
カラン――。乾いた鈴の音を立て、バーの入口のドアが開かれた。
「……?」
人――? ではない、何か懐かしい気配が上ってくるのを感じた。
誰だろう。ジオフロントにAIロボ以外の住人はいないハズだが。
『コマリマス、オキャクサマ』
「……」
扉の向こう、カウンター側からロボマスターの声が聞こえてくる。
『ダレモイマセン、オヒキトリヲクダサイ』
人工音声が困惑気味に対応している。何やら一悶着している様だ。
『オヒキトリヲ――ギガあッ!』
パキャ……ゴトン。金属がひしゃげる耳障りな音に落下音が続く。
『……ピィィーーーーー……』
壊れたスピーカーの様な人工音声が暫く鳴り続け、……止まった。
「……ッ」
ガチャ。異常を感じて扉を押し開け外の様子をそっと窺うジュン。
キュィ――。微かな電子音がした。扉の隙間から覗くのは……猫?
「見つけた」
「……ッ!」
ガチャ、――ドンッ。強い力で扉が開くのを、強引に押し留めた。
紅いショートカットの髪。深紅のネコ眼。一目でハヤカワと解る。
「……」
ハヤカワコズエ――。神霊力ウリエルを体内に宿したサイボーグ。
深紅色の短髪の美少女。大抵は茜色のスリムスーツを纏っている。
「開けてよ」
「……くッ」
グググ――……。扉を挟んで拮抗する力。力負けしてゆくジュン。
カミュのジオフロントにどうやって? 理解が追い付かない――。
◇
パシッ――…。
過去の一場面がまるでフラッシュバックの様に記憶の縁に蘇った。
そよ風が心地よい新緑地帯で、涼んでいた時の光景だろうか――。
「私にはね、感情が、……余り解らないの」
「まぁ、元来が大人しいのと、それにまぁ」
サイボーグ化した後遺症があるのかも……その言葉は呑み込んだ。
「それに、何? 何か私に、欠陥がある?」
美貌を横に、感情の籠らない紅い眼が凝っとジュンを睨み据える。
「いや、そんな事は言ってないだろ……?」
内心肝を冷やしつつ、ジュンは相手を怒らせない様、声を潜める。
「……仕事熱心過ぎるンじゃないかな……」
「私が? 仕事魔? そうなの、……かな」
「たまには、身体を休ませる事も大事だよ」
「……ありがとう……意外と優しいね……」
「一言余計な気もするけど、まぁ、いっか」
感情の籠らない一本調子な低い声音が、印象的な少女ではあった。
サイボーグ化の影響もあり、戦に特化する内に感情鈍麻が進んだ。
本人は承知の上と抗弁するが、上層から酷使されてきた被害者だ。

「……ッ」
咄嗟に思考を巡らせるジュン。直ぐに一つの可能性に辿り着いた。
恐らくは、カミュが寝ている間に亜空間の隠蔽力が薄まった――?
「――待てッ、少しだけ待ってくれ!」
「……どれだけ?」
抑揚のない声音。感情のみえない口調はハヤカワに特有の声質だ。
「じゃあ、一分間」
「……一分だけね」
苦し紛れに言い放ったリクエストが、意外にもすんなりと通った。
「……?」
アンティーク扉を押す力がふっと弱まる。要望を聞き入れた様だ。
意外過ぎる襲撃者の反応に内心驚愕するジュン。話せば解るのか?
◇
シーン……。不穏さが漂う、不気味に静まり返った黄昏時のバー。
時間的猶予はない。暗がりの部屋を見渡す。一か所だけ窓がある。
「……ッ」
――ドゥ。
寝ているカミュを背中に背負い、脱出すべくジュンは窓縁に寄る。
シャッとカーテンを開けると、煌めく黄昏の近未来都市が映った。
バリィン――。
乾き音を立て割れる窓ガラス。冷えた外気が室内に流入してくる。
扉の向こうは沈黙を保っている。襲撃者が入って来る気配はない。
「――ッ」
好機。ジュンはカミュを背負ったまま窓枠を蹴り、街路へ跳んだ。
――ザッ。
湿ったアスファルトの路面に着地する。人気は殆どない街路地だ。
体感、まだ数十秒程は猶予が残っている。行方を眩ますなら今だ。
「……ッ」
ダダ――ッ。
脱兎の如く、その場を逃げるジュン。この時の為の健脚であった。


