Excalibur

 ブォォォォ――……。
 キッチンを曲がった廊下の奥からドライヤーの送風音が鳴っている。
「ラーラ~♪ ラララ~♪」
 軽快なハミングに交じって能天気なディアナの歌声が聞こえてくる。
「……」
 カチャカチャ――……キュッ。
 食器を一通り片付け、水源を締める。この時には正気を戻していた。
 ディアナに乱されっ放しだったペースを、瞑想が引き戻してくれた。
(……ッ)
 宿泊の準備をしていたが気が変わった。下山して貰わねばならない。
 夜山の下山は非常なリスクを伴う命懸けの行為だが致し方なかった。
 第六感が告げている。これ以上あの危険な少女を匿い続けられない。



 パタパタ――……。ご機嫌な素足の音が廊下を真っ直ぐ歩いて来る。
「おっ待たせーっ♪ 歯もピッカピカだよぉーっ♪」
 青い髪をストレートにした下着姿の女子が気前の良い美声を張った。
「ねーねー。ここってちゃんとお布団とかあんの?」
 背中を向けてリビング中央に立ったまま、直人は低い声を絞り出す。 
「……今直ぐ山を降りてくれ。頼む。これ以上……」
「へ? あ、ちょっと、え……。何言ってンのっ?」
「――俺を苦しめないでくれッ。……頼むから……」
「……っ」
 ――幾許かの、沈黙が流れた。かなりの長時間だったかもしれない。
 ガタンッ。物音に眼をむけた直ぐ背後で、少女は肩を落としていた。
 シュル。まだ乾ききらない学生服を身に纏い、少女は震え声で囁く。 
「……わかったよ……。じゃあ、これで帰るね……」
「――?」
 唖然とした。すんなり要求に応じるディアナに直人は拍子抜けする。
「……い、いや、……無理にとは言ってないが……」
「さよなら」
 スタスタ……、ガチャ――バタンッ。
 振り返った直人の傍を足早に横切り、戸外へと出て行ってしまった。



 シーン――……。
 リビングを満たす静寂が、直人の空虚な胸中に冷たい風を吹き込む。
 積年の鍛錬により、虚無感には慣れていたつもりだった。が、――。
「――!」
 ガンッ! 怒りのやり場に窮し、力一杯キッチンを叩きつける直人。
 楓は、もう居ない。何時までも幻影に縋り付いても、前に進めない。
 呪縛に囚われ、悔い、恨みを抱き、殺戮を重ね続けて良い訳がない。
「……ッ」
 が、――理性では解っていても、今更、既にもう後戻りが出来ない。
 鬼道に堕ちた己が身は、鬼道の道理で以て裁かれねばならない――。
 既に腹は括っている。それにディアナは得体の知れない危険な女だ。
 なのに――……。
「……くッ」
 ガチャ、バタンッ!
 玄関ドアを開けるや否や、直人はディアナの後を追って飛び出した。



 ザザァア――……。
 山道を疾走する黒シャツの男。迷彩フードはコテージに置いてきた。
 アレが無いと天界の探査衛星に見つかる危険大だが今は緊急事態だ。
「……ぐッ」
 ガサガサ――……。
 枝が掛かって引っ掻き傷が出来る。だが、今はそれどころではない。
 近年冬山は特に危険度が高い。眠らない狂暴な熊が麓に降りて来る。
 早急に発見、誘導しなければ、ディアナの身の安全を保障出来ない。
「……ッ」
 ザザザァ――……。
 戸外へ出るのは勝手だが、夜の冬山を安全に降りれる保証などない。
 下手をすれば遭難、滑落、凍死餓死、熊による人身被害もあり得る。
「馬鹿女が……ッ」
 夜眼を凝らすが、ディアナの姿は何処にも見えない。足は速い様だ。



 きゃああっ――……。
 下方で女性の悲鳴が聞こえた。馴染みのある声に総身が凍り付いた。
「……ぐ……ッ」
 何もなければそれが一番良かった。少なくとも後日、学校で会える。
 が、害獣にでも襲われて生命が絶たれてしまえば、――それまでだ。
(……馬鹿がッ)
 少なくとも直人がコテージに招待した中では、唯一の女性客だった。
 怪しかろうが自分を付け狙おうが、それでも窮地の時には助けたい。
「きゃぁああああっ」
「ッ。……そこかッ」 
 叫び声の響き、声音などから、襲撃現場の状況が粗方予測がついた。
 草葉を散らす葉音等から、逃げてゆく方角、速さ、距離等が理解る。
 一刻を争う状況には変わらないが、僅かながらまだ猶予が若干ある。



 オォオォオ――……。山を駆け降りながら、そっと瞼を閉じる直人。
「木崎流古武術奥義――、兵貴神速……」
 ヴン――。気を集めて言霊を唱える直人の身体が、――倍速化した。



 グルルルル――……。深夜の森林地帯に、獰猛な唸り声が轟き渡る。
 追い付かれたディアナが、大木の幹に背中を預けて座り込んでいる。
「ガルルルル……グルルルルッ」
「ゃだっ、こっち来ないでっ!」
 かぶりを振るディアナ。その素振りは至って自然で迫真めいている。
 破けた制服とスカートの隙間から覗く柔肌からは、薄っすらと出血。
「ゃだ、助けて、誰か……っ!」
 必死に助けを求めるが、無人の冬山に救助隊が駆け付ける訳もない。
「グルルル、……ガルルルルッ」
 唸り声をあげる羆は、悠に三M程にも達する巨体――。絶体絶命だ。
「ガァゥルルルゥァア――ッ!」
 猛り狂う咆哮を発し、羆が鋭利に生え伸びた巨大な爪を振りあげた。
「きゃぁあああっ、直人おっ!」
 喉奥から叫び声をあげるディアナ目掛け、羆が爪を振り下ろす……。
「ゴルルルァァア――……ガッ」
 ドゴォオ――ッ!!
 激しいタックルを浴びてグラつく巨体が、……ふわりと宙を浮いた。
「奥義、――――鉄山靠ッッ!」
 ――ドッガァアン。
 連撃の体当たりで真横に吹き飛ぶ一tもの巨体が背後の大木に激突。
「フゴッハァ…………ッッ……」
 ズズゥゥ……ンッ。
 刹那の衝撃に昏倒した羆が、口から大きな気息を吐いて沈み込んだ。