「……こっちだッ」
 ――突然、男の鋭い声が疾呼した。
「?」
 瞠目するジュンの眼前で、またも景色が変遷する。
 中世の部屋だったものが、次第にその姿を変えてゆき……とある懐かしみを帯びた夕暮れ時の山麓へと映り変わった。
「……?」
 夕暮れ時の山麓は、鬱蒼とした森に覆われ、ほぼ真っ暗だった。
 ザァ――。
 やや遠方から懐かしい潮騒の音が聞こえる。近くに海があるのかもしれない。
「……」
 森の方、生い茂る木々に眼を凝らした。
 ふと、妹の失踪事件が頭を過る。確か妹が居たのを覚えている。
 あれからおよそ十年ほどが経過……した気がしたが、記憶が定かではない。
「……こっち」
 最初は耳を疑いかけた。が、確かに――暗がりから微かな男の声が呼んでいる。
「……こっちだ」
 ザッ――。
 幽玄の様なその音色に誘われ、ジュンは夢遊病者の様に森の奥へと歩を進めていった。
「ぜぇ……」
 冷えた汗が背を伝い流れる。
 気付けば、ジュンは暗い獣道を彷徨っていた。先ほど迄の体の傷が癒えているが、不思議と驚愕はなかった。
 サァ――。
 風で霧が晴れ、鳥居が薄っすら見える。先には苔むした階段が上へと伸びている。
「……こっちだ」
「ぜぇ……」
 ザッ――。
 登坂を終えると、そこは広い庭園だった。
 本殿と思しき建物から薄明かりが漏れている。
「……こっちだ」
「ぜぇ……」
 ザッ――。
 参道を過ぎ扉の前に立つと、中から男のしゃがれ声が、今度ははっきりと聞こえた。
「ここだ……扉を開けてくれ。僕はもう……ピクリとも動けない……」
 ……動けない……?
 言葉のニュアンスも良く解らず、ジュンは何らかの使命感に突き動かされる様にして本殿へと続く木造りの階段を……慎重にあがってゆく。
「あぁ、解った。……待ってろ」
 ぎぎぎ……。
 錆付いた音を立てて、木製の錆びた観音開きの扉が開かれてゆく。
「……」
 揺らめく薄明かりで中がぼんやり視認出来る。小さな間取り。四隅で蝋燭の火が揺れている。
 その狭い室内は、古めかしい呪印の書かれた護符の様な札が所狭しと張り巡らされており、まるで結界の様だ。
 ユラユラと揺らめく蝋燭の薄明かりを追った上座に、一体の黒い影が鎮座している。どうも項垂れているようだ。
「……よく来てくれた」
 しゃがれ声を発し、影が気怠げにゆっくりと顔を持ち上げてジュンに視線を向けた。
「……待ってたんだジュン。……君を」
「ッ!」
 信じ難い面持ちでジュンは大きく眼を開く。その男の顔貌は、まさに自分と瓜二つだった。