Excalibur



 ザザァぁ――……。
 潮の匂い。潮騒の音が耳に心地よい。正午の日差しを浴びて煌めく湖面。
「はぁ、はぁ。確か、ここだけど……」
 息を整えるディアナ。走って、セレスの邸宅である修道院前に到着した。
 石造りの修道院。手前の正門では、例の門番二人がだらしなく寝ていた。
「ぷっ。っんとに、だらしないなぁ~」
 失笑を堪えつつ、無人の正門を潜り抜けて、上階への螺旋階段を上がる。
「セレスっ。セレスっ」
 囁き声を発しながら、ディアナは入り口のドアをコンコンとノックする。
「……お姉、ちゃん?」
 ガチャ、ギィ、……。
 ロックが解除され、中から外出用ドレスに着替えたセレスが姿を現した。



「ぇ? ……また会いに来てくれたの?」
「もっちろんっ。ほら、早く行くよっ!」
 箱入りの令嬢を元気づけようと、ディアナはありたけの笑顔で胸を張る。
「……ぅ、ぅんっ」
 こくんと小さく頷きながら、セレスは沈鬱に沈んだ眼を次第に輝かせた。 
「……でもっ、また勝手に出歩いて怒られないかなぁ……」
「? 怒られるって、誰に? この館に他に誰か居るの?」
「……。ぅん。怖い人が居るんだ。怒るととっても怖いの」
「それは誰? 良かったら、お姉ちゃんに教えてくれる?」
 慎重に尋ねるディアナ。迂闊に刺激する事は、逆効果にもなりかねない。
 それに、あらかた目星はついていた。叛逆者ハーデスに違いないだろう。
「駄目だよ。……名前、言ったら、怒られちゃうから……」
「そっかぁ。……だったらいいよ。一旦、外へ出よっか!」
「ぁ、……ぅ、ぅんっ。そ、そぅだねっ! お姉ちゃんっ」
 半ば無理やり手を引っ張ると、ディアナは幼いセレスを外へと連れ出す。
 押し問答は埒が明かない。手っ取り早い方が良い。外界には魅力がある。
 タタタ――……。
 日差しを浴びながら、大通りを通り過ぎて、山麓の方へと走っていった。
「こんだけ走れば、もう怒られないっしょ?」
「はぁ、はぁっ。ぅんっ。そ、そぅだねっ!」
 パァ――。セレスの暗い美貌に明るい光が差し込む。安堵するディアナ。
「斜面が急で滑りやすいよっ。気をつけてね」
「……はぁ、はぁ……っ。わ、わかった……」



 ザッ、ザッ――。
 先導するディアナに従い、セレスが一生懸命に獣道を駆け上がってゆく。
 瀟洒なドレスはすっかり泥に塗れ、肌着は枝葉に引っ掻かれ解れている。
「もう少しだよ、ほら、セレス、がんばれっ!」
「ぅ、ぅんっ。お姉ちゃん、待っ……きゃあっ」
 ズザァ――……、――ガッ!
 泥濘に足を滑らせるセレスの伸ばした手を、間一髪でディアナが掴んだ。
 ギ――……。細かく震える手。セレスを懸命に引っ張り上げるディアナ。
「諦めちゃ駄目だよっ! もう少しだからっ!」
「……ぅ、ぅんっ」
 グ、ググ――、ググ――……。
 歯を食い縛るディアナ。呼応するセレスの身体が上方へと浮上してゆく。



 一分後。斜面からセレスを無事に引っ張り上げ、二人は寝そべっていた。
「はぁ、はぁっ。はぁ……。ありがと……」
「危なかったね。ぁはは。……ぁはははっ」
 折り重なる様にして仰向けに空を見ながら、ディアナが愉快そうに笑う。
「どぅ、……セレス。少しは吹っ切れた?」
「ぁ、ぅん……。そだね。ちょっとだけっ」
 ぁははははは――っ。
 横目で窺うセレスの顔が満足気に輝いている。声を出して笑い合う二人。



 ギャー、ギャー。
 奇っ怪な鳥の鳴き声がこだましている。鬱蒼と茂った山中を上へと登る。
「着いたっ。頂上だよ、セレスっ!」
「……わぁ……っ」
 おぉおぉお――……。
 山の頂きから、並んで見上げた一面の空が、綺麗な茜色に染まっていた。



 雲間から覗いた曙光が、燦然と煌めく湖面を真っ白に照り輝かせている。
「どぅ、セレス。登頂成功した気分は。自信がついたでしょう?」
「……ぅん。自分が、ちょっとだけ、好きに、なれたみたい……」
「そう。掛け替えのない経験の積み重ね。それが人生なんだよっ」
「……ありがとお姉ちゃん。……私、何となく分かった気がする」
 おぉおぉお――……。
 肩を並べて見晴らす雄大な大自然に、セレスは美貌を輝かせるのだった。