Excalibur



 遊ぶにも健全な遊びと不健全な遊びがある。出来れば前者を選択したい。
 箱入りのセレス嬢に、多様な世界をみせ、貴重な体験をさせてあげたい。
「まぁ、時間はたくさんあるみたいだし……」
 柱時計の時刻が停止しており、この世界線では時の流れも無いのだろう。
 流石に現時点では、時空までは制御出来ない。仮初の変装位が関の山だ。
 本物のディアナに成り代わって諜報活動をするのも、内心は気が引ける。
「……はぁ」
 が、やらねばならない。ハーデスがユノを裏切るのは時間の問題だった。
 ユノがミシェットと躱した約定を、反故にする準備をあの男はしていた。
 敵の拠点に潜伏して、内務調査や索敵をしつつ、動向を探り続けての今。
「彼女には申し訳ないけど、……仕方ないわ」
 本物のディアナは、記憶操作により現在は普通の一般人として生活中だ。
 異星人だった自らの過去も、月での記憶も致し方なく抹消させて貰った。
 総てはハーデスの侵略行為を阻止し、地球を護る為。大義の為の礎、だ。



 オォオォオ――……。
 黄昏時の湖に面した修道院通りは、石造りの家屋が疎らに散在している。
 バサバサ――……ッ。
 犇めくカラス様の鳥が鳴き、或いは羽ばたき、自分の場所に帰ってゆく。
「じゃ、つぎは一週間後。また同じ街中の。大通りの噴水公園前で」
「ぅんっ。愉しみにしてるねっ」
 手をひらひらさせてにこやかに別れた。煌めく湖面を眺めて、気付いた。
「あーぁ……。今日は帰る場所、なかったんだ……」
 以前、直人の別邸に泊めて貰った事を思い出す。今度は、どうしようか。
 今から夜の大通りに出向けば、恐らく富豪や貴族風の人間が居るだろう。
 本意ではないが、彼等の援助を受けても良さそうだ。思案するディアナ。
「……」
 ザッ――……。
 歩を進めたのは煌びやかな繁華街、……ではなく、賑やかな酒場だった。
 そこで一夜だけでも宿を貸して貰えれば――。明日またセレスに会える。



 ガヤ、ガヤ――……。
 潮と酒の匂い溢れる猥雑なバーだ。水夫や夜の工員が雑談に興じている。
「つっても旦那ァ。こんな辺鄙な港街に、若ぇ女なんて……」
「しっ、おい、……誰か来たぞ。……よそ者っぽいなァ……」



 ――カラン――。
 乾いたベル音を鳴らし入って来たのは奇抜な格好をした若い女子だった。
 紺を基調とした制服にミニスカ。肉感的な太腿をニーハイで覆っている。
「すいません、誰かっ」
「へい、らっしゃい!」
 元気に挨拶するディアナ。赤ら顔のバーテンダーが朗らかに顔を出した。
 ジャー。水道を流しながら、ワイングラスを拭きながら客の相手をする。



 ♪~♪
 お洒落な洋楽が流れるシックな店内。並んだ丸テーブルは客でほぼ満席。
 港街の夕刻は労働者で占有されるとみえ、当居酒屋も繁盛している様だ。
「へぇ~。……艶っぽいよなぁ」
「そそる身体をしてますよねェ」
「いいねェ。むしゃぶりてぇぜ」
 ざわ、ざわ――……。
 ガラの悪そうな男共が会話を止めて、一斉にディアナの方に眼を向ける。
「何致しやしょう。当店一の自慢商品はウォッカになりやすッ」
「ウォッカ? それってお酒? 私、お水がいいんだけどなー」
「へッへへ。無味透明な水みたいなモンでさぁ。絶品ですぜ?」
「そうなの? 殆どお水と変わらないなら、まぁそれでいっか」
 兎に角、宿に泊まって休みたかった。結界を抜け出すのは明日でもよい。



 コポ、コポ――……。
 ワイングラスに並々と注がれた透明な液体を、ぼーっと眺めるディアナ。
「当店は特性の水でね、最初ちょっと喉が焼ける感じするけど」
「へあ? それもぅお酒じゃない? 普通の水は焼けないです」
「へへ。それもそうだなァ……。おい、お前らどう思うッ!?」
 ざわ、ざわ――……。
 バーテンダーの無茶ぶりに店内が俄に活気づいた。笑い声が起きている。
「水だってよッ! 口説き上手なベガスもいよいよ耄碌したかぁ~?」
「バカ言うなッ、ベガスの旦那ぁ海千山千だぞッ? アレだろぉよッ」
「アレって? 裏稼業でやってるってェ噂のいかがわしい撮影かァ?」
 ぎゃはははは――っ。
 そこかしこで爆笑が上がる。店内は、即興の酒乱パーティ会場と化した。
 隅っこのカウンターに一人座り、横目で店内のバカ騒ぎを窺うディアナ。
「まぁ、ウチはこういう店なんでね。独特のノリを愉しんでいきなよ」
「ぁ、はぁ。……ぅ~、これってぇ、まんなアルコールじゃん……?」
 ――ツーン……。
 凄まじい酒の匂いだ。差し出されたワイングラスを手に躊躇うディアナ。
 どうも強い酒の様だ。げんなり青ざめた美貌が、どんよりと淀んでいく。



「へぇ~お嬢ちゃん。見た事ねぇ顔だなぁ。どこの国から来た人だ?」
 こぽこぽワイングラスを満たしながら、バーのオッサンが歯を光らせる。
「どぅせ、言っても理解できないでしょ? 知らなくていいですよー」
「げははッ。そんな連れない事言うなよ。ほれ、もう一杯いきなッ!」
「ほんとは嫌なんですよぉ。泊めてくれるんなら考えますけどぉー?」
 気怠げな少女の掠れ声に、バーのオッサンは嬉々としてにんまり嗤った。
「あんたは美人さんだ。泊めてやるから遠慮せずガンガンいきなッ!」
「ぇー? ほんとにー? ん-。まぁー。なら飲みますけどぉー……」
 ――クイっ。
 鬱憤を晴らすかの様にして、ディアナは一気にワイングラスを呑み干す。



 ――カララン。
 間接照明に照り映えたワイングラスが乾いたロックアイスの音を奏でる。
「……ひっく。ふぁ~……。これ、ゃっぱおしゃけらぁぁ~……」
「素晴らしい飲みっぷりだなぁお嬢ちゃん。で、……どうだい?」
「……ぅ~ん。ろうっれ、……のろもおなかも焼けそうだよぉ~」
「それは大変だ。水割りをたくさん飲んでくれ。お代はいいから」
「……ぁー、……ふぁ~い……。ひっく。ぁらままわるぅ~……」
 コポポポ――……。
 注がれた水割りをごくごくと呑み干すディアナ。ぎゅるる。腹が鳴った。
「……ちょっろ、ろいれ……」
「廊下奥の突き当たりだ。鍵を忘れンなよ」
「……ふぁ~い……」
 ガタン――。倒れる椅子にもお構いなく、ふらつく足取りで廊下を進む。
 コツ、コツン――。
 脱げかけたヒールの靴音が乾いた音を立て、石造りの床板を打ち鳴らす。



 ガチャ、ギィ、バタン――。
 眼が回る。ドアを開けるなり倒れ込む様に座椅子にへたり込むディアナ。
「おげぇえっ!」
 バシャっ。吐瀉物を吐き散らすと、幾分か腹部の灼熱感が収まった様だ。
 シャぁ―……。とめどなく小水が溢れ出す。大量に摂取した水の影響だ。
「……ぅ~……」
 頭が痛い。視界がぐるぐる回って安定しない。とにかく気持ち悪かった。
 何をやってるのか、朦朧とする頭で自問する。セレスの笑顔が浮かんだ。
「ぁ、……そうらっら……」
 明日、セレスを連れ出して探索がてら連れて行きたい場所があったのだ。
 恐らくこのままでは、一時の快楽に呑まれて体調を崩すのが見えている。
「おしゃしゅしゅめてきたり、……ほんろ~にらいひょうふからぁ……」
 ざわ、ざわ――。
 ホールでは酔いどれ客が色めき立っている。喧騒を尻目に惑うディアナ。
 酒場の下賤な連中の慰み者になるか。セレスとの大事な約束を果たすか。
 成り代わりの身の上とはいえ、欲望の捌け口にされるのは真っ平御免だ。



 チュンチュン――……。
 雀の様な鳥の鳴き声で眼が覚める。妙に肌寒い。下半身はすっ裸だった。
「……ぅ……」
 気付けば結局、居酒屋の民泊に泊まった様だ。酔ってからの記憶がない。
 寝ぼけ眼で見渡すと、床上にショーツとミニスカが無造作に落ちている。
「……ぅーん」
 ゴソゴソ――。
 ベッド上で身を起こす。酒で身体が火照り、つい脱いでしまったろうか。
 全裸で寝る事はこれ迄もあったが、下半身だけ素っ裸は余り経験がない。
「っくしゅん」
 くしゃみが出た。部屋中が生臭い。小さな風船状のモノが散乱している。
 匂いの発生源はその何かからの様だが、とても拾う気にはならなかった。
「……あっ……」
 セレスとの約束を思い出す。急がないと。慌ててベッドから跳ね降りた。
 シャッ――。
 カーテンを開ける。朝の日差しが眼に眩しい。どうやら外は晴天の様だ。
「痛てて……」
 下半身の筋肉の中がやけに痛むが、身体はデトックスしたかの様に軽い。



 トン、トン、トンっ――。
 服を着終え、階段を降りて一階のホールへ。マスターや店員の姿がない。
 出掛けたろうか。ディアナ自身は別に一泊さえ出来ればそれで良かった。
「……むぅー」
 あれだけ賑わいをみせていたホールの熱気も、一夜明ければ蛻の殻――。
「ありがとーございましたー」
 ガチャ、ギィ、バタン――。
 無人のホールに挨拶を投げかけ、丁寧にお辞儀をして居酒屋の外へ出る。