってくださいよ。モチベが上がりません」
「要求多いな」
「ねえ、先輩」
「わかったわかった。ほら、あーん」

 口に近づけたその時――雨宮が俺の手首を掴んで、ぐっと引き寄せてきた。

「え?」

 驚く間もなく、雨宮はポテトをポッキーのようにポリポリと食べ進める。思わず指を離すが、雨宮はポテトの端まで食べ終えると、俺の指先をパクりと口に含んだ。

――ちゅっ。

 指先から、あり得ない音がした。頭が一瞬で真っ白になって、思考停止してしまう。
 だが、次の瞬間――生暖かい雨宮の舌が、指を舐めてきた。

「ひぃ…!?」

 背筋がゾクっとして正気に戻った俺は、手を思い切り引っ込める。
 あっさり解放されたが、指先についた唾液が、照明にあたって生々しい感触がまだ残っているようだ。

「おい馬鹿、何してんだ…!」
「へえ。先輩も動揺するんだ」
「す、するだろ。今のは誰だって…!」

 声をなるべく落として、雨宮に詰め寄る。声が震えて狼狽える俺が面白かったのか、満足げに笑っていた。
 だが、すぐに雨宮は目を細めた。

「もう…時間もないし。やるしかないと思ったんで」
「はあ?」

 意味不明な呟きをした雨宮は、そっと耳元に顔を寄せてきた。

「先輩…俺を好きになってもらえるように、今日から本気出しますね」

 その低く囁かれた言葉に、何故か心臓が大きく跳ねた。
 再び見た後輩の本気の顔に、違う男を見ているようで少し恐ろしかった。