――ヒュォッ。
手狭な回廊を阻む翼竜の鋭い鉤爪の一撃が、ジュンに降りかかる。
「――くッ!」
駄目だ、回避が間に合わない。覚悟に眼を瞑るジュン。直後――。
キュルルルル――……。
鋭利な風切り音が虚空を奔る。頭上でモンスターの絶叫が湧いた。
『グゲァアアアアッ!』
――ザンッ!
大気が振動する。肉を斬る斬撃音を伴い、紅蓮の血煙が舞い散る。
「……ッ?」
「どしたよ、ボーっと間抜け面して」
予期していた衝撃も痛みも無い――。ゆっくりと眼を開くジュン。
見やった薄暗がりの回廊の隅に、狼の様な風貌の男が立っている。
黒ズボンに黒ジャケットをラフに着崩した、長身かつ細身の男だ。
色黒で血色が悪く、長めの前髪をポマード風に後方に流している。
「今回の敵はジェラルドの旦那だ……。油断してっとやられるぜ」
「……お前は?」
「ん? あぁ。儀式後で、まだ記憶が曖昧なンだっけな」
「……儀式……?」
キュルル――……パンッ!
独り言ちながら、男が慣れた手捌きで視認し得ない何物かを掴む。
「俺はジャッカルだ。当然、覚えてンだろ?」
「……ジャッカル?」
「くそがッ、忘れてンじゃねーか。まぁ簡単に説明してやっからよ」
ユラリ――……。
講ずる男の影が揺らいだ。と思った矢先、男はジュンの傍に居た。
「……ッ?」
瞬間移動――? 驚愕を隠せないジュンの眼前で、男が講釈する。
「あんたが隠居して以来さ、後釜を付け狙う連中が後を絶たねぇ」
隠遁後の束の間の平和を、闇で覆いたい勢力が居る、という事か?
「俺が、……隠居?」
「職務を放棄して隠遁生活を送ってるって聞いたが、違うのかい?」
ジャスティンの正体をはっきりさせる、今がチャンスだと思った。
「……俺は一体、何なんだ? 何者で、今まで何をしていたんだ?」
「ンだよ、重症かよ」
面倒臭そうに舌打ちすると、男は強い断定口調で厳然と言い放つ。
「あんたはエスパス大陸を牛耳る魔王様だったンだ。それがこの様だ」
「魔王……俺が……?」
俄に信じ難い言葉だったが、ジャッカルの眼は至極真面目だった。
「だった、……つったろ? 嘗てのあんたはそりゃ立派な暴君だった」
「……だった? 過去形か……」
「今のあんたは威厳も自尊心もない、王女の飼い犬みてーなもんだろ」
「――ぅ、ぐッ!」
返す言葉がない。ジャッカルの侮蔑の一言がジュンの心に刺さる。
ジャスティンは、事もあろうに一国の王女に骨抜きにされていた?
「……くッ」
声が詰まる。代替えの立場とはいえ、身につまされる思いだった。
魔王ジャスティンは、我が儘王女に恋をしていたのだろうか――?
「……ぅッ」
だとしても今ジュンを苛んでいるのは、余りに無情な現実だった。
カミュには召使の如くこき使われ、嘗ての仲間からは愚弄される。
異世界で「彼」が疲労困憊に陥った原因が暗に理解った気がした。

